報復への復讐

 今回、彼が担当した葬儀は、女子高校生のものであった。親は悲しみ、泣き、いかっていた。火葬場では骨を拾う箸が震え、力が入ってしまい、拾った骨がひとつ、砕けた。

 それを、随行した明良は、静かな眼で見ていた。


「あいつが、やったに決まっているのに」

 父親が、震える声で言った。母親は、せっかく止まりつつあった涙を、また流し始めた。

「差し出がましいようですが、あいつ、とは?」

 明良は、訊いた。親族は、誰かに聴いて欲しいのだ。若くして命を失った故人の、遺族の怒りと恨みを。

 父親が、話を始めた。母親は耐え切れず、途中で退席してしまった。



 故人には、ボーイフレンドがいた。両親は、そのことを知らなかった。

 故人がボーイフレンドに別れを切り出し、二人は関係を終えた。

 しかし、そこから、誰かからの嫌がらせが始まった。両親が、娘にボーイフレンドがいたことを知ったのは、そのときである。


 はじめは、個人のスマートフォンに無言電話が入ったりする程度であった。

 しかし、だんだんそれはエスカレートしてゆき、そのうち、家の郵便受けに動物の死骸が入れられたりするようになった。警察にも勿論相談はしたが、まともに捜査がされていたのかどうかは分からないという。


 そして、インターネットに、故人が戯れにボーイフレンドに送ったと思われる、裸の画像が流れた。

「リベンジポルノ、と言うそうですね」

 父親は、怒りを噛み殺した声で言った。

「娘は、それで学校にも行けなくなり、家に閉じこもってしまいました」

 そして、自ら命を絶った。

「もう、生きていけません。私と妻の携帯に、そうメッセージが入っていました」


 デジタル世代の、遺書というわけであろうか。

「娘の携帯のメッセージには、クラスメイトか何かから来た、ひどい言葉が積み上げられていました。女友達からは、非難が。男友達からは──」

 父親は、言葉をつぐんだ。


「──お察し申し上げます」

「申し訳ありません。こんな話」

「お気になさらず」

「とにかく、私は、あいつを許さない。たとえ、この人生を棒に振ろうとも、この手で復讐をしてやりたい気分です」

「そのようなことをなさっては」

「──分かっています。それで、娘が戻るわけでもなし、喜ぶわけでもなし」

「その通りです」


 明良の微笑みで遺族の苦しみが和らぐことはないが、無いよりはずっとよかった。父親は、ため息を一つついた。そのため息が香の匂いの染みついた控室に溶けたころ、父親は、ぽつりと言った。


「なんでも、金で、恨みを晴らしてくれる、復讐代行屋なる男が、いるそうで」

 明良は、いつものように、話す相手の黒いネクタイの結び目を見ながら、少し眉を上げた。

「噂ですがね。その男でも、探してやろうかと思っているところですよ」

「そんな男が」

「忘れて下さい。笑い話です。でも」

 父親の眼には、修羅の光が宿りつつあった。


「もし、そんな男がいるなら、私は幾ら積んでもいい。警察は、あてにならない。学校も、事実関係を調査する、としか言わない。では、娘の恨みは、一体、誰が晴らすと言うのです」

 明良は、答えない。


「少し、お疲れのようです。もう、ご葬儀も終わったことでありますし」

「申し訳ありません。貴方は、お仕事中でしたね。引き留めてしまいました」

「滅相もない。故人様とご遺族の方のお心に沿うのが、私の役目です」

「この度は、お世話になりました。感謝申し上げます」

「では、私は、これで」

 丁重に辞儀をし、引き上げた。



 その夜。父親は、遺骨と遺影の横で、疲れ果てて休んだ妻を起こさぬよう、寝室を脱け出し、台所に向かった。

 冷蔵庫にいつも入れている缶ビールが、この日は無かった。

 家から歩いて大通りに出れば、数分でコンビニがある。面倒ではあるが、布団に入っていても眠れる気がしないので、買いに行くことにした。


 歩く間、頭の中には、様々なことが去来する。悲しみと怒りのあまり、涙も出ない。どのようなことを考えているかと訊かれても、具体的には答えられぬであろう。


 コンビニのレジで言われた通りの金額を支払い、釣りを受け取り、虚ろな眼で小さなビニール袋を片手に、来た道を戻る。

 大通りは、夜でも明るい。暗闇を照らすため、人は様々な知恵を絞ってきた。しかしそこから自宅へ通じる細い道に足を踏み入れるのは、ぽっかりと口を開けた闇の怪物の中へと、自ら踏み出してゆくような恐ろしさがある。


 そのことすらも知覚せず、父親は、ただ歩くということをした。娘の死により、彼は人生の全てを失ったに等しい。それなのに、不思議と、歩くという動作はできて、家に帰ろうとしているのだ。

 何のためにかは、分からない。


 家。苦労して働き、ようやく建てた家。あっと言う間に娘は誰かと結婚をし、出ていくのだろう。それでも、盆と正月くらいに帰って来るかもしれない。それでよかった。

 その目的を失った虚ろな建造物が、近づいてきた。


 その前の闇に、人影。

 闇そのもののように、立っているのが辛うじて分かった。


「誰だ」

 その闇に、声をかけてみた。

 闇であるはずのそれは、光を放った。

 眼が眩むほどの、真っ白な光。


 ──死神?

 父親は、ふとそう思った。それならば、丁度よい。連れて行ってくれ、と頼むのも悪くはない。

「恨みは、深いらしいな」

 死神が、声を発した。深く、沈んだ声であった。強い逆光で、顔は見えない。アスファルトに混ざり合うような黒いコートと革靴だけが、辛うじて見えた。


「殺してやりたいか」

 死神は、父親が誰かを殺してやりたいほど、強く恨んでいることを知っているらしい。

「あんたの恨み、買ってやるよ」

「お前、まさか」

 恨みを金で買うという、復讐代行屋。

「幾らだ。幾らで、買ってくれる」

「あんたの、言い値で買う」

 いわゆる、「お気持ち」というやつである。五万のこともあれば、百万のこともある。


「ポストに、インターネットサイトのアドレスが書いてあるものを入れておいた。お前は仮想通貨を購入し、そこに、入金をする」

 海外の、匿名性の高い仮想通貨の取引サイトである。それを、しんがデジタル上で換金するのだ。多少のマージンは取られるが、仮想通貨で現金を「買う」のだ。


「わかった」

 父親は、喜ぶような、縋るような表情を浮かべた。

「あんたの恨み、確かに買った」

 死神は、沈んだままの声で言い、闇にその身を溶かそうとした。

「あんた、何者だ」

 父親の問い掛けに、死神は答えた。

「──誰でもない」

 眼を刺す真っ白な光は消え、父親が闇の中に眼を凝らし、焼き付いた光の残り滓を取り払おうとしたときには、死神の姿はもう無かった。



 今回は、対象の特定は容易であった。

 都内に一人で住む大学生であった。

 ルーシーは、そこに立った。


 インターホンを鳴らす。

「はい」

 若い、男の声。

「警察の者です。ちょっと、お話をお伺い出来ませんか」

「──はい」

 暫くして、鍵が開いた。

 ドアノブにかけたままの手を掴み、男を引きずり出し、驚くべき力で首を絞める。

 耳元で、囁いた。

「あんた、恨みを買っているな」

 若い男は口から泡を吹き、もがいている。


 一方的に別れ話を切り出され、腹を立てたのか。その報復に嫌がらせをすることは許されることではないが、案外、この男の方が本気であったのかもしれない。


 それに、この男のしたことは、今ルーシーがこの男にしようとしていることに比べれば、幾らかである。

 それでも、ルーシーは力を緩めない。

 段々、男の抵抗が弱くなってゆく。

 苦しめるだけ苦しめると、一気に首を捻った。


 何か別のもののように首を長くし、眼を見開いた男を省みることもなく、ルーシーはその場を立ち去った。



 この若い男の肉親は、ルーシーを恨むだろうか。

 人は、必ず、誰かと繋がりを持つ。

 誰かと繋がる誰かを死においやったこの男も誰かの子であり、兄弟であり、友人であり、教え子であり、先輩であり、後輩であり、想い人であるのであろう。


 これは殺人であるから、警察も丹念に捜査をする。しかし、誰にも見られることなく、知られることなく、その存在だけが囁かれる復讐代行屋が殺したということまでは、警察も突き止めることができない。


 彼が恨みを晴らすことで、この世から恨みが一つ減るわけではなく、そのが変わるに過ぎない。

 特定の対象を持たぬ、行き場のない恨みが、また一つ増えた。


 ルーシーは笑わず、それをただ数えた。

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