ひとつ 恨み、数えます

数える男

 この日、明良は、一般的な価値観と教養をもった人間ならば、やり切れぬ、と感じるであろう葬儀を担当した。冒頭の葬儀と、逆である。


 両親が共に死に、遺されたのは子一人。遠縁にあたる親戚が、喪主となっている。よく、テレビなどで子が人の死を理解せず、

「どうしてパパとママ、ねんねしてるの?」

 と無垢な瞳で質問をし、周囲の涙を誘うシーンがあるが、最近の子供は幼くても死を理解する。少なくとも、ここにいる五歳の子供は、どれだけ泣こうが叫ぼうが、その両親は還らぬことを知っていた。だから、ただ黙ってうつ向いていた。


 明良は、その姿を、葬儀の間、黙って見ていた。遠縁という者は故人とほとんど親交が無かったらしく、迷惑そうな、憂鬱そうな顔をしているだけだった。親戚付き合いが疎かになりがちな現代社会の中、故人は身寄りも少なく、子だけを残し、逝ってしまった。葬儀に出席した者は、ごく近しい友人が数人と、父の会社の関係の者かと思われる数人であった。


隼人はやと君」

 明良は、にっこりと微笑んで、小さなペットボトルのジュースを差し出した。五歳だというのに、隼人と呼ばれた子供は、ありがとうございます、と言ってそれを受け取った。

「今日は、疲れただろう」

「ううん、大丈夫」

 気丈に振る舞うのは、そうすることで己の心を守ろうとする本能か。

「これから、どうするの」

「あのの家に、行くんだって」


 喪主となったは、母方の曾祖父の娘の嫁いだ家の者であった。血の繋がりは非常に薄いし、家も違う。たまたま同じ東京都内であったのが幸いであろうが、隼人にしてみれば青天の霹靂、今まであった全てが変わってしまったことであろう。


 そのが、葬儀の終わった控え室に顔を出した。

「隼人君。行こうか」

 隼人は、はい、と言い、立ち上がった。

「隼人君」

 立ち上がった隼人に、明良は、微笑みかけた。

「その恨み、買います」

 隼人はきょとんとして何度か瞬きをすると、明良の与えたジュースを握り締め、駆け去っていった。



「調べはつくか」

 夜、明良は、いや、ルーシーは、マンションの一室にいた。明良ではない男の背が、パソコンの画面に向かって、キーボードを叩いている。

 前川隼人。両親の名は、とおる千花ちか。それだけで、必要な情報が引き出せるのだから、便利な世の中で、それは、恐ろしさでもある。


「たぶん、これだ」

 SNSサイトで、両親を特定した。

「大企業の、エリートってやつだな」

「そうか」

 明良は、散らかったマンションの一室に辛うじて設置されている一人掛けのソファに腰かけて、漫画雑誌に眼を通している。別に漫画が好きなわけではない。この部屋の主が、毎週欠かさず買っているものだ。


「これは、ルーシー。ちょっと面倒かもしれない」

「どうした、しん

 男のことを、伸、とルーシーが呼んだ。面倒かもしれない、と振り返った伸の顔は若い。


「警察の捜査が、厳しいらしい。事故死などではなく、これは殺人だな。それも、ほぼ容疑者を特定するところまで行ってるはずだ」

「なんとか、ならないか」

「待ってな」

 伸は、別のサイトを開いた。しばしば見かける画面である。ルーシーは、それが警視庁の内部情報であることは知っているが、実際のところ、データベースなのか、所轄署の内部なのか、何なのか分からない。


 伸は、大学生である。どこの大学に通っているかはルーシーの興味の及ぶところではない。三回生であることは覚えている。なにか、情報技術を専攻していたはずだ。その技術を、今こうしてしている。


「ルーシー」

 伸が、せっせとキーボードを叩きながら、背中で話しかけてくる。ちらりと見える細い指がせわしなく足踏みをしていて、死にかけの虫のようだといつもルーシーは思う。

「約束、忘れてないだろうな」

「勿論だ」


 伸がルーシーに協力しているのは、自分のためである。彼の姉は、彼が中学生のときに殺人事件に巻き込まれ、命を落とした。まだ、犯人は逮捕されていない。

 その報復を、彼は望んでいる。ネットの世界でまことしやかに「復讐代行屋」として存在が囁かれていたルーシーをし、接触したのだ。




「あんた、ルーシーだろ」

 これが、伸がルーシーに向けて放った初めての言葉である。

「ルーシー?違います」

 当のルーシーは、自分がゼロとイチの世界の中でそう呼ばれていることを知らなかった。

「復讐代行屋」

 と言えば、彼は理解し、穏やかで清潔感のある顔に翳りを見せた。

「俺の恨みを、買ってくれ」


 中学の制服を着た伸が、拳を握りしめ、そう言うのである。

「俺は、買う恨みを選んでいる。自分で選び、買うときは、タダだ。人に頼まれて買うときは、見返りを取っている。お前に、俺に与える見返りがあるか」

「あんたの、手伝いをしてやるよ」


 中学生の頃の伸は、今よりも痩せていて、バイト代を風俗遊びにつぎ込むことも知らなかった。確か、バスケ部だったかサッカー部だったかに所属していたはずだ。

「手伝い?」

「あんた、人が晴らせない恨みを、晴らすんだろ」

「そうだ。だが、人のためではない」

「そんなの、どうだっていい。復讐する相手を、どうやって探すのさ」

「それを、お前に話す義理はない。消えろ」

「いいや、あんたは、困ってるはずだ。俺が、あんたの代わりに、復讐する相手を探してやるってのは、どうだ」

「──なんだと?」

 伸は、釣り好きの父に連れられて、霞ヶ浦まで昔よく行っていたときのことを思い出していた。ルーシーの前で、ひらひらと己の存在を疑似餌のように誇示して、食いつかせたのだ。ルーシーは、伸の見せたものを突ついたことになる。


 伸はスマートフォンを取り出し、あれこれといじくり回し、ある画面を見せた。

「東京都内で増加傾向にある殺人事件のうち、十数件に関わっているな、あんた」

 そこに、福田明良としてではなく、誰にも知られず生きてきたはずのルーシーのことが書かれていた。

「へえ、拳銃も使うんだ。物騒だな。どっから仕入れるの?そんなもの」

「お前」

「人は、必ず足跡を残す。それを、辿るのさ。俺の恨み、買う価値あると思うぜ」



 そのような出会いであった。それから五年ほどが経ち、今ではすっかりルーシーの情報屋のような役割を担っている。未だ、伸の姉を殺した者は特定できていない。そのことを、忘れてないだろうな、という言葉で念押しをしたのだ。


「あった」

 そこには、蒲田における夫婦殺害事件という小見出しと共に、犯人とおぼしき者のデータが挙げられていた。


 このように、あくまで容疑の段階のとき、二人は「検証」と彼らが呼ぶ作業を行う。その目星の者の足跡を更に辿り、当日の行動や前後の関係を浮き上がらせ、その結果コンタクトをするか否かを決めるのだ。

 コンタクトをし、ルーシーが確信すれば、。違う、と思えば、何もせず誤魔化し、立ち去る。


 無論、すぐに接触が持てるわけではなく、たとえば対象が逮捕され、捜査や裁判のため拘留されていたりすれば、その案件は数年越しとなる。子を酒酔い運転で失った母の案件は、まだ任意での事情聴取の段階であったから、すぐに


 その夜のうちに、ルーシーは彼らが検証の結果導いたと接触を持った。

 犯人と断定するのは、警察でも司法でもない。ルーシーだ。

 その人間を見て、判断する。



「あんた、恨みを、買っているな」



 また、晴らされることのない恨みにより、あるべき姿でない裁きが下された。

「ゆるしてくれ、ゆるしてくれ」

 と、先程まで震える声で言っていた者は、今は動くことなく、冷たいアスファルトの上に横たわっている。


 ルーシーに、ヒーロー性を求めてはいけない。

 彼は、我々の感覚で言うなら、異常な殺人鬼である。

 法で裁かれぬ者を天に代わって裁く、という話はフィクションでよく聞く。しかし彼は、法の裁きを受けるはずであった者にも、死の裁きを下す。

 それで、誰が救われるわけではないと知りながら。


 それでも、ルーシーは、真っ黒なコートに身を包み、真っ黒な恨みを買い取り、人を殺す。

 伸はその目的が明らかであるが、ルーシーが何故そのようなことをするのかは、分からない。


 ともかく、彼の行うのは、人の所業ではない。

 ルーシーとは、皮肉な名である。

 人として考えうる限り最も強い悪のうちの一つを行う彼につけられたあだ名は、その悪の象徴が、かつて天にあったときの名。

 憎しみや恨みは、人を壊す。

 その壊れた先を知る者は少ない。

 ひょっとすると、彼は、その先に居るのかもしれない。



 この夜も、ルーシーは、またひとつ数えた。

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