戦の女神

「ところで、いつまでその姿でいるんだ?」

「何、アルゴスの塹壕にはこの格好が安全でな」

 アルゴスの塹壕? あんな戦場にまで行くつもりはないのだが………

「おぬし、マルスタ街道なんぞ行く気がないのならアルゴスの塹壕に寄ってみとうないか?」

 その言葉に僕自身も目の色が変わることを自覚した。

「ふふっ、わしは女神じゃ。王よりも権威ある者が自陣の基地に行ってはならぬ、などという法がどこにあろう」

 確かにそうだ。それに僕の立場を女神に連れられた一般人とすれば身の安全は保障してくれる……はず。

「大丈夫じゃ。おぬしが変なマネでもしぬ限り殺されはしん。それに前線からキングリラ領内に入(い)る道もある」

「え!?」

 その言葉に不信感と期待が入り混じった。

「あの国はわしらとの戦で疲弊しておる。故に宮都へ入るどの門も検問が厳しい。それなのに門を潜らずとも宮都に入る抜け道があると聞けば――ふふっ、おぬしは幸運よの」

 女神は僕が言わずとも分かったような口ぶりで話し出す。

「じゃが同時に、そんな秘密を教えて自分の身が安全とは言えなくなる。じゃろ? 安心せい。悪いようにはせぬ」

 全てお見通しだった。僕の期待と不信感を見抜き、その全てを安心で丸め込んだ。ともすれば悪魔の囁き。しかし――

「昨日も言ったはずです。神であろうと僕の好奇心は何人も邪魔だてすることは出来ません」

 その言葉に女神はクスっと笑うだけだった。

「さすが我が子じゃ。わしに付いてこい」



「ん? おい、そこの者止まれ!」

 アルゴス前線前、哨戒兵が巡回する地帯に二つの人影が近づいた。

「おーい! わしじゃ! わし!」

 そのまだあどけなさの残る幼い声に哨戒兵は首を傾げた。

「誰だ?」

「子供連れのようです」

 二人組の哨戒兵は遠方から呼びかける人影を凝視すると、すぐ誰か分かった。

「ああ、女神さんだ」

 今まで険しかった顔はどこへやら。間の抜けた声を出して哨戒兵二人は僕と女神をアルゴス前線基地へと案内してくれた。

 しかし塹壕というのは面倒な構造だ。クネクネと折れ曲がった溝を延々と進み、数時間で行ける距離を半日も掛けなければアルゴス前線基地には到着できなかった。

「隊長、女神さんが視察に参られました」

 つぶらな瞳が大きく開いた豚鼻の隊長。いや、ブタそのものの隊長はイスから立ち上がった。

「女神さんが? どうして?」

「それが……下僕のために近道をしたいと」

 伝令に来たオーク兵も困惑気味。しかしブタの隊長はイスに再び深く腰掛けた。

「分かった。すぐお通ししろ」

「はっ」

「景気はどうじゃ。ブタよ」

 敬礼を終えて反転をした時、真後ろにはすでに小さな影があった。

 塹壕内に設けられた広めの空間。そこにはカーキ色の布が屋根として使われ、下では戦場の地図、机には書類が散乱。そして中央のイスに腰掛けるのはアルゴス丘陵で繰り広げられるキングリラとの戦争を指揮するブタ。しかしそのブタは唐突に姿を現した女神に即座に立ち上がり、敬礼をした。

「よいよい、かしこまらんでも。わしは戦神ではないぞ」

 その言葉を合図に敬礼を直し、自分が座っていたイスの隣に移ると直立。そして今までブタが座っていたイスにちょこんと腰掛けるのは言わずもがな。

「彼奴らが仕掛けてから四年じゃが、形勢は変わらんか?」

「はい。キングリラは一個師団による騎兵の一斉攻撃を仕掛けてましたが、我が軍の連弩及び野砲によってことごとく敗走。現在は連隊規模にまで縮小しましたが、未だに第一防衛線の突破には至っていません」

 机上の書類と地図を凝視しながらブタの話に頷く女神。僕にとっては初めて真面目な顔を見せていた女神だった。

「そして三年目以降は連隊規模による陣地攻撃が敢行されましたが、すでに迂回路には第二防衛線を築いていますのでそれも防いでいます。それからは火縄銃と迫撃砲の配備が進んだので最近はめっきり攻撃が止みましたね」

「フフッ、話にならんの。戦費はいかほどかえ?」

 女神は嘲笑一つで終わらせた。四年という歳月とそれに費やされた人をまるで意に返さない様に。しかも驚くべきことはここにいるブタもオークも他兵士であろう者たちが女神に同調してるのだ。女神が口にした「話にならない」という言葉に皆同調してるのだ。

 僕にはそれが異質であり可笑しな空気なのだが、自分が間違っているとも考えてしまう。

「はい。やはり四年という歳月は戦費の膨らみも増しています。キングリラに講話を持ち掛けるも拒否。アルゴス山の鉱石は充分ですが製造がブラック一歩手前ですのでドワーフ達がスト起こすのも時間の問題かと」

 眉間にしわを寄せるブタに女神は「カハハハハハ」と笑ってみせた。

「ブタよ。地球の言葉が馴染んでおるぞ」

 ハッと気付いたのかブタはその場で頭を下げた。

「失礼しました。以後このような――」

「よいよい。砕けた方がわしには嬉しい。では、ドワーフがストライキを起こす前にこの戦、終わらせねばならんの」

 それを合図にブタは後ろで控えていた兵士から地図を貰い、机上に広げた。

「はい。ですので女神にはキングリラ攻略作戦の許可を頂きたく――」

「ならん。お主らはここで待っておれ」

 女神の一蹴にブタが少し固まった。しかしすぐ何か分かったのか広げた地図を手元に戻した。

「では、戦後処理の指揮に異動させてもらいます」

「うむ」

 神妙な空気が漂う中、全ての事柄がこの話で終わったようだ。僕には何がなんだかで付いていけないので、すぐにでもキングリラに行きたいのだが………

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怠惰な女神にサチあれ 蚊帳ノ外心子 @BAD_END

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