崔豹   弑逆者の子孫  

青州せいしゅう人の崔豹さいひょうという人が、

とある地方府に出向いた。


そこの長官は、ちんという名字のひと。

まぁたぶん潁川えいせん汝南じょなんにはかすらない。


かれはアレな人品のひとであったようだ。

崔豹の名を聞くなり、ニヤリとした。


「ほう、そなたの姓は崔か!

 崔杼さいちょから、何代くだるのかな?」


ニヤニヤしている。

つまらん出自のやつが、

という意図があからさまである。


ただし崔豹、動じない。

サクッと言い返す。


「この愚民、崔杼よりの代は、

 長官殿の陳恒ちんこうから下ったのと

 同程度でありましょうな」




崔正熊詣都郡。都郡將姓陳,問正熊:「君去崔杼幾世?」答曰:「民去崔杼,如明府之去陳恆。」


崔正熊は都郡に詣づ。都郡が將の姓は陳にして、正熊に問うらく:「君は崔杼より去れること幾世ぞ?」と。答えて曰く:「民の崔杼より去れるは、明府の陳恆より去れるが如し」と。


(言語28)




これは本文は敢えて

注無しで行きたいですね。


崔杼、陳恒

共に春秋斉の人物。それぞれ主君である荘公、簡公を弑逆している。つまり「おい陳さんアンタ、人のこと弑逆者の子孫だなんて言うのはいいがな、そしたらあんただって弑逆者の子孫扱いされても文句言うなよ?」くらいの感じで言い返してるわけだ。まぁ厳密に言えば陳恒じゃなくて田恒なんですけどね! その子孫が斉を簒奪し、田斉を立てるお人です。


このお話に出てくる二人は青州、つまり戦国七雄で言えば斉の国のエリアにいる人たち。「同郷同姓は一門の人間として取り扱う」ルールを踏まえれば、こういう殴り合いの仕方も発生しますよね、という感じである。まーたぶん半分は創作だろうけど。


なお荘公が殺されたのが紀元前548年で、簡公が殺されたのが紀元前481年である。一世紀近く離れている。誤差の範囲と言えば範囲ですが、うーん。

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