王衍5  裴頠さんのこと 

裴頠はいぎと言えば、その論談の腕前が

抜群なことで有名だった。

何せあの王衍おうえんさんを向こうに回して

一歩も引かないほどである。


なので人々は、裴頠のことを

「果て無き言談の森林」と呼んでいた。


そんな裴頠さんについてのことだ。



王衍と初めて会った時のことである。


王衍は裴頠より4つ年上。

多くの名士たちが一堂に会する中で、

彼らが一様に言っていた。


「裴頠なんぞ大したことないぜ!」


そこで王衍も、裴頠に対しては

「ねぇ、君」くらいの感じで

なれなれしく話しかけた。


すると裴頠、すんとして、言う。


「あなた様が懐かれる思いのまま、

 振る舞われるべきでありましょう」


素晴らしい皮肉である。

そういや王衍さん、あなた庾敳ゆがい

「卿呼ばわりすんな」って

むくれてましたよね……



まぁ、ともあれ裴頠、結構言葉で

チクチク刺すクチの人だったようである。


こんな評論も残っている。



かの荀彧じゅんいくの末っ子にして、

一門が儒家であったことに反発して

道家思想にかぶれた人、荀粲じゅんさん

かれは夫人ととても仲睦まじかった。


そんな夫人がある冬の日、

熱病にかかった。


荀粲、中庭に出て自らの身体を

キンキンに冷やすと、中に入り、

自らの身体で夫人を冷やそうとした。


その看病の甲斐もなく、夫人は死去。

そして間もなく、荀粲も死んだ。


人々はバカなことをしたものだ、

と荀粲の行動を嘲笑っていた。


これに対し、

病床にあった荀粲は言っている。


「夫人の徳などどうでもよい。

 ただ美しければそれでよいのだ」


この言葉にぴしゃりと言ったのが、

そう。裴頠さんである。


「おおかた看病するご自身に酔っての

 放言であろうよ。


 およそ徳持てる者の発言とは思えん。


 後世の人びとが、このような妄言に

 トチ狂わねば良いのだが」




裴僕射時人謂為言談之林藪。

裴僕射を時の人は「言談の林藪」と謂いたるを為す。

(賞譽18)


王夷甫長裴成公四歲,不與相知。時共集一處,皆當時名士,謂王曰:「裴令令望何足計!」王便卿裴。裴曰:「自可全君雅志。」

王夷甫は裴成公に長ずること四歲、與に相い知らず。時にして共に一なる處に集いたれば、皆な當時の名士にして、王に謂いて曰く:「裴令が令望、何ぞ計るに足らんか!」と。王は便ち裴に卿す。裴は曰く:「自ら君が雅志を全うすべし」と。

(雅量12)


荀奉倩與婦至篤,冬月婦病熱,乃出中庭自取冷,還以身熨之。婦亡,奉倩後少時亦卒。以是獲譏於世。奉倩曰:「婦人德不足稱,當以色為主。」裴令聞之曰:「此乃是興到之事,非盛德言,冀後人未昧此語。」

荀奉倩と婦は至りて篤し。冬の月に婦の病熱せるに、乃ち中庭に出で自ら冷を取り、還り以て身にて之を熨む。婦亡かりせば、奉倩も少しき時の後に亦た卒す。是れを以て世の譏りを獲る。奉倩は曰く:「婦人が德は稱うるに足りず、當に色を以て主と為さん」と。裴令は之を聞きて曰く:「此れ乃ち是れ興の到りたるの事なれば、盛德なる言に非ず。冀くは後の人の未だ此の語に昧まさらざるを」と。

(惑溺2)




裴頠は後に司馬倫の反乱に巻き込まれ賈南風とともに朝廷の露となり、王衍は後に司馬越の配下として逃げ延びる中石勒に殺され。どちらも終わりをよくこそしていないものの、とは言えやはり裴頠の評価のほうがどうしても高くなるわけですね。わかります。

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