楽広4  楽広と名士たち 

劉納りゅうとうという人がいた。

彼が初めて洛陽入りすると、

そこで多くの名士と出会った。


そのときに、ため息混じりで

こうコメントした。


王衍おうえん殿がな、とにかくヤバい。

 楽広がくこう殿はリスペクト不可避。

 張華ちょうか殿はすごすぎてイミフ。

 周恢しゅうかい殿は弱点を逆手に取る達人、

 対して杜育といく殿は得意分野の活用が

 苦手でいらっしゃったな」


なんか杜育さん一人

サゲなんですが、それは。



そんな感じで、名士サロンでもかなり

名を馳せていた楽広さんであるから、

オピニオンリーダーの王衍からも

激賞を得ている。


例えば王衍、こんなことを言っている。


「彼と話していると、私の言葉が

 いちいち煩雑なものに思えてならん」



また王衍、後に東晋建国の元勲

第一等として讃えられる人、王承おうしょうを、

楽広を引き合いに出して絶賛。


孫の王担之おうたんし、それが誇らしかったのか、

「うちのじいじは楽広レベルって

 讃えられたんだぜ!」

と、わざわざ石碑に残している。



そんな王衍であるが、楽広に対しては

こう語っていた。


「名士とは、別に多くのものに

 知られる必要もないものだ。


 ただ、うちの弟にさえ

 知られていればいい」


王澄おうちょうさんに対する謎の信頼を

爆発させている。




劉令言始入洛,見諸名士而歎曰:「王夷甫太解明,樂彥輔我所敬,張茂先我所不解,周弘武巧於用短,杜方叔拙於用長。」

劉令言は始めて洛に入り、諸名士を見て歎じて曰く:「王夷甫は太いに解明し、樂彥輔は我が敬せる所、張茂先は我が解せざる所、周弘武は短を用いるに巧み、杜方叔は長ずるを用うるに拙し」と。

(品藻8)


王夷甫自歎:「我與樂令談,未嘗不覺我言為煩。」

王夷甫は自ら歎ずるらく:「我と樂令の談ぜるに、未だ嘗て我が言の煩為らざるを覺えず」と。

(賞譽25)


王夷甫以王東海比樂令,故王中郎作碑云:「當時標榜,為樂廣之儷。」

王夷甫は王東海を以て樂令と比ぶ。故に王中郎は碑を作して云えらく:「當時の標榜さるは、樂廣の儷と為さん」と。

(品藻10)


王夷甫語樂令:「名士無多人,故當容平子知。」

王夷甫は樂令に語るらく:「名士は人多かる無し、故に當に平子に知られるを容れるべし」と。

(賞譽31)




例によって張華さんのところでボツにしたやつがここに来て精彩を放ってきてます。うーん、けど張華さんいわゆる名士グループに属してなかったしなあ。やはりあの方は、当時において埒外の存在なのだよなー。

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