桓玄11 王献之さまとぼく

桓玄かんげん司馬道子しばどうしらを倒し、建康けんこう入り。

太傅たいふと言う、いわば

「皇帝の師」と言う立場を自称、

謁見の間に群臣を集めさせた。


ここでの話があらかた済んだところで、

桓玄、近くにいた王禎之おうていし

つまり王羲之おうぎしの孫、王徽之おうきしの息子に聞く。


「王禎之。俺は君の末の叔父御、

 王献之おうけんし様と較べてみて、どうかな?」


集められた賓客たち、固唾を呑む。

と言うのも王献之と言えば当代に知られた

名士の代表格だ。


答え方次第では、王禎之の首が飛ぶ。


「亡き叔父はひと時代における

 道しるべと申すべきお方。

 しかるに桓公は、

 千年に名を残す英傑でございます」


その受け答えに、

一同は胸をなでおろした。




桓玄為太傅,大會,朝臣畢集。坐裁竟,問王楨之曰:「我何如卿第七叔?」于時賓客為之咽氣。王徐徐答曰:「亡叔是一時之標,公是千載之英。」一坐懽然。


桓玄は太傅と為り、大會せるに、朝臣は集まり畢える。坐裁の竟りたるに、王楨之に問うて曰く:「我は卿が第七叔とでは何如?」と。時の賓客は之に咽氣を為す。王は徐ろに答えて曰く:「亡叔は是れ一なる時の標、公は是れ千載の英なり」と。一坐は懽然とす。


(品藻86)




いまいち表現が飲み込み切れない。王徽之は王羲之の五男である。そして王献之は七男。と言う事は「二叔」になるのではないか?


この辺りは、王羲之の家の、と言う認識で見做すべきなのかなあ。この辺の表現のしかたが上手く腹落ちできるよう、当時の「家」の概念を考えておきたい。

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