桓玄7  劉簡之助言する 

桓玄かんげんが簒奪した時、

散騎常侍さんきじょうじと呼ばれる護衛のほかに

虎賁中郎こほんちゅうろうと言う守備兵の制度を復活させ、

皇帝周辺の守備力を厚くしようと考えた。


そして、その虎賁中郎のための詰め所を

設置したいと考えていた。


そこで劉簡之りゅうかんしに問う。


「虎賁中郎の詰め所は、

 どこに建設するのがいいと思う?」


すると劉簡之、答える。


「要りません」


ファッ!?

バカ野郎劉簡之この野郎、

俺が欲しいから聞いてんじゃねえか

このクソが、ぐらいの勢いで、

桓玄、食い下がる。


「なんで要らないってわかるんだ?」


劉簡之は答える。


潘岳はんがく秋興賦しゅうこうふ

 述べているではないですか。


 晉十有四年

 余年三十二始見二毛

  しん朝がなって14年、

  私も32歳となった今、

  ついに白髪が出てきてしまった。


 以太尉掾兼虎賁中郎將

 寓直散騎之省

  太尉たいい付きの近衛隊長として

  散騎常侍の詰め所に配備された。


 ――と。

 この通りで良いのです」


んむう、そう言われちゃうとなあ。

桓玄あっさり納得し、

引き下がった。




桓玄既篡位,將改置直館,問左右:「虎賁中郎省,應在何處?」有人答曰:「無省。」當時殊忤旨。問:「何以知無?」答曰:「潘岳秋興賦敘曰:『余兼虎賁中郎將,寓直散騎之省。』玄咨嗟稱善。


桓玄の既に位を篡いたるに、將に直館を改置せんとし、左右に問うらく:「虎賁中郎が省、應に何處に在すべきや?」と。有る人は答えて曰く:「省無し」と。時に當り、殊に旨に忤る。問うらく:「何をか以て無きを知りたるか?」と。答えて曰く:「潘岳の秋興賦に敘して曰く:『余は虎賁中郎將を兼ね、散騎の省に寓直す』と」と。玄は咨嗟し善しと稱う。


(言語107)




秋興賦


晉十有四年、

余年三十二始見二毛。

 晋朝がなって14年、

 私も32歳となった今、

 ついに白髪が出てきてしまった。


以太尉掾兼虎賁中郎將、

寓直散騎之省。

 太尉付きの近衛隊長として

 散騎常侍の詰め所に配備された。


高閣連雲、陽景罕曜。

僕野人也、猥廁朝列。

 高く軒を連ねる宮殿の上には

 雲が連なり、太陽が照り輝く。

 あぁ、俺のような在野のものが、

 なんて畏れ多いところに

 来てしまったのだ。


譬猶池魚籠鳥!

有江湖山藪之思。

 例えるならば庭先の池で飼われる魚、

 籠の中の鳥のような気分だ!

 江湖山藪が懐かしくてならぬ。


於是染翰操紙、慨然而賦。

于時秋至。故以秋興命篇。

 だから、この想いを紙に刻み付け、

 賦として書き残そうと思う。

 間もなく秋となる。ならばこの賦は、

「秋興」と号されるべきなのだろう。



西晋の時代から虎賁中郎は

散騎常侍と共にあったんだから、

わざわざその前例を崩す必要もないよ、

という感じだろうか。


井波先生はこのやり取りを見て

「まー悠長なことやってるね」

と評されてて笑った。


……の、だが。



劉簡之

本文中には名前が出てきていないかれ。劉注の引く劉謙之りゅうけんし晋紀しんき」にて、この建言をしたのが劉簡之だと書かれていたそうである。ところでこれが劉簡之の言とすると大変なことになる。というのもかれ、劉裕りゅうゆうのクーデターに出資した人物なのである。そしてその弟たち、劉謙之りゅうけんし劉虔之りゅうけいしは劉裕の部下として働き、特に劉虔之は配下将として司馬休之しばきゅうし戦にて戦死している。つまりバリバリの劉裕シンパが、「桓玄の側にあって、桓玄に助言している」。皇帝のこんな近くに劉裕シンパがいたとか、桓玄様終わってませんかねぇ……?

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