桓玄8  殷仲堪と遊ぶ  

桓玄かんげん殷仲堪いんちゅうかん、いったん清談を始めると

ガンガンやり合っていた。


それが数年もすると、

ひと往復ぐらいで

終了するようになってしまっていた。


あぁ、思索の才能が鈍ったんだろうか。

桓玄がそう嘆じると、

殷仲堪が言う。


「いやいや、あなたが哲理を

 深く理解するようになっただけだよ」




桓南郡與殷荊州共談,每相攻難。年餘後,但一兩番。桓自歎才思轉退。殷云:「此乃是君轉解。」


桓南郡と殷荊州は共に談じ、每に相い攻難す。年餘の後、但だ一兩番のみす。桓は自ら才思の轉じて退きたるを歎じく。殷は云えらく:「此れ乃ち是れ君が轉じて解したればなり」と。


(文學65)




清談の具体的内容が世説新語には一切残っていないもんだから、果たしてこの二人の交した内容が「本当に優れたものになって行った」のか、あるいはただの駄サイクルなのか、正直見当のつけようがない。歴史に残る結果からすればただの駄サイクルにしか見えないわけですけれども。


二人が簡文かんぶんサロンにいたらどうなるか、と言ったところは仮定として面白そうなのだけれども、結局それも「三国志の英雄たちが楚漢戦争の時期にいたらどうだったのか」みたいな話にしかならないしなあ。実はこの二人の清談スキルが先人をはるかに上回っていた、とかだと「まぁけど結局劉裕りゅうゆうにぶっ壊されるんですけどね」のカタルシスがより大きくはなってくれそうなのですよね。



ところで世説新語、全ての条が時系列順に並んでるのに、文學編だけ何故かここで時間軸がリセットされている。これについて調べたところ、文學65までは過去の文学に依拠した話題、文學66以降は当世文学に依拠するものだった。世説新語フォロワー文学「何氏語林」では文学の後に言志カテゴリを設けているので、おそらく言志カテゴリであるっていう表記が削れちゃったんだろう。

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