王恭4  追悼文     

桓玄かんげんが簒奪をなすより前のこと。

かれと手を組んでいた王恭おうきょうが、

司馬元顕しばげんけん劉牢之りゅうろうしのために殺された。


桓玄、江陵こうりょうの高楼に上り、

周囲に向けて宣言する。


「王恭殿のために、追悼文を書こう」


そうして謳い上げた追悼文、

その冒頭は以下のようだ。



 隆安りゅうあん二年九月十七日,

 前將軍せいえん二州刺史太原王孝伯薨。

  401年に亡くなった、

  王前軍将軍を偲ぶ。

 

 川岳降神,哲人是育。

  いにしえより大自然には神霊が宿り、

  哲人たちは育まれていた。


 既爽其靈,不貽其福。

 天道茫昧,孰測倚伏?

  しかし今や神霊はいずこかへと去り、

  その福も絶えて久しい。

  天道は深く、計り知れぬ。

  我々に禍福など、どう占えよう。


 犬馬反噬,豺狼翹陸。

 嶺摧高梧,林殘故竹。

  飼い犬飼い馬は人を噛む。

  豺狼は跳梁跋扈する。

  峰々の青桐は伐採され、

  林間の青竹は踏みにじられた。


 人之云亡,邦國喪牧。

 于以誄之,爰旌芳郁。

  そしていま、あのお方が亡くなり、

  この国から、導き手は失われた。

  ここに追悼文をなし、

  その芳郁なる徳を

  たたえんとするものである。



追悼文自体はここからも続くが、

その内容は残っていない。


ただわかっているのは、

桓玄がこれを歌い上げた後に、

一気呵成に書き上げた、

という事だけだ。


その文辞の秀麗さは、

安帝、つまり桓玄が簒奪した

皇帝の伝記にすら

褒め称えられているほどである。




桓玄嘗登江陵城南樓云:「我今欲為王孝伯作誄。」因吟嘯良久,隨而下筆。一坐之閒,誄以之成。


桓玄は嘗て江陵城の南樓に登りて云えらく:「我、今王孝伯が為に誄を作さんと欲す」と。因りて吟嘯せること良や久しく、隨いて下筆す。一坐なるの閒にて、誄は以て之を成す。


(文學102)




王恭が生きていたとしたら、桓玄の簒奪謀議がどう転がったのか、とかは気になります。最終的には王恭も桓玄に殺されそうな気はするんだけど、桓玄<>王恭、謝琰しゃえんとするとそれだけでむっちゃ面白くない? 龍亢桓氏バーサス太原王氏、陳郡謝氏コンビの対峙再び。


ちなみに追悼文は劉孝標の注に載るもの。「むっちゃなげーから全部は載せません」と書かれている。結果散逸した。まぁ桓玄さんの文章ってヤケに煩瑣で無駄に華美って感じだし、まぁ残ってなくても別に……感はある。

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