郗超13 范啓はクソ2  

范啓はんけい郗超ちちょう

仕事に邁進しているのを見て、

こうおちょくってる。


伯夷はくい叔斉しゅくせい巣父そうほ許由きょゆう

 誰もかれもが動かないことで

 名を知られるようになった。


 だというのにお前はどうだ。

 何をまたあくせくせこせことして、

 しまいには疲れ果てて

 杖に寄りかかるわ、

 ひじ掛けにもたれかかるわ、

 と言った有様じゃないか」


郗超、范啓のこのコメントに対して

特に返答していない。


そこに韓伯かんはくも合流、

こんなふうにからかっている。


「荘子に出てくる包丁が

 肉の切れ目に逆らわなかったのと

 同じように、世の潮流にも

 虚心坦懐でおった方がよかろうに」


そしてやっぱり、

これにも返答していない。



 

范榮期見郗超俗情不淡,戲之曰:「夷、齊、巢、許,一詣垂名。何必勞神苦形,支策據梧邪?」郗未荅。韓康伯曰:「何不使遊刃皆虛?」


范榮期は郗超に俗情の淡からざるを見、之に戲れて曰く:「夷、齊、巢、許、一詣にて名を垂らす。何ぞ必ずや神を勞し形を苦しめ、策もて支え梧に據らんや?」と。郗は未だ荅えず。韓康伯は曰く:「何ぞ遊刃をして皆な虛たらしめんや?」と。


(排調53)




「東晋貴族は仕事をしないことがステータスだった」的な言説、あんま信じる気にはなれんのかったんだけど、こういう言説見かけちゃうと価値観的に存在していたのだなあ、と思わざるを得ない。うーん、なんだかなあ。

郗超としてもこれ、あんまりにも馬鹿馬鹿しくて反応する気にもなれなかったんじゃないかしら。


伯夷、叔斉、巣父、許由

ちょっと世説新語の人たち引用のパターンが決まり切ってませんかね? まぁそれだけこの四人が有名だったってことか。伯夷と叔斉はいんの王族で、しゅうのクーデターに反対してハンストの末餓死した。許由は三皇五帝の時代、ぎょう王から禅譲を持ちかけられた時に「汚らわしい事を聞いた」と耳を洗って隠遁。そんな許由の振る舞いを見て「うっわ堯王キモッ」って同じく引っ込んだのが巣父。


遊刃

清談マンの大好きな荘子そうじからの引用。包丁の語源である凄腕の料理人・包丁ほうていの言った言葉。彼は肉切り職人であったのだが、いくら牛肉を切り分けてもかれの持つナイフは刃こぼれしなかった。どうしてそんなことになるんだ、と聞かれたら「肉の筋目は隙間のようなもんだ。そしてナイフには厚みがない。隙間にナイフを遊ばせているだけだ、刀身に負担なんかあるわけないだろう?」って答えたという。いやいや……。

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