陸機2  潘岳と較ばる  

陸機りくきから下ること約半世紀、

東晋とうしん期の文人である孫綽そんしゃくは、

陸機と潘岳はんがく、この両名の文を

比べたコメントを残している。


いわく。


「潘岳の文はまばゆい絹地のようだ。

 美しい言葉ばかりがある。


 陸機の文は砂中から金を探すかのようだ。

 しばしば文中に宝が埋まっている」


あるいは。


「潘岳の文章は、内容が浅い。

 だがその文辞が美しい。


 陸機の文章は、内容が深い。

 だがその文章は荒れている」




孫興公云:「潘文爛若披錦,無處不善;陸文若排沙簡金,往往見寶。」

孫興公は云えらく:「潘が文は爛として錦を披れるが若くして、善からざる處無し。陸が文は沙を排し金を簡ぜるが若くして、往往にして寶に見ゆ」と。

(文學84)


孫興公云:「潘文淺而淨,陸文深而蕪。」

孫興公は云えらく:「潘が文は淺かれど淨く、陸が文は深かれど蕪し。」

(文學89)




ほぼ同じことを言い換えてるだけ、なのは他のところでもまま見受けられることなのでいいんですが、問題はなんでその二つが離れたところに置かれてるか、になりそうです。で、この間のエピソードをざっと読んでったけど、前者が 335 年あたりで、後者が 375 年あたりの発言っぽい。このタイムラグがどう表現に影響を与えたのか。一つには、四十年の年月が孫綽の表現からぜい肉を削り落とした、とは言えそうである。


この辺り、箋疏では孫綽の才能が中途半端だから「浅くても美しい」ほうが良いと見た、って解釈になってる。うーん、なんかその解釈はいろいろもったいない気がするなあ。

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