名将編

劉琨1  温嶠との別れ  

劉琨りゅうこん 全3編

 既出:元帝11、劉聡、王導3



西晋最後の名将の一人である、劉琨。

だが匈奴漢きょうどかんの強大な勢力に阻まれ、

都である洛陽らくようとは

北に切り離されてしまっていた。


その洛陽も、ついには陥落。

ときの皇帝であった司馬熾しばし

消息不明、という事態に。


戦況は、日に日に悪化していく。

なので部下の温嶠おんきょうに言う。


「我は後漢を立てた光武帝の子孫として、

 断乎として戦い抜かねばならぬ。

 班彪はんぴょう光武こうぶの決起を信じ、

 馬援ばえんは光武に支援を申し出た。


 ならば晋朝のため、我こそが

 今世の班彪、馬援となろう。


 晋朝の徳は衰えたりとは言えども、

 ならば匈奴どもの天下が来たのか?

 それは、断乎として違う。


 温嶠よ、我は河北にて功を建てる。

 卿は江南に赴き、司馬睿しばえい殿を支え、

 かの地より匈奴討滅の軍を起こし、

 晋朝光復の誉れを勝ち取るのだ。


 どうか、我が意を汲んでは下さるまいか?」


分かっている、

劉琨にもはや勝ち目はない。

ならばこそ「晋臣のけじめ」として、

司馬睿をこそ晋の希望と定め、

旗印となってもらわねばならぬ。


だから、有能な副官を司馬睿に遣わせる。

それが今生の別れとなることを、

薄々と察しながら。


なので温嶠も決意し、言う。


「この温嶠、非才寡徳の身。

 偉大なる先人には

 到底及びもつきません。

 そのような大任を務めるには、

 恐懼を禁じ得ませぬ。


 しかしながら劉琨様、

 せい桓公かんこうしん文公ぶんこうが周朝を

 大いに盛り立てたがごとく、

 あなた様もまた、晋朝再建のために

 力を尽くそう、と

 なさっておられるのです。


 どうしてこの私めが、

 己の非才なぞを理由に、賜りたる命を

 辞してなどおれましょうか!」

 

 


劉琨雖隔閡寇戎,志存本朝,謂溫嶠曰:「班彪識劉氏之復興,馬援知漢光之可輔。今晉阼雖衰,天命未改。吾欲立功於河北,使卿延譽於江南。子其行乎?」溫曰:「嶠雖不敏,才非昔人,明公以桓、文之姿,建匡立之功,豈敢辭命!」


劉琨は寇戎に隔閡されたりと雖ど、志は本朝に存す。溫嶠に謂いて曰く:「班彪は劉氏の復興を識り、馬援は漢光の輔たるべくを知る。今、晉阼は衰えたりと雖も、天命は未だ改まらざるなり。吾は河北にて功を立つるを欲す。卿をして江南の譽を延ばしめん。子、其れ行かんか?」と。溫は曰く:「嶠は敏ならず、才は昔人に非ざる雖ど、明公の桓、文の姿を以て、匡立の功を建てんとせば、豈に敢えて命を辭せんや!」と。


(言語35)



光武帝、班彪、馬援

後漢を建てた、中国史上でも屈指の英雄の一人と、その旗下で大きな働きをなした二人。班彪は歴史家として、筆で光武帝を支えた。そして馬援は武将として。二人とも当然のよーに「雲台二十八将」、つまり光武の優れた部下二十八人の中にカウントされてんのかなーと思ったら全然そんなことはなかったぜ。


斉の桓公や晋の文公

このデイリー世説新語で出てきたのは曹操4以来。案外出て来ないもんですねー。いわゆる春秋五覇。周王を凌ぐ権勢を手に入れておりながらも、周に成り代わって王になろうとはしなかった人たちです。まぁぶっちゃけ王なんて別に名乗る価値なかったよねあの時代。



しかし温嶠さん、こんなドラマチックな別れ方をしてきながら、東晋ではあの振る舞いですよ……「劉琨との思い出を振り切るため」なのか、それとも東晋での暮らしが地なのか。まぁ何にせよ一筋縄じゃ行かなくて面白い人物です。


あと「子、其れ行かんか?」の一言が重い。「子」は敬意持てる二人称のほぼ最上級。温嶠に晋の行方、そのすべてを託そうとした劉琨の思いがにじみ出ているかのようで良い。

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