庾亮30 自責の念(笑) 

蘇峻そしゅんの乱のときのお話だ。

ご存じ庾亮ゆりょうさま、蘇峻にブチギレられて

蘇峻軍に建康けんこう城を乗っ取られた。


ご自身はほうほうの態で温嶠おんきょうの元に脱出、

そして温嶠さんは

「この事態を収めるには、

 川犬の手を借りるしかあるまい」

と、陶侃とうかんの協力を取り付けようとした。


さて陶侃さん、長江ちょうこうを下り、

建康に赴こうとする。この時の考えは

「庾亮、殺ス。

 奴ノ首、蘇峻ニ渡ス。

 キット蘇峻、満足」

というものだった。


下流には怨嗟をみなぎらせた蘇峻軍。

上流には殺意の波動をまとった陶侃軍。

あっこれ進退窮まった奴じゃん。

庾亮さま、思考停止する。


すると同行してた温嶠さんが言うのだ。


「いいから川犬にお会いなさい。

 ただし、あなたは遠くから

 拝礼するだけでよい。

 そうすれば万事うまくいく。

 私が保証する」


よくわかんないが、

他に頼れる手立てもない。

意を決し、庾亮さま、陶侃さんに会見。

そして下座からの拝礼。


中央を牛耳ってきた

宰相ともあろうお方が、

川犬ごときに過分な敬いようである。

陶侃さん、不思議に思い、

拝礼を押しとどめる。


「庾亮、ナンデ儂ニ頭ヲ下ゲルダ?」


庾亮さまは答えない。

ただ拝礼をしたままだ。


遂に根負けした陶侃さん、

自ら下座にまで下り、

庾亮さまと同じ高さの席につく。


ようやく顔を挙げた庾亮さま、

まずは自らの失策を語り、

次いで、我が身に罰を与えた。


その上で、陶侃さんに

謝罪するのだった。


ウオッ、思ッタヨリ紳士ジャネーノ。

陶侃、あっさり庾亮さまを許しちゃった。



 

陶公自上流來,赴蘇峻之難,令誅庾公。謂必戮庾,可以謝峻。庾欲奔竄,則不可;欲會,恐見執,進退無計。溫公勸庾詣陶,曰:「卿但遙拜,必無它。我為卿保之。」庾從溫言詣陶。至,便拜。陶自起止之,曰:「庾元規何緣拜陶士行?」畢,又降就下坐。陶又自要起同坐。坐定,庾乃引咎責躬,深相遜謝。陶不覺釋然。


陶公は上流より來たり、蘇峻の難に赴かんとし、令し庾公を誅せしめんとす。謂えらく「必ずや庾を戮し、以て峻に謝すべし」と。庾は奔竄せるを欲せど、則ち可わじ。會せるを欲せど、執わるを見るを恐れ、進むにも退るにも計無し。溫公は庾に陶へ詣でんことを勸め、曰く:「卿は但だ遙拜し、必ずや它無かるべし。我は卿が為に之を保たん」と。庾は溫の言に從いて陶に詣づ。至れるに、便ち拜す。陶は自ら起ちて之れを止め、曰く:「庾元規は何ぞの緣にて陶士行を拜さんか?」と。畢うらば、又た降りて下坐に就く。陶は又た自ら要えて同坐に起つ。坐の定まるに、庾は乃ち咎を引きて躬を責め、深く相い遜謝す。陶は覺えずして釋然たり。


(假譎8)




鍾雅さん「おいおいいい面の皮だなお前」

(なお既に死亡)


川勝義雄氏の論によれば、中原からもたらされた貴族たちのもたらした「文明」の威力がそれだけのインパクトを伴っていた、というふうにも認識できるよね、というお話でした。呉と言う国が成り立っていたとは言っても、その政態は中原政府に較べるとどうしても未成熟。まして陶侃は地方政府で採用されたたたき上げの、しかも蛮族出身者。そう言う人間が「中原文化の結晶」に頭下げられたら、そりゃやられますよね、的な感じだろうか。

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