謝安66 桓沖の悔悟   

淝水ひすいの戦いの頃。


北から大軍で圧力をかける苻堅ふけんは、

淝水ひすいに自身が向かったほか、桓沖かんちゅうが守る

荊州けいしゅう上明じょうめいにも軍を差し向けていた。


そんな中、都から文が届く。

それは淝水での大勝を知らせるものだった。


桓沖、天を仰ぎ、言う。


「謝氏の小童ども、

 賊を見事に破りおったか」



何せ桓沖、謝石しゃせき謝玄しゃげんでは

守るに心許ない、という事で

三千の援軍を謝安さまに

よこしていたのである。


だが謝安さま、それを

「こちらは大丈夫なので、

 この三千は、あなたのほうを

 守るために使ってください」

と引き返させた。


この事態を受けて、桓沖、

謝安さまの軍略センスを疑いつつ

「このままでは蛮族に

 かしずくことになるではないか」

と、嘆じていた。



自らの見立ては、いい意味で裏切られた。

が、それは同時に

自分の不明を突き付けられた、

という事でもある。


間もなく桓沖は病死した。

失意のゆえである、と言われている。



人々は、この桓沖の悔悟を語る時、

まさしく賢人である、と褒めやそした。


過去に桓沖は、一国の宰相として

国を背負うだけの器ではない、と、

謝安にその座を委ね、

自らは西府軍の長についた、

と言ったことがある。


たとえそれが桓温さまの真の後継者、

桓玄かんげんを庇護するための

動きであったとしても、

結果として長江は桓冲によって守られ、

建康けんこうは謝安謝玄によって守られた。


本人の気持ちがどうであれ、

かれの振る舞いこそが、

前秦より東晋を守ったのだ。




桓車騎在上明畋獵。東信至,傳淮上大捷。語左右云:「群謝年少,大破賊。」因發病薨。談者以為此死,賢於讓揚之荊。


桓車騎は上明に在りて畋獵す。東より信の至るに、淮上の大捷を傳う。左右に語りて云えらく:「群謝は年少なれど、賊を破ること大なり」と。因りて病を發し薨ず。談りたる者は此の死を以て、揚を讓り荊に之きたるより賢しと為す。


(尤悔16)




原文のニュアンスは「桓沖が謝安に宰相の座を譲って、自分が地方に引っ込んだことよりも、謝氏の小せがれどもの器を見抜けずに嘆じたことの方がすごいことだ」となるんだけど、なんつーかそれだと桓沖の評価があまりに低い。ので、本当はこう言うことやっちゃいけないことは知りつつも捻じ曲げて語りました。


つーか左襟って死に装束のことだとばっかり思ってたんだけど、異民族の風習として用いられる語だったのね。

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