謝安50 画聖言行録
「
ほほう。そんなにすごいんですね。
これは半端せずに、一気に
サイキョー絵師、顧愷之マンの振る舞いを
紹介してかねばなるまいね。
何故か頬に三本の毛を描き足した。
なんじゃこりゃ、人が訊ねると
顧愷之は言う。
「この三本の毛が
裴楷の知性を著してるんです」
う……うーん、なるほど……?
ただ、鑑定士が見ると、
その三本の毛があると無しとでは、
知性がまったく違って見えたのだとか。
いちど殷仲堪に断られている。
「私は美しくない。
構わないでくれたまえよ」
殷仲堪はガチャ目で、
本人もそれを気にしていたのだ。
すると顧愷之は言う。
「殷仲堪さまは目のことを
気になされているのでしょう?
ならば任せてください、
目は一度描きますけれども、
その上に白の飛沫を飛ばし、
薄雲に覆わせてしまいますよ」
何故か岩山の元に佇まわせていた。
その理由をある人が訪ねると、
こう答えた。
「謝鯤殿は仰っていたでしょう。
山沢で釣りを楽しむ境地、
これにかけては自信が
ないわけではないよ、と。
であるからには、かのお方は
山沢の中に描かれるべきなのです」
また、人物画を描く時、何年か
瞳を描き入れないでいた。
その理由を問われると、こう答えた。
「外見の美醜を描くことに
絵の真髄はない。
そのひとの真価をいかに映し出すか、
を求めれば、その全体が、
対象者の精神を映し出すのだ」
お……おう?
そんな顧愷之は、
ある時にこぼしている。
「
目送歸鴻、手揮五絃、
と言う句があるだろう。
手ずから五弦の琴を弾く、
これはまぁ、簡単だ。
だが、
北に帰る雁を見送る、
これを描くのが難しい」
謝太傅云:「顧長康畫,有蒼生來所無。」
謝太傅は云えらく:「顧長康が畫、蒼生に來たるは無き所有り」と。
(巧蓺7)
顧長康畫裴叔則,頰上益三毛。人問其故?顧曰:「裴楷俊朗有識具,正此是其識具。」看畫者尋之,定覺益三毛如有神明,殊勝未安時。
顧長康の裴叔則を畫けるに、頰上に三なる毛を益す。人の其の故を問うに、顧は曰く:「裴楷は俊朗にして識の具さなるを有す、正に此れや是れ、其の識の具さなるなり」と。畫を看る者の之を尋ぬるに、定めて益さる三なる毛にて神明を有せるが如くし、殊に未だ安ぜざる時に勝ると覺ゆ。
(巧蓺9)
顧長康好寫起人形。欲圖殷荊州,殷曰:「我形惡,不煩耳。」顧曰:「明府正為眼爾。但明點童子,飛白拂其上,使如輕雲之蔽日。」
顧長康は人が形を寫し起こせるを好む。殷荊州を圖せんと欲せるに、殷は曰く:「我が形は惡し,煩さざるのみ」と。顧は曰く:「明府は正にして眼が為なり。但だ明らかに童子を點じ、白を飛ばし其の上を拂い、輕雲の日を蔽うが如からしめん」と。
(巧蓺11)
顧長康畫謝幼輿在巖石妙。人問其所以?顧曰:「謝云:『一丘一壑,自謂過之。』此子宜置丘壑中。」
顧長康は謝幼輿を畫くに巖石の妙なるに在らしむ。人の其の所以を問うに、顧は曰く:「謝は云えらく:『一丘一壑、自ら謂えらく之れに過ぐ』と。此の子は宜しく丘壑が中に置かるるべし」と。
(巧蓺12)
顧長康畫人,或數年不點目精。人問其故?顧曰:「四體妍蚩,本無關於妙處;傳神寫照,正在阿堵中。」
顧長康の人を畫くるに、或る數年は目精を點ぜず。人の其の故を問うに、顧は曰く:「四體が妍蚩、本より妙處に關せる無し。神を傳え寫し照ぜるは、正に阿堵が中に在り」と。
(巧蓺13)
顧長康道畫:「手揮五絃易,目送歸鴻難。」
顧長康は畫を道えらく:「手の五絃を揮くは易し,目の歸鴻を送るは難し」と。
(巧蓺14)
前人未到の領域を自ら掻き分け、進んでいる印象があります。時々何言ってんだかわかんねえけど。
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