謝安40 裴氏語林    

王献之おうけんし謝安しゃあんさまに質問したことがある。


郗超ちちょう殿と庾和ゆわ殿では、

 どちらが優れておりましょうか?」


すると謝安さまは答えている。


「庾和殿も実に優れた見識を持っている。

 だが、それでも郗超殿のほうが上だな」



そんな庾和と謝安さまとのやり取りである。


謝安さまの元に、庾和が

裴啓はいけいの著した『語林』片手にやって来た。


様々な人の説話が乗った短編小説集、

要は世説新語せせつしんごの先輩的存在だ。

これはいちど世に流通した時、

広く世に流通し、若者たちはこぞって筆写、

誰もが一そろいは持っていた、と言う。


中でも、王珣おうしゅんが書いたと言われている

『王公が酒壚しゅろの下をるの』は

詩藻にあふれている、と評判だった。


それを示し、庾和が言う。


「謝安さまぱねっす!

 なんでも裴啓様に対しては

 わざわざ酒なんぞに頼らずとも

 澄み渡っておれる。

 その人品は悪くないものだ、と。


 支遁しとん様については

 春秋しゅんじゅう時代の名馬鑑定士

九方皋くほうさい」のごとく、

 表向きの些末な情報に囚われず、

 過たず本質を見抜く、と。


 評価されたそうじゃないっすか!

 くぅー、俺もこんなこと

 言ってみたいっす!」


この庾和の発言に、

謝安さまドン引きである。


「いや、言ったことはないぞ?

 裴啓殿の創作だろうそれは」


「えー? マジっすか?

 じゃもしかして、これもなんすかね?」


そう言って庾和が読み上げたのが、

よりにもよって王珣おうしゅんの作品、

酒壚しゅろの下を經るの賦」。


思いっきり仲違いしていた

王珣の作品になど、謝安さまが

どうこう言うはずもない。


その代わり、こうコメントした。


「きみは、何とまぁずいぶんと

 熱心な裴啓信者なのだな……」


この呆れ半分の

謝安さまのコメントが世に伝わり、

『語林』の地位は失墜したそうである。


ちなみに、後の世に伝わる『語林』は、

庾和が持っていたものとは写本の系統が

違ったようで、謝安さまの上記コメントは

収録されていない。




王子敬問謝公:「嘉賓何如道季?」答曰:「道季誠復鈔撮清悟,嘉賓故自上。」

王子敬は謝公に問うらく:「嘉賓は道季とでは何如?」と。答えて曰く:「道季は誠に復た鈔撮せるに清悟たれど、嘉賓は故より自ら上なり」と。

(品藻82)


裴郎作語林,始出,大為遠近所傳。時流年少,無不傳寫,各有一通。載王東亭作經王公酒壚下賦,甚有才情。

裴郎の語林を作すに、始めに出づらば、大いに遠近に傳わる所と為る。時流の年少に、傳寫せざる無く、各おの一通を有す。王東亭の作せる經王公酒壚下の賦が載り、甚だ才情有り。

(文學90)


庾道季詫謝公曰:「裴郎云:『謝安謂裴郎乃可不惡,何得為復飲酒?』裴郎又云:『謝安目支道林,如九方皋之相馬,略其玄黃,取其俊逸。』」謝公云:「都無此二語,裴自為此辭耳!」庾意甚不以為好,因陳東亭經酒壚下賦。讀畢,都不下賞裁,直云:「君乃復作裴氏學!」於此語林遂廢。今時有者,皆是先寫,無復謝語。

庾道季は謝公に詫りて曰く:「裴郎は云えらく:『謝安は裴郎は乃ち惡しからざるべしと謂ゆ、何をか復た飲酒せるを為すを得んか?』と。裴郎は又た云えらく:『謝安は支道林を目すらく、九方皋の馬を相ずるが如し、其の玄黃なるを略し、其の俊逸なるを取る』と」と。謝公は云えらく:「都べて此の二語無し、裴は自ら此の辭を為したるのみ」と。庾の意は甚だ以て好みを為さず、因りて東亭の經酒壚下賦を陳ぶ。讀み畢えるに、都べて賞裁を下さず、直に云えらく:「君は乃ち復た裴氏の學を作さる」と。此れに於いて語林は遂に廢さる。今時に有るは、皆な是の先の寫しにて、復た謝の語無し。

(輕詆24)




庾和

後段踏まえると、前段がものっすげえ皮肉にも聞こえてきますね。つーかプロフィール確認したら庾亮さまの息子ってことじゃないですか。なるほど、前段ってリップサービスとか忖度のたぐいなんですねー。


裴啓

この人の書いた「語林」こそが、まさしく世説新語の原型らしい。

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=547663

今度ばっちり読んでみたいところです。

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