謝安39 書聖の矜持   

謝安しゃあんさま、王献之おうけんしに聞く。


「貴方は、父上とご自身の書の違いを、

 どのように認識されている?」


王羲之おうぎしと王献之は、その書の腕前を

当代トップと並び称されている。


と言っても王献之、

内心では自分の方が上だ、

と言う矜持を抱いていた。


が、そんなことを

大っぴらに言うのもはしたない。


なので控えめに、こう言った。


「同じ、ではありませんね」


すると謝安さま、こう返す。


「そうなのかね? 外では、

 並び称されているではないか」


あーこれ、分かってますよ。

分かってやってるやつです。


だから、王献之もこう返す。


「はて、外部の人間が

 我らの何を知るのでしょうね?」




謝公問王子敬:「君書何如君家尊?」答曰:「固當不同。」公曰:「外人論殊不爾。」王曰:「外人那得知?」


謝公は王子敬に問うらく:「君が書は君が家の尊とでは何如?」と。答えて曰く:「固より當には同じからざらん」と。公は曰く:「外なる人の論にては、殊に爾らじ」と。王は曰く:「外なる人に那んぞ知りたるを得んや?」と。


(品藻75)




王献之のバリバリのプライドが感じられてよいですね。ところで王羲之と王献之と言えば、有名なのは



羲之往都,臨行題壁。子敬密拭除之,輒書易其處,私爲不惡。羲之還,見乃嘆曰:「吾去時眞大醉也!」敬乃內慚。


王羲之は都に行くと、壁に書を書き残した。王献之は密かにそれを拭い去ってしまうと、同じところに自分の書を書いた。自分では父親に劣らないものであると自負していたが、後日王羲之が現場に戻ってきたら文字を見てこう嘆いたという。「わしはあの時、何と酔ってしまっていたのだろうか!」と。それを聞いた王献之は大いに恥じた。


孫過庭そんかてい書譜しょふ」より)



ってエピソードですが、これ世説新語に載ってないんですよね。上げてる書は唐代に成立したもの。おそらく、この辺のエピソードにヒントを得て創作されたんだろうなあ。晋書にも載ってなかったし。

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