謝安31 先人を語る1  

永嘉えいかの乱の難を逃れるため

長江を渡ってきた名士の一人に、

鄧攸とうゆう、と言う人がいる。


この逃避行の中、鄧攸の同道には

妻と子、そして弟の子、鄧綏とうすいがいた。


鄧攸の弟は早くに死んでいる。

そのため、鄧攸が鄧綏を

親代わりとして育ててきたのだ。


さてこの逃避行で、一行は盗賊に襲われ

物資、食料に困窮した。

食い扶持を減らさないことには

どうしようもない。


そこで鄧攸が取ったのは、

我が子を捨てる、であった。

弟が死んだ以上、弟の血統は

鄧綏しか継げる者はいない。

しかし、鄧攸の血統は、

難を逃れてから、また子を作ればいい。


子を手放さねばならぬ事を、

妻は大いに泣きながらも、承諾した。


また捨てられた子も、

泣いて親に追いすがろうとする。

だが鄧攸、遂にはその子を

木に縛り付け、立ち去った。


このようないきさつを経て、

何とか江南に逃れ得た鄧攸。

そこで改めて子作りに励むも、

夫人が懐妊する気配は一向にない。


なので鄧攸は

一人の若い妾を囲うようになった。

何年かしたのち、その妾に出生を訪ねる。

すると、妾は実に具体的に語るではないか。


「私は北来の血筋で、

 中原が乱れるに際し、我が父母は

 南方に逃れて参りました」


しかも父の名前を聞けば、何と、

あの鄧綏だと言う。


鄧攸は元々有徳のひとである。

その言動にも常に落ち度なく、

その徳望ゆえに石勒せきろく李矩りきょと言った、

当時でもヤバいクラスの奴らからすら

尊敬を得たりもしている。


そんな彼が、同族に

子をなさせようとしてしまった。

大いに徳に悖る行いを

為してしまったことに気付いた鄧攸は、

臨終の時まで大いに悲嘆にくれた。

そしてもはや、子は求めなかったという。



そんな鄧攸について、謝安さま、

こう嘆じている。


「天地に情けというものはないのか。

 何故彼ほどの者に、ふたたび

 子をもうけさせなかったのだ」




鄧攸始避難,於道中棄己子,全弟子。既過江,取一妾,甚寵愛。歷年後訊其所由,妾具說是北人遭亂,憶父母姓名,乃攸之甥也。攸素有德業,言行無玷,聞之哀恨終身,遂不復畜妾。

鄧攸の始め難を避くるに、道中にて己が子を棄て、弟が子を全うす。既にして江を過れるに、一なる妾を取り、甚だ寵愛す。年を歷たる後に其の由とせる所を訊くに、妾は具さに是れ北人の亂に遭えるを說き、父母が姓名を憶ゆ。乃ち攸が甥なり。攸は素より德業有り、言行に玷くる無かりせば、之れを聞くに身の終まで哀恨し、遂には復た妾を畜わず。

(德行28)


謝太傅重鄧僕射,常言「天地無知,使伯道無兒」。

謝太傅は鄧僕射を重んじ、常に言えらく「天地に知無きや、伯道をして兒なからしむ」と。

(賞譽140)




唐撰晋書とか、清代の注釈者余嘉錫よかしゃくは、「そこまで外道な真似して子供捨てるとかおにちくだろアホか」とかツッコミ入れてて楽しい。「当時の価値観を現代の価値観から判断しても仕方ない」のお作法を房玄齢ぼうげんれい軍団とか近世の大学者がぶち抜いてくださっているのを見ると、何と言うか、心安らぎます。俺もこの先、容赦なく二十一世紀的観点から晋代の名士をぶった切りますね!(そっちじゃない)


ここをもう少し広げてくと、謝安のコメントが「南朝」的で、唐撰晋書の史官のコメントが「北朝」的であった、と考えるのもいいのかもですね。更に顔氏家訓がんしかくんと照らし合わせていくと面白そう。なお晋書史官コメントはこちら参照。

http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20150426/1429986859


晋書では、他にも「妾の身元明らかにしねーで囲ったのかよ」「しかも数年後とかバカだろ」「そりゃオメー子供ができなかったのは天罰だ、天はよくご存じなんだよボケ」とかずばずば切りまくってて楽しい。

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