謝安11 我が子を想う
甥の
謝家の子弟らに講義をするためである。
四、五歳になったこのときの謝朗、
ようやくあげまきを結えたかと思えば、
病にかかり、しばし床に臥せっていた。
病み上がり間もなくであったので、
支遁の講義を受けるのもやっとの有様。
この様子をはらはらと見守っていた
謝朗の母親、
その危うげな様子を見て、遂に耐えかね、
召使いに命じ、謝朗を連れ帰ろうとする。
せっかく支道林どのに
お見え頂いているのに、
そんなことはできない。
謝安さま、この要望を突っぱねた。
すると王綏、今度は自らが出てきた。
「私は、若き頃に家族を喪っております。
この子こそが、何よりの生きがい。
どうか、奪ってくださいますな」
涙ながらに訴えると、謝朗を抱き上げ、
帰宅してしまうのだった。
あとに残された謝安さま、
同席した者たちを見まわして、言う。
「義姉上のお言葉、その思い。
子を想う母の強さとして、
広く知られるべきであろう。
朝廷の者ものに見せられぬのが、
ひどく残念でならん」
林道人詣謝公,東陽時始總角,新病起,體未堪勞。與林公講論,遂至相苦。母王夫人在壁後聽之,再遣信令還,而太傅留之。王夫人因自出云:「新婦少遭家難,一生所寄,唯在此兒。」因流涕抱兒以歸。謝公語同坐曰:「家嫂辭情忼慨,致可傳述,恨不使朝士見。」
林道人は謝公を詣でる。東陽は時にして始め總角たれば、新たに病より起つるも、體は未だ勞に堪えず。林公と講論せるも、遂には相い苦しむに至る。母の王夫人は壁の後ろに在し、之を聽きて再び信を遣わせ、還らしむ。而して太傅は之を留む。王夫人は因りて自ら出でて云えらく「新婦は少きに家難に遭ず。一なる生、寄りたる所は唯だ此の兒に在り」と。因りて流涕し、兒を抱きて、以て歸す。謝公は同坐に語りて曰く「家が嫂の辭情忼慨、傳述を致す可し。恨むらくは朝士をして見せしめざるを」と。
(文學39)
王綏
なんか旦那よりも出番多くないですかねぇ……?
つーかこれ、謝安さまが
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