王導33 衛洗馬を悼む  

美男子の誉れ高かった

衛玠えいかいは312年に死去。

かれの死に際し、謝鯤しゃこんは慟哭。

その凄まじさは、道行く人々すら

感動するほどであった。



生前の衛玠に対し、王導おうどうは言っていた。


「見るからに君は身体が弱そうだ。

 のんびりとこそしているものの、

 それでもなお服すら重そうだな」



とは言え王導、衛玠との日々は

かなり思い出深かったようである。

330年ころ、衛玠の陵墓が移転される。


この時丞相じょうしょうの地位に就いていた王導、

以下のように宣べている。


「衛玠どのは厚く祀るべきであります。

 あのお方こそ、風流の極み。

 わたくしは過去に、

 彼とよしみがございましたが、

 この国内を見渡しても、

 あれほどのお方も

 そうはおりませんでした。


 なので、現在の薄葬を

 改めてやりたく思うのです」




王丞相見衛洗馬曰:「居然有羸形:雖復終日調暢、若不堪羅綺。」

王丞相は衛洗馬に見えて曰く「居然たるに羸の形有り。復た終日暢を調うと雖も、羅綺に堪えざるが若し」と。

(容止16)


衛洗馬以永嘉六年喪。謝鯤哭之、感動路人。咸和中、丞相王公教曰:「衛洗馬、當改葬。此君風流名士、海內所瞻。可脩薄祭、以敦舊好。」

衛洗馬は永嘉六年に以て喪ず。謝鯤の之を哭せるに、路ゆく人は感動す。咸和中、丞相の王公は教じて曰く「衛洗馬は、當に葬を改むべし。此の君、風流の名士なれば、海內の瞻る所なり。薄祭を脩め、以て舊好を敦くすべし」と。

(傷逝6)




衛玠

中国では古代の五大美男の一人としてカウントされているらしい。つーか画像に慕容沖ぼようちゅうと同じ画像が出てくるとかどーゆーことよ。永嘉えいかの乱に際して避難しようとしたが、病が篤くなり移動の前に死んだ。

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