王導4  謝罪行脚を見舞う

王敦おうとんの兄、王含おうがん

光祿勳こうろくくんの地位にあったが、

王敦が反乱を起こして姑孰こじゅくに陣を張ると、

王含は職務を放棄、王敦に合流した。


親族の謀叛と言う事態を受け、

王導おうどう、宮殿に日参しては謝罪の毎日。

部下たちもなんとか見舞いの声を

掛けようとしたが、

何せいきなりのことである。

上手く掛ける言葉が見つからない。


この当時、顧和こわは王導の部下だった。

そこで王導に向け、手紙をしたためた。


「王含殿もここにおっては、

 さぞ周囲よりの指弾も甚だしい事で

 ございましたでしょう。

 であれば、遠くに逃れられるのも、

 やむなきことかと存じます。


 そのような中、王導さまは

 敢えて指弾に晒されつつも、

 謝罪のため参内なさっておられる。


 我々とて心落ち着かぬ

 日々ではございますが、

 王導さまのお加減もまた心配です」




王敦兄含為光祿勳。敦既逆謀,屯據南州,含委職奔姑孰。王丞相詣闕謝。司徒、丞相、揚州官僚問訊,倉卒不知何辭。顧司空時為揚州別駕,援翰曰:「王光祿遠避流言,明公蒙塵路次,群下不寧,不審尊體起居何如?」


王敦が兄の含は光祿勳と為る。敦の既に逆を謀り、南州に屯據せるに、含は職を委て姑孰に奔る。王丞相は闕に詣で謝す。司徒、丞相、揚州の官僚は問訊せんとせるも、倉卒なれば何ぞの辭をも知らず。顧司空は時に揚州別駕と為る。翰を援りて曰く「王光祿は遠きに流言を避く。明公は塵を蒙る路に次す。群下は寧らかざれど、尊體が起居の何如は審らかならず」と。


(言語37)




王含

この乱のあと処刑されてます。


顧和

呉旧来の名族の一人。ところでこの人の書いた文言、「蒙塵」は元々皇帝が変事において避難する言葉だったりするし、「尊體」なんてな注釈がつかなきゃもれなく皇帝の肉体のこと指すようにもなるしで、いろいろ危ういんですけど大丈夫なんですかね。まぁこの辺は上司に対する部下の尊敬語ってことでもいいのかもしれないけどさ。

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