李勢2  蜀平定     

桓温かんおんさま、しょくを平定!


成都せいとにて桓温さまが、宴席を設けた。

蜀の名士たち、皆この宴に参加する。


さて桓温さま、宴席で演説する。

もともと豪壮なたちではあったが、

しかしこの日の声は、

いつにも増して際立っていた。


「古来より、物事の成否は

 人材の有無がキーとなる。

 そして、それらの才覚こそが

 国家の存亡をも占うのだ」


その演説の豪放磊落さに、

人々は感嘆した。


宴会が解散しても、まだ人々は

いや、さっきの桓温さま凄かったわ、

と話している。


この様子を見て、

王敦おうとんさまに仕えていた周馥しゅうふく

やれやれと言う。


「全く、王敦さまを知らぬのであれば、

 あの小僧っこを持てはやすのも

 やむなきか」




桓宣武平蜀,集參僚置酒於李勢殿,巴、蜀縉紳,莫不來萃。桓既素有雄情爽氣,加爾日音調英發,敘古今成敗由人,存亡繫才。其狀磊落,一坐嘆賞。既散,諸人追味餘言。于時尋陽周馥曰:「恨卿輩不見王大將軍。」


桓宣武は蜀を平らぐらば、參僚を集め酒を李勢が殿に置く。巴蜀の縉紳に來たり萃まらざる莫し。桓は既にして素より情は雄にして氣の爽たる有り、加えて爾の日の音調は英發なり。「古今の成敗は人に由り、存亡は才に繫ぐる」と敘す。其の狀の磊落たるに一坐は嘆じて賞す。既にして散ずるに、諸人は餘言を追味す。時にして尋陽の周馥は曰く「卿輩の王大將軍を見ざれるを恨むるなり」と。


(豪爽8)




周馥

王敦の属官として働いていた、という事だが、祖父の名は周撫しゅうぶ、父が周楚しゅうそとなっている。しかし晋書を読むと王敦に仕えていたのは周撫。いやちょっといろいろ調べ方雑じゃないっすかね劉孝標先生!? まぁ、一応孫がじっちゃんからさんざん王敦さまかっけえを言い聞かされていた、と言う解釈はできるけど。なお晋書に周楚の息子は周瓊しゅうけいのみが載り、周馥はいない。一応いるけど 311 年には死んでる。なんだこれ。

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