簡文18 劉惔さんのこと 

簡文かんぶんさま、郗超ちちょうに語ったことがある。

劉惔りゅうたんはやや言い回しに難があるが、

 内容に踏み込んでみると、

 決して誤ったことは言わぬのだよ」


また、このように言ったこともあった。

「劉惔の言葉は朴訥だよ。

 だが、そこにはぶれぬ芯がある。

 たとえ大いに酔っていたとしても、

 彼の言葉がよれることはあるまい」



さてそのように劉惔を評する

簡文さまであるが、一方では同時代人の

許詢きょじゅんから、以下のように評されている。


嵆康けいこうの著した曲にうたわれる句がある。


 この曲が言う

『この曲は真髄に達したものでなければ

 精密な解析はできないだろう』

 とは、劉惔のような人間だと思われる。


 また、同じく言う

『この曲は深淵に届いたものでなければ

 その境地に接することは叶うまい』

 とは、司馬昱しばいく様のようなお方であろう」




簡文語嘉賓:「劉尹語末後亦小異、回復其言亦乃無過。」

簡文は嘉賓に語るらく「劉尹が語の末後は亦た小さきに異あれど、回り復さば其の言には亦た乃ち過てる無し」と。

(賞譽118)


簡文云:「劉尹茗柯有實理。」

簡文は云えらく「劉尹は茗柯なれど實理有り」と。

(賞譽138)


許玄度言:「琴賦所謂『非至精者不能與之析理。』劉尹其人。『非淵靜者不能與之閑止。』簡文其人。」

許玄度は言えらく「琴賦に謂える所の『精に至らざる者に之の析理せるを與う能わず』は劉尹其の人なり。『淵に靜まらざる者に之の閑止せるを與う能わず』は簡文其の人なり」と。

(賞譽111)




清談サロンの内輪ぼめ合戦、みたいな雰囲気を感じちゃって仕方ないわけですけれども。けどまぁ、劉惔と言うひとのありようはなんとなく見えてくる感じですね。


ここに周顗しゅうぎの「鈍重な牛」評を重ねると、軽率な発言はしない(でもちょっと妙な言い回しする)慎重な人、と言う像が結べてくる。この辺りの評価を、他の劉惔登場エピソードにうまく生かしていきたいものだ。



茗柯

茶の芽とされるが、音から「酩酊状態」として隠喩されることもあるんですって。わかるかンなもん。

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