簡文17 次代の庾氏   

庾亮ゆりょうの甥、庾統ゆとう

彼を見て、簡文かんぶんさまは

「飾り気がなく、さっぱりとしているね」

と褒めた。


また謝尚しゃしょう

「良い意味で朴訥だ。

 二心なく忠実な働きをするだろう」

とコメント。


そしてこの庾統、そもそも庾氏の家中でも

ものすごい期待がされていた。

元々世の庾氏兄弟への評判と言えば、


「庾亮は豊作の年を

 さらにきらびやかなものとする宝玉、

 庾翼ゆよくは凶作の年に、飢餓にあえぐ

 人びとを救う穀物のような存在」


というものであったが、

他ならぬ庾亮が、庾統を

「豊作の年の宝玉なら、統だ」

と語っていたのだ。


そんな庾統が、弟たちとともに

呉郡ごぐんを旅行した。

やがて日も暮れてきたため、宿を探す。


宿は、あった。

しかし既にどうでもいい者たちが

ひしめき合っている。


弟たちが先に宿に入ったが、

彼らはまるで気にも留めようとしない。


「どれ、じゃあ私も入ってみようか」


庾統、そう言って杖をつき、

侍従の子を一人連れ、宿に入った。


すると人々は、その見事な姿に

恐れおののいたそーである。



なお夭折した。




簡文目庾赤玉:「省率治除。」謝仁祖云庾赤:「玉胷中無宿物。」

簡文は庾赤玉を目すらく「省率治除」と。謝仁祖は庾赤玉を云えらく「胷中に宿す物無し」と。

(賞譽89)


世稱庾文康為豐年玉、稺恭為荒年穀。庾家論云:「是文康稱恭為荒年穀、庾長仁為豐年玉。」

世は庾文康を稱うるに豐年の玉と為し、稺恭を荒年の穀と為す。庾家の論にて云えらく「是れ文康は恭を為荒年の穀と稱し、庾長仁を豐年の玉と為す」と。

(賞譽69)


庾長仁與諸弟入吳,欲住亭中宿。諸弟先上,見群小滿屋,都無相避意。長仁曰:「我試觀之。」乃策杖將一小兒,始入門,諸客望其神姿,一時退匿。

庾長仁と諸弟は吳に入り、亭中に住まりて宿せんと欲す。諸弟は先に上り、群小の屋に滿つるを見るも、都べて相い避くるの意無し。長仁は曰く:「我れ、試みに之を觀ん」と。乃ち杖を策し一なる小兒を將い、始めて門に入り、諸客は其の神姿を望まば、一時にして退匿す。

(容止38)




庾統

父親庾懌ゆたく(亮・冰・翼の更に弟)は、晋書によると「成帝3」に登場した、帝に扇を送った庾翼、実はこの人です、とのこと。おいなんだよこのグダグダ取材。ともあれ宮中で政敵を毒殺しようとしてバレて処刑されるという惨めすぎるラストを迎えた。その分息子には期待がかけられたんだろうが、二十九歳で死んじゃえば何にもできないですよね。その後の庾氏は、宮中ではあんま際立った存在ではなくなった。


謝尚

陳郡謝氏。なんか地味なところでの初登場になっちゃいましたね。謝安しゃあんのいとこで、どちらかと言えば将軍としての働きが目立つ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る