簡文10 副官王濛の願い 

東陽とうようと言う町を治めていた、山遐さんか

かれの施政はとにかく苛烈だった。


さて、そんな山遐が

東陽を去ることになった。


すると簡文かんぶんさま帝の副官だった王濛おうもう

東陽太守に名乗りを上げる。


「山遐の苛烈な統治の後には、

 私のような人間のなす、

 温和な統治が良いでしょう」


とのことだ。



だが、この名乗りには別の側面があった。


と言うのも王濛、簡文帝の下で

激務をこなす中で疲労がたたり、

病を得てしまったのだ。


そこで、職務が軽くなる地位を求めた。


しかし簡文さま、これを却下する。

「まだまだわしを助けてほしい」

という事なのだろう、が。


間もなく王濛、病が重くなる。

事ここに至り簡文さま、ようやく悟る。


「ああ、これではわしが

 王濛を殺すようなものではないか!」


こうしてようやく

東陽転出の辞令が下りたが、

時すでに遅し。

間もなく王濛は病死する。


臨終の際、王濛は言った。


「皆が司馬昱さまを

 愚か、愚かと言っていものだが。


 まさか、その愚かしさを、

 このような形で味わうことになるとは!」




山遐去東陽。王長史就簡文、索東陽云:「承藉猛政、故可以和靜致治。」

山遐は東陽より去る。王長史は簡文に就くるに、東陽を索めて云えらく「猛政を承藉せるは、故より和靜を以て治を致すべし」と。

(政事21)


王長史求東陽。撫軍不用。後疾篤臨終、撫軍哀嘆曰:「吾將負仲祖!」於此命用之。長史曰:「人言會稽王痴。真痴!」

王長史は東陽を求む。撫軍は用いず。後に疾の篤かるに、終に臨み、撫軍は哀嘆して曰く「吾れ將に仲祖に負かんとす」と。此れに於いて命じ之を用う。長史は曰く「人は會稽王を痴と言う。真に痴なり!」と。

(方正49)




山遐

竹林七賢山涛さんとうの孫。あんまり詳しい伝はない。


王濛

だいたいここに書いた通り。しかし本文に書いてない背景をすっぽかして読むと、我儘な副官と簡文さまがケンカした、位の感じに映るよね。なんだろう、世説新語のスタンス、相当念入りに簡文さまを叩きたいのかな。何せ「疾」字、他んとこでちょくちょく「疎んじる」意味で使われてるものね。

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