成帝1  臣下の仇    

成帝 司馬衍しばえん 全2編



蘇峻そしゅんの乱において、

蘇峻サイドで大きな働きをした人がいた。


ひとりは任譲じんじょう

成帝によく仕えた鍾雅しょうが劉超りゅうちょうを捕え、

「余の侍中らを解放せよ!」

と泣いて叫ぶ成帝の前で斬り殺した人物だ。


このひとは陶侃とうかんと旧交があった。

陶侃、なんとか彼を救いたいと思っていた。


そしてもうひとりは許柳きょりゅう

名将祖逖そてきの娘婿に当たる。

「名将の流れを汲む者」として、

蘇峻軍の旗頭的立場にあった。


このひとの息子、許永きょえい

非常に優れた人物であった。

このひとを処刑してしまうと、

許永も連座となってしまう。

なので、許永を奇とする者たちは

どうにか許柳も救いたい、と考えていた。


さて、ここで考える。

許柳を救う、と考えれば、

同じくらいの罪状となる任譲も救わねば

つり合いが取れない。

でなければ、陶侃が納得しないだろう。


あの任譲である。

成帝おん自らぶっ殺しても

飽き足らないであろう、あの。


仕方がない。

許柳と一緒に、任譲の救命嘆願も、

併せて成帝に提出する。


成帝は仰る。


「我が侍中を殺した者を助けよ、と?

 許せるはずがなかろう!」


でーすーよーねー。


嘆願の難易度が、任譲を加えたことで

思いっきり跳ね上がったのは

もう、どうしようもない事だ。


結局二人とも、処刑された。




成帝在石頭。任讓在帝前、戮侍中鍾雅、右衛將軍劉超。帝泣曰:「還我侍中!」讓不奉詔、遂斬超、雅。事平之後、陶公與讓有舊、欲宥之。許柳兒思妣者至佳、諸公欲全之、若全思妣、則不得不為陶全讓。於是欲并宥之。事奏、帝曰:「讓是殺我侍中者。不可宥。」諸公以少主不可違、并斬二人。


成帝は石頭に在り。任讓は帝が前に在り、侍中の鍾雅、右衛將軍の劉超を戮す。帝は泣きて曰く「我が侍中を還せ」と。讓は詔を奉らず、遂には超と雅を斬る。事平がるの後、陶公は讓と舊有らば、之を宥さんと欲す。許柳が兒の思妣なる者の至りて佳なるに、諸公は之を全きにせんと欲す。若し思妣を全きにせば、則ち陶の讓の全きをも為さざるを得ず。是に於いて之を宥さんと欲すと奏ず。帝は曰く「讓は是れ我が侍中を殺せし者なれば、宥すべからじ」と。諸公は少主に違うべからざれば、并せて二人を斬る。


(政事11)




成帝(「崔浩先生」より)

明帝の息子。わずか四歳で皇帝に即位している。つまり蘇峻の乱の時には六歳。北に石勒せきろく、国内では蘇峻の乱、と、もう最悪な時期に皇帝になったと言える。22歳と言うあまりにも早い死も過大なストレスのせいなのではないか。しかしながら内乱平定ののちは北伐が幾度も起こっているので、翻して見れば国力の底上げには成功していたりもする。明帝、成帝辺りが長生きできていればもしかして、と言う観測は、捲土重来を国是とする東晋にとっては縋りつきたいおとぎ話だろうとも思われる。


任譲

蘇峻の乱の幹部。こてこての悪役過ぎて笑った。


鍾雅

当然のように鍾会しょうかいさんの一族。次の劉超とワンセットで成帝さまの護衛役としての名が残る。


劉超(「崔浩先生」より)

東晋朝の近衛隊長。元帝そっくりの筆跡で字が書けるだとか、王敦おうとんの乱辺りで一人元帝を守ったとか、蘇峻の乱では流亡を強要された成帝にそのさ中講義をするとか、元帝からの褒賞はだいたい固辞して私財を抱え込まないようにしていたとか、なにこの文武修身あらゆる面においてハイスペックなおじさんは、という印象である。東晋の腐れ貴族どもを眺めていると、この人の存在が途轍もない清涼感を伴って際立ってくる。その最期が蘇峻の魔の手から成帝を助けようとした末の策謀失敗。報われない。美しい。


許柳、許永

許允きょいんさんの孫とひ孫である。まさかの許允さん(注で)再登場。

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