第7話 終章
「旦那。鞍家の旦那」
後ろから呼びかけられて、小典は振り向いた。
「勘三か。その後どうだ」
あの勘三宅での料理騒動から、三日ほどたっていた。小典は、その後、すぐに別の事件で、忙殺されていたため、勘三と会うのはあの日以来であった。風の噂で、うまく解決したと聞いてはいたのだが。
「へい。おっかあも女房の菊もえらいご機嫌で」
「それはよかった」
「黒葛様からいただいた紙をことあるごとに長屋中の人に見せびらかしてます。『あたしゃ、京の包丁式なんチャラの偉いお方から認められた』ってね」
笑う勘三を見て、小典も嬉しくなった。
「ただ、ぼら料理がえらい多くはなりましたがね」
勘三と小典は顔を見合わせて笑った。
ひとしきり笑い合うと、勘三は「では」といって離れていった。
「上手くいったようね」
「桃鳥様!?いらしたんですか」
いつの間にか桃鳥が横にいた。
「勘三から自宅に酒が届いていたわ。あなたの家にも届くんじゃない」
桃鳥も小典と同じで、別の事件に忙殺されていたはずだ。
「まつ殿と菊殿は、真鳥川魚袋さまの書状をたいそう喜んでおられるそうです」
小典は、かつらに付け髭までして登場した桃鳥をからかうように言った。
しかし、桃鳥は、すました顔で
「それはそうでしょう。なにせ実在する包丁式真鳥川流の家元からのお墨付きなんだもの」
とさらりと言った。
「え!?真鳥川流は実在するんですか。しかも家元って……桃鳥様がですか?」
小典は驚いた。あの包丁式真鳥川流なるモノは、桃鳥の思いつきでデタラメだと思っていたからだ。
桃鳥は、頷きながら、
「わたしは嘘はつかないわ。それに、真鳥川流だけではないわ。真鳥川魚袋も実在するのよ」
と言った。
「実在するって……桃鳥様の
変名は、特に珍しいことではない。俳句での俳号、画家や書家などの雅号
その他、芸事などに名を変えるのは、ごく普通のことだ。武士も剣術流派によっては、代々受け継ぐ変名を名乗ることもよくある。
桃鳥は、嫌そうに頷いた。
「元々、母方の家が受け継いでいた流派でね。いろいろあって、母の長男であるわたしが、一応、家元ということになってるのよ。でも、わたしは京にいないから、今は、家元代理ということで叔父が万事取り仕切ってるわ」
黒葛家は、元公家の血筋だという。大々身の旗本なのは知ってはいたが、料理の流派まで受け継いでいるとは、知らなかった。いや、そういえば桃鳥自身のこともまだ謎の部分が多い。黒葛家のこととなれば、ほとんど、といってもいいぐらい知らなかった。
「真鳥川魚袋っていうのは家元が受け継ぐ名よ。でも、
嫌そうに顔を歪めてそう言った。
「そうですか?素晴らしい名だと思いますが」
小典の言葉に、桃鳥の目の奥が光った気がした。なぜか背筋が寒くなった。
「では、あなたに魚の一字を差し上げるわ。これで、明日から、
「ぎょ、魚典?」
「ええ。素晴らしい名じゃない」
「遠慮します」
「遠慮することはないわ」
「けっこうです」
「では、袋のほうを差し上げるわ。
「小典のままでお願いします」
「では、いっそのこと、ところてんはどう?」
「もう、魚も袋も関係ありませんね」
「ああ。そうそう。これも疑問に思っていたんですが」
小典はわざと話題を逸らすように言った。
「なに?」
「最後の見物人たちの手を上げた数です」
料理対決の最後は、見物人たちにどちらかが美味かったか、手を上げさせたのであった。結果は、見事に同数であった。
「ふふん」
意味ありげに笑う桃鳥を見て、
「やはり、あれは……?」
と恐る恐る聞いた。
「さあ。どうだろうね」
桃鳥ははぐらかした。
「ここまできて、内緒ですか?教えてください」
「それは、魚典殿の想像にまかせるわ」
「小典です」
「え?袋典?」
「違います」
「これは失礼致した。ところてん殿」
「わざとですね」
どこか殺伐としている奉行所内の空気の中で、ふたりの会話は、どこまでも楽しげに響いていた。
了
鞍家小典之奇妙奇天烈事件帖~とどのつまり~ 宮国 克行(みやくに かつゆき) @tokinao-asumi
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