第6話 お裁き
「これは」
真鳥川魚袋の箱膳に、竹串に刺された丸い形のものが三つささっていた。
「ぼらのそろばん玉の塩焼きです」
菊が言った。
「そろばん玉?」
真鳥川魚袋が珍しそうに聞いた。
「ええ。ぼらの胃の一部です。そこの部分が、そろばん玉に形が似てるのでそう呼んでます」
確かに、そろばん玉に似ている。
「魚とは思えない食べ応えで美味しいですよ」
真鳥川魚袋は、ひとつを口に入れた。
目をつぶって咀嚼する。
「ほお。これは、また珍味ですなぁ」
真鳥川魚袋は感心したように言った。
「桃……真鳥川さま。どのようなお味なんですか」
小典は聞いた。
鞍家の家では、魚の内臓は、全て捨てている。だから、ぼらのそろばん玉なるモノは食べたことがなかった。
「そうどすなぁ。食感は獣肉に近いが、貝柱のようでもあるなぁ。味は、あっさりしてるがほんのり苦みもあってええ味してはる」
そう言うと、そろばん玉の塩焼きの載った皿を小典に渡した。
「熊吉さんたちに」
わかってはいたが、ガッカリした。これは、食べたかった。
「これは」
真鳥川魚袋の箱膳には、濃い色のタレに浸かったぼらのそろばん玉がのっていた。
「ぼらのそろばん玉の漬け焼きでございます」
まつは言った。
一度、蒸してから、酒や醤油、みりんなどで味付けし、焼いていくのが漬け焼きだ。
「ぼらのそろばん玉は、歯ごたえがありますからねぇ。わたしみたいな年寄りには、漬け焼きがいいんでございますよ」
まつは大口を開けて笑った。
「ふむ」
真鳥川魚袋は一口食べる。
目をつぶって咀嚼している。その間、醤油のいい匂いが小典のところまでとどいてくる。腹が鳴る。
「ああ。これもいい味してはるわぁ」
真鳥川魚袋は、小典にこの皿を渡した。
「熊吉さんたちに」
笑顔が憎たらしかった。
小典が、勘三宅に来た時とは別の緊張感が部屋中を支配していた。
あれほど、ワイワイと騒ぎ立てて飲み食いしていた熊吉たちまでもが、ジッと固唾を飲んで見守っていた。
目をつぶって沈思黙考する真鳥川魚袋こと桃鳥の前に、まつと菊は、緊張の面持ちで座っていた。
すでに、持ち込まれたぼらは一尾残らず料理され、皆の胃袋に納まっている。
誰もが、真鳥川魚袋のお裁きを待っていた。
一体どちらが勝つのか。
その後どうなってしまうのか。
知りたいけれども知りたくない。
皆の気持ちは、ほとんど同じだろう。
沈黙による緊張が、頂点に達したその時、真鳥川魚袋が口を開いた。
「まつはんの料理は、剛のようでいて、その実、柔。経験に裏打ちされた感覚で見事に料理されておます。菊はんの料理は、柔のようでいて、その実、剛。少しずつ経験を重ねながら、そこから逸脱せずに徐々に料理の幅を広げてはります。そして、味付けもどちらも甲乙告げがたい」
皆、拍子抜けしたように互いの顔を見合った。まつと菊も互いの顔を見ていた。
「あ、あの。桃……真鳥川魚袋殿。それは、引き分け、ということですか?」
思わず、小典が聞いた。
真鳥川魚袋は難しい顔をしている。
小典はにじり寄ると、
「桃鳥様、ここまできて、引き分けでは納まりませんよ。皆の顔を見てください」
小声でそう言うと、まつや菊、見物人たちの顔を改めて眺めた。どこか不服そうな表情は隠しようもなかった。
「ふむ。では、同じ料理を食した見物人たちにも決めてもらいまひょ」
真鳥川魚袋こと桃鳥は、そう言って、熊吉たち見物人のほうをむいた。
「えっ!?」
そこにいた真鳥川魚袋を除く全ての人達が声を上げた。
「聞こえましたやろ。わたしと同じ料理を食べた熊吉はんたち見物人にもこの勝負を決めて頂きまひょ」
唖然とする皆を尻目に、真鳥川魚袋は、はっきりとそう言った。
「ど、どうやって決めるのですか」
小典が聞いた。
「簡単なことどす。勝ちと思うほうのお人に手を上げればいいだけ」
そう言うと、
「では、この勝負、まつはんが勝ち、と思うたかた」
見物人たちにむかってそう言った。
キョロキョロと周りを気にしながらも、見物人たちが少しずつ手を上げ始めた。
「さぁ。鞍家はん。数えておくれ」
小典は、土間に降りて数えた。
「一、二、三、四、五、六、七、八……」
念のため、二回数えた。
「数えました」
「では、この勝負、菊はんが勝ち、と思うたかた」
見物人たちが手を上げた。
「一、二、三、四、五、六、七、八……」
小典の動きが止まる。
「どうしました。鞍家はん」
「い、いえ。もう一度、まつ殿から数えさせてください」
「ふむ。ほな、まつはんの料理と思うたかた」
見物人たちが手を上げる。
小典が数える。
「では、菊はんの料理と思うたかた」
見物人たちが手を上げる。
小典が数える。
「では、鞍家はん。結果はどうでした」
真鳥川魚袋の問いかけに、小典は答えた。
「……二十一人と二十一人で同数でした」
その場にいた人々から「おお」とどよめきが起こった。
「どうやら、皆の意見は同じようどすなぁ」
真鳥川魚袋は、まつと菊のほうを向いた。
そして、おもむろに、懐に手を入れると紙と矢立てを取り出した。
皆が注目している中で、サラサラと筆を走らせる。
筆を置いて、紙を掲げた。右と左で一枚ずつある。
〝まつ殿
右の者 包丁式真鳥川流家元 真鳥川魚袋が料理の上手と認めるものなり〟
〝菊殿
右の者 包丁式真鳥川流家元 真鳥川魚袋が料理の上手と認めるものなり〟
とそこには書いてあった。
それをまつと菊、ふたりに渡した。
ふたりはおし抱くように受け取った。
「お二方、お見事でしたなぁ」
真鳥川魚袋の言葉に、ふたりは、一瞬だけ目を合わせて、笑顔を交わし合った。
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