第5話 料理合戦やわ

「旦那。あの真鳥川なんとかって御仁、与力の黒葛様ですよね」

 後ろから小声で聞いてきたのは、勘三であった。

 小典は頷いた。

「ああ。なぜ変装までして桃鳥様がここへ来たのか……」

「旦那も知らなかったんで?」

「まったく知らん」

 小典と勘三がコソコソ話している間にも、土間では、女が忙しく立ち働いていた。土間で動いているのは、女房の菊のほうだ。まつは座ってジッと見ている。最初と同じだ。

 真鳥川魚袋こと桃鳥は、ふたりの動きを興味津々で眺めている。

「桃鳥様」

 小典は、そっと真鳥川魚袋こと桃鳥の後ろから声をかけた。

「桃鳥様」

 明らかに無視している。

 ムッとしたが、一考してみる。

「真鳥川様」

「何かな。鞍家はん」

 笑顔で振り返った。

 小典は、咳払いをして気持ちを切り替える。

「見事な御髪ですね」

「京仕込みどす」

「髭もご立派で」

「いえいえ、関公には遠く及びませぬ」

 関公とは、三国志演義に名高い関羽のことだ。美髯公と呼ばれてもいる。

「包丁式の家元だとは今まで知りませんでした」

「家伝ゆえ吹聴したりしまへん」

「……」

 どこまでも真鳥川魚袋なる人物を貫き通すらしい。

「……では、真鳥川魚袋殿。ほんとうにまつ殿と菊殿で料理比べをなさるおつもりで」

「ええ。そうどす。料理合戦やわ」

 真鳥川魚袋は屈託なく言う。

 小典は、さらに近づき、声を潜めた。

「ですが、どちらかを選べば必ず遺恨が残るのは必定。いくらお奉行様のお墨付きがあるとはいえ、勘三の手前もあります。一体どうなさるおつもりですか?」

 勘三も不安げに見ていた。

「ふふん。そうならないための芝居よ。まぁ見ててちょうだい。悪いようにはしないから」

 囁くように素早くそう言うと小典と勘三に頷いてみせた。

「お待たせ致しました」

 女房の菊が皿と椀を持ってきて、真鳥川魚袋の前の箱膳に置いた。

「ほう。これは」

「ぼらの刺身と潮煮でございます」

 皿には、縁の部分が赤く、身が透きとおった白身の刺身が綺麗に並べられていた。ひとめで生きが良いのがわかる。

「こちらの椀は」

「潮煮でございます」

 薄く濁った汁の中にぼらの切り身が豪快に入っている。潮の匂いが強いが、小典はまつが作った潮煮と匂いが異なっていることに気がついた。何がと問われてもわからないが、明らかに違う。

 無意識にゴクリと喉が鳴った。

「ふん。潮煮とは、あたしにたいする厭味かい」

 まつが口を歪めて言った。

「あまりにぼらが新鮮だったので作っただけです」

 菊がすまして言い返す。

 そうこうしているうちに真鳥川魚袋は、箸で刺身を持ち上げて、じっくりと見ると口に入れた。目をつぶって味わう。

 椀をとるとスッとすする。

「ふむ。これはええ味してはるわ」

 満足そうにそう言うと箸を置いた。一口だけ食べて終わりなのか。いぶかる皆を尻目に、真鳥川魚袋は小典のほうを見た。

「鞍家はん。すまぬが引き戸を開けておくれやす」

「引き戸?はい」

 先程来から、多くの人の気配とガヤガヤ喋る声は聞こえてはいたが、なぜ引き戸を開けるのだろうか。

 疑問に思いながらも小典が引き戸を開けると多くの人が倒れるように家の中に入ってきた。老若男女様々な人々がいる。まだ外に大勢の人が興味深げに中を覗いていた。

「熊吉っちゃん」

「お吉さん」

「いやだよ。梅さんまで」

 勘三、菊、まつがほとんど同時にいった。

「いや。その……なんだ。盗み聞きするつもりはなかったんだけどよぉ。なぁ、みんな」

 四角い顔の職人風の男がばつが悪そうに言った。おそらく、熊吉なのだろう。

「はは。そうそう。熊吉さんの言う通り。盗み聞きするつもりはなかったんだけどね。でも、ねぇ……」

 菊と同じ年格好の女が言った。お吉だろう。

「なんでも、有名な料理の先生が来るってぇ言うじゃないかい。これは興味を持つなってほうがどだい無理な話しだよ」

 梅と呼ばれた女は、開き直って言った。

「それにさっきから美味そうな匂いがしてくるとなりゃ来ないわけにはいかないわなぁ」

 戸口で声が上がった。笑いとともに「ちげぇねぇ」などと賛同する声が上がる。

 どうやら長屋中の住人が見に来ているらしかった。

「そしたら」

 真鳥川魚袋はそう言うと、刺身の皿と潮煮の器を持って、見物している人々のほうへ向かった。

 ぽかんとしている熊吉たちに、皿と潮煮の器を持たすと、

「あたしひとりで食べてしまうんはもったいない。皆も味わっておくれ」

 といった。

「い、いいのかい?」

 熊吉は、キョロキョロと真鳥川魚袋と勘三一家を見た。

「真鳥川さまがそう仰るなら……ねぇ」

「ええ。勘三はどうだい」

「おらぁ。かまわねぇよ」

 一家の許しが出たということで、見物人たちが活気づいた。

「よし!箸持ってくらぁ」

「座る台もいるだろ。持ってくるわ」

 さっそく、刺身をつまみ食いをして、「こりゃ美味い」などと声を上げて、「はしたないねぇ」などとたしなめられるとドッと笑い声がおこった。

 真鳥川魚袋は、座敷に戻って座ると、

「では、次ぎはまつ殿の番どすな。よろしゅうたのんます」

 と頭を下げた。

「ええ。た、だいま」

 さすがのまつも驚いた顔をしたが、すぐに土間へ降りていった。


「これは」

 真鳥川魚袋の皿に少し縮まった薄い白身が並ぶ。

「ぼらのあらいです」

 あらいは、薄く切った身を流水または湯で洗って臭みや脂肪をとり、また水でしめる料理法だ。有名なのは鯉だが、ぼらでもやる。

「ほな、これは」

 真鳥川魚袋が指したのは椀だ。切り身が豪快に入っている。

「鞍家さまにも召し上がって頂いた、まつ特製の潮煮でございます」

 まつは、チラリと菊を見た。菊は、ふん、とそっぽを向いた。

 刺身にあらい、潮煮に潮煮。意地のぶつかり合いである。

 その間にも、真鳥川魚袋は箸であらいを口に入れ、椀の中の汁をスッとすすり、身を一口食べる。

 「ふむ。これもええ味してはるわぁ」

 そう言うと、あらいの皿と潮煮の器を持って、見物人のほうへ行き、熊吉たちに渡した。

 戻った真鳥川魚袋は、菊のほうを向いた。

「さぁ。今度は、お菊はんの番どす」

 皆驚いて唖然としている。

「ま、真鳥川さま。まだ作るのですか」

 菊が聞いた。

「はい。ぼらはまだぎょうさんあります。まつはんと菊はんの知っているかぎりのぼら料理を作ってもらいたいんどす。それとも……」

 と真鳥川魚袋は、意味ありげな視線をまつと菊に送る。

「お二人の料理の腕前はこの程度で」

 これには、さすがのまつと菊もムッとする。

「見損なってもらったらこまります」

「は!こちとら伊達に歳とってないよ。天子さまも驚く料理作ってやろうじゃないか」

 見得を切るふたりに、見物人から歓声が上がる。

 菊は、腕まくりしつつ土間に向かった。


「これは」

 真鳥川魚袋の前にぼらが一尾丸々置かれた。表面に焦げ目とともに塩が振ってある。

「ぼらの塩焼きでございます」

 菊は言った。

 茶色の焦げ目が全体にほどよくついて、身がふっくらとしている。見るからに美味そうであった。小典も魚を焼いたことがあるが、火加減が難しい。

「ほな。いただきます」

 真鳥川魚袋は箸を付けて、身を口に入れる。

 目をつぶって味わう。

「ええ味してはるわぁ」

 そう言うと、

「鞍家はん。これも皆さんに食べてもろて」

 皿を小典に渡した。

 小典は、真鳥川魚袋の言う通りに熊吉たちに皿を渡した。

 熊吉たちはすでに、思い思いの格好で座り、中には、各家から飯やおかず、酒まで持ってきている者達もいる。わいわいと宴会のようになっている。

「では、次は、まつはんの番どすな」

 まつは、頷いて土間へ降りていった。


 

 ぼらの鮨、焼き物、揚げ物、ぼらをまぶしたぼら飯、等々、まつと菊は、つぎつぎに作って、真鳥川魚袋の前に出した。

 日もとっぷりと暮れ、まつと菊は、とうとう最後の料理を真鳥川魚袋の箱膳に出した。



 





 


 





 


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