第4話 真鳥川魚袋 現る

 引き戸が開いて立っていたのは、ひょろりと背が高く、総髪で髭が生えている男であった。

「あっ」

「あっ」

 小典と同時に勘三も声を上げた。

 何事かと、まつも菊も小典たちと男を交互に見る。

「勘三さんいうお宅はこちらでよろしいか」

 再度、総髪の男は柔らかな京ことばで聞いた。

「ええ。そうですが……」

 小典たちが口をパクパクしているのを見かねてか、菊が答えた。

 総髪の男は頷いた。

「突然押しかけてえらいすんまへんなぁ。あたしは、南町奉行であらせられる重藤様に聞いてやってきました。なんでも、料理の是非を決めるとか」

「ええ、まぁ。そんなご大層なもんじゃないですが……」

 戸惑いつつ、菊は答えた。チラリとまつを見た。まつも菊を見た。

 総髪の男は大きく頷くとおもむろに懐から紙を取り出して、掲げて見せた。

 そこには、力強い文字でこう書かれていた。

〝この真鳥川魚袋の裁きが南町奉行重藤図書助公連の裁きと心得よ〟

 最後にお奉行自筆の花押も入っている。

「つまり、この場。この真鳥川魚袋まとりかわぎょたいが預かることになりましたんや」

「えっ!」

 そこに居た全員が驚きの声を上げた。

「そ、それはいったいどういうことですか?桃……」

「これはこれは、南町奉行同心の鞍家小典はん。先程来ですなぁ」

 わざと被せるように、桃鳥、今は、真鳥川魚袋がいった。

「皆さん、驚かれるのも無理からぬこと。実は、あたし、何を隠そう包丁式真鳥川流ほうちょうしきまとりがわりゅうの家元ですねん」

「ほ、包丁……」

 勘三が首をひねった。

 包丁式とは、平安の御代、光考天皇の代に日本料理中興の祖といわれている藤原山蔭ふじわらやまかげによって、新たに体系図けられた四条流包丁式に代表される、料理の礼式、調理法、故実、全てを内包する料理道のことである。

 真鳥川魚袋こと桃鳥は、そうわかりやすく皆に伝えた。

「つ、つまり、偉い方々の料理をされておられる方?」

 まつが聞いた。

「まぁ。そうとっていただいてよろしおす」

 真鳥川魚袋はふんわりと言った。

「そのお偉い料理の先生がなぜ、我が宅に?」

 菊が訝しげに聞いた。

「よくぞ聞いてくれはった。たまたま、お奉行であらせられる重藤様のお宅に寄ったところ、面白き料理対決をされているとの由。あたしは、普段、京にいるゆえ、江戸の料理に疎うてなぁ。勉強がてら見学をと申したところ、是非、その勝負の善し悪しをあたしが決めてもよい、申されてな」

 小典のほうに目をむけた。

「ただ、同心の鞍家殿がすでにお裁きされていた場合は、それまで、とお奉行様からも髙気様からも言われておりましたんどす。ですが、しばし引き戸の外でうかがっていたところ、難儀されているよう見受けられましたので、こうして出しゃばってしまったんどす」

 小典が困っていたのは事実だ。だが、それ以上に真鳥川魚袋などと偽名を使って、しかも変装までして桃鳥がここにいることのほうがよほど驚いた。

「どうやら、鞍家殿にもお許しがでたようなので」

 驚いて声が出ない小典を尻目に、真鳥川魚袋こと桃鳥は勝手に話を進めた。

「これ。れいのモノをここへ」

 真鳥川魚袋が手を叩いて声をかけた。

「へい」

 と戸口から声がしたかと思うと、桶を持った男が入ってきた。

 桶の中には何かが入っていた。ばしゃばしゃと水が跳ねている。銀色のものがせわしなく動いている。

「それは……魚?」

 勘三が呟いた。

 真鳥川魚袋は大きく頷いた。

「そうどす。ここにぼらが入っておます。これから、このぼらを使って、まつ殿と菊殿には、この真鳥川魚袋に料理を作ってもらいます」

 真鳥川魚袋は、皆に向き合っていった。

「その上で、裁きをさせていただきとうおます」

 真鳥川魚袋の顔には満面の笑みが張り付いていた。




 







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