あるミニマリストの感慨、と
高柴沙紀
あるミニマリストの感慨、と
そうですねえ。
こんな私ですが、若い頃はやっぱり、繁華街に買い物に出かけたりもしましたよ?
特に学生の頃なんて、まわりの皆の流れから外れないよう、結構頑張って流行を追ったりもしましたね。
不思議ですよねえ。一日の半分……三分の一ぐらいかしら? 押し込められた教室の空気から浮かないように、皆が知っていることは当然知っていなければいけない、持っている物は同じようにちゃんと持っていなければダメだって。
あれ、やっぱり強迫観念なのかしらね?
そんなもの知らない、いらないって。言い切ってもよかったのにね。
でも、言えないものなんですよねえ。
言ったら、何かに負けて手酷い失態を犯しちゃうような……意味もない見栄を、張らずにはいられないっていうか?
本能的っていうとおかしいけど。人間は社会性の動物だって言いますものねえ。
これでも学生時代から、結構筋金入りのオタクで、周りの子達もそれを知っていたけど。それでも女の子である以上、全く周りの空気に無頓着でいるわけにはいかなかったんですよね。
ええ。娘が今、高校生でね。
大変なんだろうなあ、って思えるぐらいには、まだあの頃の感覚は覚えていますよ。
社会に出てもしばらくは、いろいろレジャーやショッピングに大枚をはたきましたね。
若い娘にとって、お洒落な服や鮮やかな小物、綺麗なアクセサリーは、そりゃもう磁石でもついてるんじゃないかって思うほどには、目を引く物ですもの。
つい、ふらふらっとね。手に入れたくなっちゃうの。
ふふふ。
でもね。昔は、「女がお洒落をするのは、男のためだ」なんて、本気で言うような人がたくさんいましたっけね。
え? 今でも、やっぱりいるの?
「綺麗になることは、男を振り向かせるためだって」?
相変わらずわかっていないものなのねえ。
女が着飾ったり、化粧をして綺麗になろうとするのは、別に異性を獲得するため、ばかりじゃないんですよ。
それに今どき、そんな自分に無理をしてまで高嶺の花……ちょっと違うかしら? ……無理をしなきゃ手が届かないような『いい男』を狙う女の子が、どれだけいるのかしら。
ちょっと綺麗になって、それを褒めてくれるような男の子を選ぶんじゃないかなあ。
今の子は賢いから、身の丈に合った、優しい人を選びそうだと思うけれど。
ああ。そうそう。
だからね、女が綺麗になろうとするのは、別に誰かのためばかりじゃなくて。
持って生まれた自分自身を綺麗に変えることそのものが、楽しいからなんですよ。
だから、ある時ふいに、すっかり満足しちゃう。それ以降は大なり小なり、身嗜み以上の労力はかけなくなるみたいですね。
だから、「お洒落をするのは、男のため」なんてズレたことを、企業のトップが未だに考えてるなら、そりゃあ売り上げも落ちると思いますね。
だって、ズレているんだもの。
ええ。私は結婚してある意味落ち着いちゃったから、そうした服飾に物凄くお金をかけることは、すっかりなくなりました。
でも、今も独身の友人たちも似たようなものですよ?
ある程度、必要なアイテムが揃ってしまったら、わざわざ新しい贅沢品は買わないわ。
もう十分、満ち足りているもの。
それに子供の頃と違って、今は自分の稼ぎで生活を支えているのだから、見栄や強迫観念だけで無駄遣いをするなんて、馬鹿馬鹿しくって。
それでも新しいファッションにお金をつぎ込もうとし続ける人は、単にそちらに興味がある……そういった方面が好きな人なんでしょう。
テレビでグルメ番組をやっているのを見ても、「凄いなあ。美味しそうだな」とは思うけれど、だからって「私も食べたい」とは、あんまり思わないですね。
テレビ局側としては、視聴率さえ取れればそれでいいんだから、問題はないんじゃないかしら。
テレビ番組を見て食べに行こうとする人は、そちらの方面に最初から関心が強い人なんじゃないかと思います。
そりゃあ、服飾の話と違って食べ物の話は老若男女問わず皆の興味を引くでしょうけど、誰もが全員必ず「行こう」とは思わないでしょう?
私も、今でも小説や漫画を読むことは大好きだから、そちらに多少のお金はかけています。
でもねえ。今の出版業界って、物凄くスピードが速いから。
ちょっと前に、ネットで読んで好きだった小説が本になったことがあるんです。
うっかり発売日を見逃していましてね。気が付いて本屋に買いに行ったのが、その二週間後でした。
どこの本屋にもなかったわ。
まあ、判型がちょっと大きなシリーズだったから特に、本屋に長く置いてはおけなかったんでしょうね。
次々に目まぐるしく新しい本が出るから、すぐに店頭から押し出されちゃったのね、きっと。
……いつも思いますね。出版社は、本当に本を売る気があるのかしらって。
ネットでその作品を知っている人が、全員買うわけじゃないんだから。
新規の読者が手に取るチャンスを潰しちゃったら、いつまでたっても読まれは……売れはしないわ。
新しい本を次から次に出したからって、誰かが買おうと思うには、中身を知るチャンスがなくっちゃあ。
数打ちゃ当たる時代じゃあ、ないですよね。そう思いません?
え?
ええ。仕方がないから、ネットの通販で買いました。
その本だけ。
他の本を見る余地なんて、なくなりましたねえ。
ええ。
ミニマリストなんて言えるほど、徹底しているわけではありませんが、今の私は、だから購入する物はずいぶん限定的になったと思いますよ。
流行に踊らされるファッションなんて、必要ないでしょう?
マスコミが囃し立てるようなグルメも、食べたいとは思いません。自分で作った料理や、悪くてもスーパーやコンビニに行けば、それなりの食事は摂れますもの。
本は……こればかりは仕方ないですね。どこかで情報を見つけてから検討して、「これ」と決めた物だけをネットで買うしかないでしょう。
本屋にあるとは、限らない時代ですからね。
もうね。街に出る必要がないんですよ。
物凄いスピードで手を変え品を変え、そんなことにお金を落とさせようとする側に、付き合う気持ちがなくなっちゃった。
自分が好きな物さえ、最初から限定された条件の中から選ぶことになっているのは、少々つまらないけれど。
でも、仕方ないわ。
そうね。それこそ、物語やゲームの中の村人みたいなものかしら。
いいえ。元々、人間の歴史上、そういった時代がずっと続いていて、今までがおかしかったんじゃないかしら。
欧米じゃ、自分の村だけで人は生涯を過ごした、そういう時代が長かったらしいし。日本人だって、似たようなものだったでしょう?
お金を落とすために、わざわざカモになるために、出かけていく必要を感じないんです。
……そうね。一、二年に一度くらい、ちゃんと自分で選んだ旅行先に行くぐらいはしていきたいけれど。
「……それで、俺にどうしろって言うんです?」
読み終えたレポートの束をテーブルに投げ出して、俺は呆れ果てて口を開いた。
目の前で姿勢を正し、大真面目な顔でこちらに対峙している中年の男は、にこりともせずに口を開いた。
「はい。お読みいただいたように、今、国民が急速に『村人』化する傾向が顕著なのです」
ごく限られた自分の周辺のみで生活の基盤を整え、ささやかに、こじんまりと暮らすことに何の不満も持たない『村人』。
「企業がどんどん多国籍化して租税回避に走る中、国と致しましては、国民からの税収を上げないことには立ち行かない。しかし、すでに平均的な収入自体が減少していることが明白である以上、大義名分なく住民税や固定資産税を上げるわけにもいきません」
「なのに、頼みの綱の消費税も、そもそもの購買額が減っている、と」
「アメに踊ってくれるのが子供だけでは、如何ともし難いという状況であることは確かです」
頷く男に、俺は露骨に胡乱な眼差しを向けずにはいられなかった。
「それで、何で俺が出てくるんです? 単なるゲームプランナーに何をしろと?」
「先生のゲームの『クオリティ』の高さは、常々伺っています。
『村人』の扱いにも、定評がある、と。
どうでしょう? 今度は『村人の攻略』をメインとしたゲームを、現実に作ってみるというのは?」
「はあ?」
アホか。
内心で俺は突っ込まずにはいられなかった。
ひとりの人間が消費できる物事に、質量共に限度があるのは当たり前だ。
誰だっていずれは、己の容量を自覚するようになる。
新しい物を目まぐるしく流し込めば、片っ端からそれに食いつくなんて、単純な話じゃない。
どれかに引っかかるだろうなんて、舐めた考えで物量を増やした挙句が、今のザマなんだと、何で気付かない!
なるほど、ズレている。
ああ、確かにズレているぞ、こいつら!
「あからさまに税……『年貢』を増やすような真似はしたくありません。
そうですね。彼らも自分の好きな物に、それなりの対価を支払うことだけは抵抗が少ないようですから、その辺りを攻めてみるというのはどうでしょう?」
「マジなんですか」
「ええ。背に腹は代えられませんでしょう?」
「つまり、正攻法で行くつもりがない。……国が、『魔王』になろうって言うんですか?」
にやり、と口元だけが歪んだ男の表情は、奇妙にアルカイックな……らしい、ものであった。
「大人しく言いなりになっていれば、
変に小賢しくなるから、こちらとしても
笑わない目が、すうっと細められ、俺に迫った。
「どうです? 先生のお得意の分野でしょう?」
「……ゲームのシナリオとしてなら、ね」
「リアルで『ガチ』ではあっても、ゲームと思って頂ければ結構でしょう。別に
それに『魔王』は、国そのもの。先生が矢面に立つことは、決してありません」
「………」
「なに、現実には都合のいい『勇者』なんて存在しないんですから、反撃を食らうこともない。
ただ、税収を少々増やして下さるだけでいいんですから」
「……誰かに危害を加えるような話じゃないんですね?」
「もちろんです。誰も傷つきはしないですよ。
生身の人間を、誰に知られることもなく先生の思うままに、キャラクターとして自在に操ってみせて頂きたいだけです」
笑わない目の下で、歪んだ口角が、いよいよ吊り上がった。
「またとない……二度とない機会ですよ?」
「面白いかも……しれないな」
思わず俺は呟いていた。
少なくとも、「数打ちゃ当たる」なんて方法で、人々の購買欲をわざわざ削いできたような馬鹿な役人や業界人よりは、面白いことが出来るだろう。
俺なら。
人を傷つけるわけでなし、ちょっとその懐を開けてもらうだけだ。
多少、国民に苦境を強いたところで、悪いのは国であって、俺じゃない。
ほんの少しばかり、血が流れることになったとしても───『魔王』は、俺じゃないのだから。
「まあ、先生も『魔王』にはスケープゴートの一人や二人いることぐらい、ゲームを熟知しているんだから、わかっているはずですよねえ」
部屋を辞してネクタイを直しながら、男が呟いていたことを、もちろん俺が知る由はなかった。
「『面白そうだ』なんてズレた考えで、我々の仕事を舐めてもらうような方だから、安心してお任せ出来ますよ。
なに、少しの間『村人』と一緒に踊っていて下さればいい。
行き詰ったら、見せしめとしての役割の後に、次の『魔王』と挿げ替えればいいだけの話ですからねえ」
笑みを刻んだ口元から零れ落ちる声には、しかし、何の感情も込められてはいなかった。
「ズレだの何だのと、小賢しい。
そんな勝手が許されているなどと思わせるようでは、確かに今までの方針は甘かったんでしょうねえ。
まったく。思い上がりも甚だしい。国に奉仕することこそ、『
「さて。───成果の程が楽しみですねえ」
あるミニマリストの感慨、と 高柴沙紀 @takashiba
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