第一章『壊れていく世界に産声を上げて』3
宿屋『
赤レンガ造りの宿屋は見てくれは非常に質素で、宿屋と分かる看板以外には何もなく、明かりもない。今もなお衰えない降雪に全体が白くまみれ、重みを増した雪塊が地面へと落ちていく。
「おはよう、メイメルさん」
出口に置かれた台帳に書き込みをし、宿屋の扉を出たアセラは開口一番にそう言った。
少年の視線の先には、毛皮のコートを纏う厚着姿の女性がおり、スコップを両手に雪かきを行っている最中であった。
「——ん。おはようございます」
アセラの存在に気付いた女性は雪かきをする手を止め、手にしたスコップを積み上げた雪山に差し込むと、身体を少年の方へと向けた。
「今日もご苦労様です。はい、これ」
「ん、ありがとうございます」
アセラの手渡した湯気の立つカップを受け取り、ズズと音を鳴らして女性は喉へと液体を流し入れる。少しずつ中身を飲み、最後に少量を一気にあおると女性は小さく息を吐きだした。
「っふう……ごちそうさまです、アセラ。こちらこそ、いつもありがとう」
そう言ってカップを差し出し、女性はこちらへと微笑んだ。
『雪結晶』の宿長であるこの女性・メイメルは、一人で宿屋を切り盛りし、夜のうちに雪が多く降った日にはこうして誰よりも朝早く外に出て雪かきをしている。アセラがよくこの宿屋を利用し朝早くに出るせいか、同じように朝の早いメイメルと話す機会が自然と多くなっていた。
病的なほどに真っ白な肌と、色素の抜けた白い髪。そして青い瞳。
日光に当たる習慣がない地域で生まれた彼女は、日光から身をものを持たずして生まれてきた——らしい。アセラが初めて知り合ったとき、気になって本人の口から聞いたことである。
「今日も、お仕事ですか?」
いつも通りの、のんびりとした口調で聞いてくる宿長。
「うん、今日も仕事。今日は東サラセン地域の東に行くつもり」
剣を見せ、はにかむ少年。
『むむっ、おはようございます、メイメル』
その時、エテルネルが急に喋りだした。
「あら、エテルネルちゃん。今日もきちんとアセラを起こしてあげた?」
『も、もももちろんです。私の甘美な目覚まし歌にすっきり覚醒でしたよ』
「そ。それならよかったわ」
ふふふと笑うメイメルは、さも当然とばかりに
「僕が起きてくるのを待っていただろ」
『なっ、アセラが戸を開けたときは元気に挨拶を返していたじゃないですか。マスターよりも先に起きるのが私の務め、これだけは揺るぎないです』
「ということは、起こさなかったのね。ふふ、エテルネルちゃんはお茶目な子ね」
『め、メイメル……からかうのはやめてください……』
「あら、本当のことよ? 最初っから分かっていたわ」
二人の会話を聞いていて、まるで旧知の仲のように感じてしまうのは気のせいだろうか。人当たりのない性格のメイメルだから、そう感じるのも自然なのかもしれない。
「あ……アセラはこれから仕事なのよね。引き留めちゃってごめんなさい」
「いや、まだ発つには早い時間ですし。もう一杯、白湯を淹れてからにしますよ」
受け取ったカップを掲げ、もう一度宿の中へ戻る。
暖炉に薪をくべながら鍋に湯を沸かしていると、小気味良い音と共に外で雪かきが再開されたのが窓の外に見えた。
もしかしたら、自分がそんなことをする仕事をするようなことがあっただろうか、と考えながら、湯が沸くまで暖炉の火をじっと見つめていた。
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