第一章『壊れていく世界に産声を上げて』1
色とりどりの華が咲き乱れる庭園。
蝶が舞い、小鳥はさえずり、風が吹く。
そこに一本だけ生えた緑樹の傍に、一人の女性が立っていた。
装いは白いワンピース。幅の広い麦わら帽子。
時おり吹いた風に、腰まで伸ばされた金髪が静かに揺れる。
右上には小麦色のバスケットが掛けられ、被せられた水色の布が小さくはためく。
僕はその背に向けて、その女性の名を呼んだ。
花畑とは程遠い、生命の芽吹かない新雪の平野から、きっとその人の耳に届くようにと、限りなく大きな声で。
一瞬だけ肩を躍らせた女性は、ゆっくりと僕の方へと振り向いてきた。
『————アセラ』
凛と、鈴のように軽やかで優しげな声音で、僕は名を呼ばれた。
女性は半身になって、空いた左手で此方へ来るようにと促してくる。
——何か見せたいものがあるのだろうか?
——ああ、そうでなくとも彼女の隣に行きたい。
新雪の地から、新緑の地へ。
一歩、また一歩と雪を軋ませ、花畑へと駆けていく。
何もない、誰もいないこの世界から。
きっと向こう側に行くことが出来たなら————
ジリリリリリリリリリリリリリリリリィン!
「————————っぁあ!?」
金属と金属を激しくぶつけ合い、反響して増幅されるけたたましい音。
それに驚き飛び起きた少年は、その勢いのままに寝台から転げ落ちた。
6畳ほどの手狭な部屋。四方を白塗りの壁で囲まれ、扉のない三方にはいくつかの調度品が立ち並び、その一つが前後に揺れるも倒れるには至らない。
「って、てて…………」
転げ落ちた少年は、頭から床に落ちて暫く悶絶していたが、ぶつけたのであろう頭の後ろを摩りながら、寝台へと手をかけて身を起こした。
寝ぐせの方々に跳ねる短髪をかきむしり、濡れた黒曜石のような瞳の端には涙が浮かぶ。中肉中背の身体には白い寝間着一枚を纏い、あくびをしては瞼を閉じて眠りそうになり、我に返っては瞼を開く。
「…………もう、朝か」
部屋に一つだけある窓を見て、少年は独り言ちた。
窓から差した光は柔らかで、暗闇に腰下ろす弱々しく少年の姿を照らし出す。
窓の外に見える景色——それは満天の星空。
自ら光を出す硝子玉たちが、本来なら闇で覆われるはずの空を煌びやかに彩る。
少年のいる場所、東サラセン極東地域で冬の間だけ見られる朝の空だ。
『黄昏時に神魔は目覚め、外界へ落ちて遊戯を尽くす』とはよく言ったもので、昼の時間に近いほど空は黄金色に遷移していき、黒雲と相まって見事な黄昏色の空を描き出す。と同時に人の最も活動しやすい時間帯でもあり、その様子を昔の吟遊詩人が歌い、今も切々と語り継がれている。
星の背景にある空の色が黒だとすると、それは昼でも何でもない、朝ということになる。
「…………さっさと準備して、行くか」
少年は溜め息を一つ吐き、立ち上がっては白いクローゼットへと近付く。
銀の取っ手を握り、引っ張り開けたその中に。
『マスター! おはようございます!』
声高らかに挨拶の言葉を送る剣が立てかけられていた。
少年は顔を露骨にゆがめると、開けるよりも早く戸を閉める。
その中からはくぐもった声で喚く何某かがいて、戸を閉めた今でも十分に煩い。
「…………開けるから、静かにしてくれ」
そう少年が言うと、喚きたてていた声が嘘だと思うほど静まり返る。
シン、と静まり返った部屋の中、少年は溜め息を吐いて、もう一度戸を開けた。
『ああっ! やあっと開いてくれました! マスター、おはようございま——』
否応なく、少年は勢いをつけて戸を思いっきり叩きしめた。
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