第2話

俺はサルではない。

しかし、サル山の中にいる俺は、傍から見ればやはりサルだ。

こればかりは、悔しいが奴の言う通り。


それならサル山から出ればいい。


どうやって?



就職だ。


まずは就職。


もう2度とサルとは言われないような就職をしてやる。







2年生からのゼミ選び。

柄じゃないのは百も承知だが、少しでも就職に有利な環境を見つけたい。

と言っても、大学内の交友がゼロに等しい俺にゼミの内情は分からない。

どうしたものかと思っていたが、これ以上ない機会を見つけた。


この説明会の後、ゼミを受け持つ教員がわざわざ出てきて、ブースで個別に質問を受け付けるらしい。

全体説明会に加えてそれはやりすぎじゃないのかと思うのだが、ここは定員割れのFランク大学。

学生一人あたりの教員数は比較的多いのだろうし、その分労力をかけてくれるということだろうか。


いずれにしろ、人脈と情報を持たない俺にとっては千載一遇のチャンスと言えるだろう。











・・・らしいと言えばらしいが、大体の学生は説明会が終わったら帰ってしまった。

ガラガラな会場の中、ブースで待機する教員は分かっていたかのような苦笑いを見せている。


さぁ、俺は動くか。




「す、すみません・・・。」


「ああ、どうぞそちらにおかけください。」


「はい・・・。」


「えーっと、ゼミの内容についてなんですが・・・」








何人から話を聞いただろう。


正直、みんな普通の老人だ。

多少偏屈な教員がいるくらいで。


久々にこんな多くの人間と話して、疲れた。

興味のある専攻なんて無いし、もうどれでもいいような気もしてきた。

萎えるの早いな、俺。


次のところで最後にしよう。



「すみません、よろしいでしょうか?」


「はい、どうぞ。」


「失礼します・・・。」


この教員、若いな。


30代後半?40代か?


やけにパッチリした目を、こちらにしっかり合わせてくる。

ガッシリした身体と短髪、低く響く声。そしてこの落ち着き。

毅然としている、ってやつだろうか。


・・・多分、怖い人だ。指摘を飛ばすイメージが湧きすぎる。


両隣に座っているのは学生か?他のブースには学生なんていなかったが、何で?


「え、えーっと・・・ゼミの内容を詳しくお伺いしたいんですけど・・・。」










やはり、この教員の言ってることは半分も分からなかった。

分かったのは、とにかく、経営に関する難しいことをしているっていう・・・。


それでも俺がこのゼミに決めた理由は二つ。


一つはゼミのOB・OGと交流があるということ。

嘘か本当かは知らないが、大手企業で働いている先輩も多数いるとか。

本当ならば俺にとってこの上ない情報源だ。それを渇望していたのだから。


もう一つは、両隣の学生。どうやらゼミの4年生らしい。

既に内定を得ているとか。あれ、今って4月だろ。4年の4月?就活ってそういうもんなのか?


とにかく、俺はこの先輩を“証拠”と見なした。


教員がいくら「学生の成長」を説いたところで、実際に教育能力があるのかなんて分かったもんじゃない。


しかし現実に、目の前にいるこの先輩達は、背筋の丸まった陰鬱な顔付きの奴、騒いでばかりのサル、何を考えてるか分からない植物人間、そのどれにも該当しない“普通”の“大人”だった。


この大学に来て、俺は教職員を除く普通の大人と初めて話した。

何も分からない俺でも分かるコレを、俺は信じようと思う。












このゼミに入れば就職も上手くいく。2ヶ月前まではそう考えていた。


しかし、このゼミは「究極の就職テクニック」を教えるわけでも、「絶対内定を得られる方法」を教えるわけでもない。

活動の基本は研究。そして、ひたすら基礎能力の研鑽が推奨される。


そしてその研鑽とやらは、当然ながらゼミの時間でどうにかなるものではない。

むしろ、ゼミ以外の時間をどう過ごすか。これは学生に委ねられている。


ゼミに参加し、流れに身を任せているだけで人生がどうにかなるなら苦労はない。

そりゃそうだ・・・。


正直、眩暈がする。

基礎能力・・・つまり、学力、ルックス、対人能力。

どれも受け入れたくない現実だ。


確かに、この大学に来てる時点で俺の馬鹿さは言い訳のしようがない。

しかし、それでもあのサルどもと同じ知能だと思われたくないし、認めたくない。


ルックスについては、一番指摘されたくなかったかもしれない。

まるで自分自身を否定されたようで。急に存在しているのが恥ずかしくなった。

中学高校と、自分の風貌を気にしたことなんてほとんどない。

今更清潔感なんて言われても、どこから着手したものか。全部か。全部なのか。

靴や服を買って、髪や眉を整え、爽やかな笑顔を心がけるなんて、気持ち悪い。本音ではそう思っている。

こんなもんが就職に関係ある?冗談だろ。スーツ着るんだから、どうでもいいだろ。


対人能力なんて・・・どうしたらそれが優れていると言えるのか、そもそも対人能力とは何なのかすらピンとこない。





一々、反抗心が芽生える。




・・・つまり、この反抗心が今の俺を作ったわけだ。




今の自分をよく見てみろ。








それが全てだ。

傍から見た全て。


俺の現在地は、俺が思うよりも遥かに下らしい。


実は、受け入れられない現実から目を背け、資格取得や海外留学などで箔をつけようと考えたこともあった。

しかし、どこへ逃げても日本の就職活動に戻らなくてはならない。

そうである以上、求められるのはまず基礎能力だ。


ただ焦って、漠然と資格取得や海外留学をしたところで効果は薄い。

娯楽ならば好きにすればいいが、自己研鑽のつもりならば目的と計画が必要ということか。


今までと違う空気に触れるだけで成長するなら苦労しない。

それではゼミに入った当初の俺と同じだ。


今の俺に必要なのは、新たな環境を求め力を分散することではなく、

現在の環境に力を集約し深堀りしていくことなのかもしれない。








俺がゼミ長になるまで時間はかからなかった。

他に立候補者がおらず、役職が空席だったのも幸いした。

少しの勇気と覚悟さえあれば、無気力な学生ばかりのこの大学では簡単に役職を得られるようだ。


だらしない自分を律するためには、やらざるを得ない状況にしてしまうこと。

これに気づいたのも大きかった。

ゼミ長になってしまえば、嫌でも勝手に仕事が入ってくる。厄介事も増えるだろう。


厄介事を求めるなんていよいよ俺らしくないが、考えてみたらそれが正解だ。


その「俺らしく」が今の俺を作っている。

俺らしくないことをせずして現状を脱せるわけがない


ゼミ長にはもう一つメリットがある。

というか、個人的にはこれが最大のメリットだ。


それは、教員や先輩、OB・OGとの接点が増えるということ。

目上との関わりは緊張するし、時に煩わしいが、言葉遣いや気遣いなど、自分の立ち居振る舞いが抜本的に変わっていくのを実感している。

こういうことは、座学ではなく経験によって体得するものなんだな。


しかし、これを「努力」と呼ぶのは違和感がある。

当たり前と言われたら、確かに学んでいるのは当たり前のことばかりだ。

ただ、この「当たり前」って他にどこで学ぶんだ?


このような経験をせずして、「当たり前」ができるようになるのだろうか。

学びの機会というのは、さらっと過ぎ去るものなのかもしれない。

そう考えると恐ろしい。



そんな日々を過ごしていて、先輩も様々だということが分かった。


成功した他の先輩を妬み批判する先輩、極めて極端な就職論を押し付けてくる先輩、ただ先輩風を吹かせたいだけの先輩。


色々あるもので、同じゼミでも一枚岩ではない。


こういう厄介な先輩達と表向き上手く付き合いつつ、話を聞き入れるべき相手を見極めるのも大事なんだろう。


厄介な先輩と適切な距離を取れず、訳の分からない就職論を教えられる同期もいる。

それはくだを巻かれているだけで、決して指導でも指摘でも教育でもない。

“ダベり”相手として見られているだけだ。


俺はそういう人種を見極めるのが比較的上手いらしい。

これに限っては、物事を裏から見る捻くれた性格が幸いしているのだと思う。


先輩が後輩を評価するのと同様、後輩も先輩を評価している。

後輩は先輩に指摘なんてしない。裸の王様にはなりたくないものだ。


まぁ裸の王様だろうが何だろうが、今のところ先輩達の就職は順調。

テレビでも売り手市場と聞く。

この流れに俺も乗りたいものだ。












それからしばらくして、3年の春。


昨年の夏に何かが弾け、就職市場は花も咲かないほど凍てついた。


米国発の金融危機。

グローバル化の進んだ今の先進国にとって、対岸の火事なんてものはないらしい。

テレビと新聞は今日もヒステリーを起こしている。


最初は非日常感を楽しんでる節すらあった俺達は、先輩達の就職活動が解禁されてから戦慄した。


間違いなく、昨年までは売り手市場だった。

俺達の就職活動は、1年でここまで状況が変わるものなのか。


自分の人生は、自分の力なんて全く関係の無いところで決まってしまうのだろうか。










3年の夏。

前期最後のゼミ。

既に6月から大手のインターンシップ募集は始まっていて、俺は何度も選考を受けた。


そんな俺に対するゼミメンバーの反応は特徴的だ。


鬱陶しいような、焦らせないで欲しいような。

抜け駆けした人間にシラけているかのような態度。


彼らの中にもインターンシップ経験者はいる。

しかしそれは、キャリアセンター主催のインターンシップだ。


うちの大学がこの就職氷河期に大手のインターンシップを用意できるはずもなく、

聞いたことのないような中小零細ばかり。

俺はその企業一覧を見て、少なくともこの件についてキャリアセンターをアテにすることは

できないと確信し、独自に動いていた。


これは後々知ったが、「大手から内定を得るのは不可能だから、大手のインターンに参加する奴は馬鹿」とも言われていたらしい。


それならなぜ大手企業は俺のためにインターンの席を一つ空けてくれたのか疑問だが、それは置いておこう。




最近、学内で明らかに中小企業信仰が強まっていて、大手志望者は馬鹿とまで言われることがある。

別に大手だから良いとも限らないが、だからと言って中小企業を持ち上げる理由も無いんじゃないだろうか。


俺はそう思うのだが、この流れには理由がある。


就職氷河期は、人材を選べない立場の企業にとって、普段流れてこないような人材を獲得するチャンスだ。

例年では考えられないような応募者数。

普段は学生を選べない企業も、今だけは学生を選べる。


例えばこの前聞いた話だと、採用予定人数3名の地場中小企業に400名の学生が殺到したとか。

当然これは人材仲介や就職系メディアにとってもビジネスチャンスなので、中小企業を推奨するような広告も増えている。

大学側も、大学全体の就職率を少しでも下げないために、“そういう企業”の求人掲載を増やし、紹介を積極化させている。


これらの結果として、大学もメディアも中小企業を異様に持ち上げている。


「大学生の安定志向が高まり大手志望者が増えている」とニュースで聞きもしたが、俺達の界隈はその逆。

不安すぎて、「内定が出ればどこでもいい」というくらいの勢いで中小企業に飛びついている。

自分の頭で考えることを止めた人間は、ある極端からまた違う極端に行くらしい。



特徴的と言えばもう一つ。俺は信じ難いものを見た。


この時期ともなると、先輩達の就職結果も大体見えてくる。


Fラン大生の就職市場は永久凍土と化しているかのように思われたが、その

実態は少し違う。


つまり、完全なる二極化だ。


普段から努力していた優秀な先輩達は春に第一志望群から内定を得ていたようで、氷河期なんてどこ吹く風。

一方で、それ以外の先輩達は相変わらず就職活動中。

この前大学ですれ違ったが、就職活動で追い詰められると人間はああなるものなのか。

顔つきがまるで変わってしまっていた。


この結果は、少なくとも俺にとっては希望だった。





俺にとっては。

同期達のリアクションは真逆だ。


上位大学の学生と同等の就職をした先輩を見て、


「大手だけどあそこはどうせソルジャー扱い」


「あの人はレアケース」


「ってかコネだろ?」


「運が良かっただけ」


「あの企業は激務」


「あの業界は斜陽」



陰で、そんな感じのことを言うのだ。



これは、一種の創作活動と言えるのではないだろうか。


就職活動の成功要因を運やコネと断定し、就職先の粗探しをし、就職後の待遇まで妄想する。

情報を持たない者同士が、憶測と偏見で情報をこねくり回し、歪ませ、新たに出来上がった情報を共有し合う。


彼らの目は、どこを見ていたのだろう。


Fラン大生が結果を出している例を見ても、それに希望を見出さない。

それが就職氷河期の最中であっても、それに希望を見出さない。


彼らの耳は、何を聞いていたのだろう。


今年も、昨年も、その前も、このゼミは毎年一定数の就職成功者を輩出している。

現在もOB・OGから情報を得ている俺は、それがコネではないことも、配属や待遇などで明らかな差別を受けていないことも知っている。

彼らだって、それを聞いたことがあるはずだ。




この大学は情報の墓場か。


就職に成功した少数派は多数派に否定され、現実に起きたことも無かったことにされる。


彼らは目の前の現象から目を背け、ひたすら頑固に、現在の環境を呪い、批判する。

まるで、自分は悪くないが、環境が悪いため結果を出すことができないとでも言いたげだ。


要するに、彼らは希望を見つけたいのではなく、絶望を見つけて自らを慰めたかったのか。

彼らにとって、Fラン大生であること、そしてこの就職氷河期はある種の救いなのかもしれない。

先輩達の実績は、圧倒的な数の願望の前に消え去った。




俺は彼らに対する軽蔑を深めたが、このゼミも捨てたもんじゃない。


ゼミメンバーのOは、やや積極性に欠けるが、絶望を趣味にするほど腐ってもいない。

ゼミ終了後、インターンシップの選考について俺に質問してきた。

どうやら俺と近しい就職観を持っていて、最近は大手企業への就職に意欲を燃やしているらしい。

俺は初めて、就職活動における仲間を見つけたような気がした。












年も明けて、いよいよ俺の就職活動が本格化する。

その前にやらなければならないこと。


ESや筆記対策ではない。そんなものは既に終わっている。





・・・資金調達だ。


これまでも活動費のためにアルバイトをしてきたが、正直、やや心もとない。


就職活動のコストというのは馬鹿にならない。

交通費、飲食費、クリーニング代、その他色々。

都心に座る場所を確保するだけでも金はかかるものだ。


恐らく、これまでの人生で最も金をケチってはならないタイミングだと思う。


今から、親父に資金援助の交渉をする。


・・・憂鬱だ。




「なぁ親父、あのさ・・・」











親というのは不思議だ。


奨学金を借りているとはいえ、在学中は俺を養ってくれるのだから、うちは経済的に困っているわけでもないと思う。


しかし、以前海外留学のための金を都合してくれとお願いした時は、一銭も出さないどころか、「金が無い」の一点張りで、相談にすら応じてくれなかった。


それもあって今回も憂鬱だったが、親の態度とはここまで変わるものなのか。

あれだけ真剣に聞いて貰えるとは思わなかった。


俺の成績が明らかに向上し、単位を一つも落とさなくなり、自宅でゼミの課題や諸活動に打ち込んでいる様子を見ていたから・・・ではないかと推察する。


親というのは、ある種の投資家なのかもしれない。


過去のあれは、「金が無い」のではなく、「お前にこれ以上出す金は無い」という意味だったのだろう。

そりゃそうか。自宅では常にダラダラしていて、学業成績も悲惨。

意欲も明らかに無く、言ってることの大半は逃避が透けて見える。

そんな人間にいくら投資しても、浪費されるのがオチだと馬鹿でも分かる。


投資とは無縁な俺の親ですら、「無駄な投資」というのは直感するんだな。


親はスポンサーであり、スポンサーから金を出して貰うためには、

日頃の努力とその結果を見せることが一番の近道だ。


親子間で妙なことだが、これは真理じゃないかと思う。




そんなわけで、俺は親からしばらくの活動費を調達した。

決して無機質ではない。投じられた金に、血が通っているのを感じた。

いや、これまで俺にかけた金にも血は通っていたのだろう。俺が気づかず信用を裏切り続けていただけで。


いい加減、一つくらい報いたいものだ。

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