第60話 城

 アラートンとエイダが見つめる先で食糧庫が燃え上がる。

 食糧庫に保管してあった酒や油を振り撒き、何箇所かに着火すると、すぐ全体へ火が回った。城壁の上部へ先端が届くほど炎は大きく、中庭を照らし大気を熱くした。

 もちろんソードストールの頭部は特に念入りに油を撒いておいた。焼くことで胞子が飛び出る可能性を恐れ、扉を封印してから食糧庫を燃やしたのだが、特に異変は起きていない。


「しかし盗み聞きとは、感心しないな」

 アラートンの言葉に、エイダは涼しげな顔をして答えた。

「私は仇と思われていたことでしょう。出て行けば、話を聞きだすことができなくなります」

「さあ、それはどうかな。あの魔物は勘が鋭い。エイダがいることくらい気づいていたろうよ」

 ただ、ひょっとしてエイダは哀れみをかけたのかもしれない、とアラートンは思った。仇を討ったと思わせたまま死なせてやりたかったのかもしれない。僧侶の立場では口に出せないことだが。


 今度はエイダがアラートンにたずねた。

「あの魔物の言葉を信じたのですか」

「全て信用する必要はないが、疑う必要もないな」

 よくよく考えれば、以前にシュナイへ語った思いつきと似ている。

 アラートンが思ったように伝説となって人々を楽しませるサーカスか、ソードストールがいったように生贄として食われるパンか。

 どちらにしても、しょせん勇者は強大な存在に捧げられた贄だ。


「あのケンプという、勇者になりたがっている少年に今の話を教えますか?」

「そこまでする義理はないさ」

「あの者の運命は贄でしかないかもしれないのに、ですか?」

「……あいつに聖痕があることを知っていたのか」

「ここに来た日に、自分の持っている痣が本当に勇者の証なのかと相談されました。とりあえず、運命の印とされている聖痕であることは確かとだけ伝えましたが」

 なるほど、初めて会った時から、やけに自信にあふれていたわけだ。そうアラートンは思った。

「……説明も面倒だし、教えるつもりはないさ。たとえ教えても、今のあいつは、迷わず旅を続けるだろうよ。勇者になることを目指して」


「それでは……あなたはその刀を捨て、魔物を倒す旅をやめますか」

「いや、刀を捨てるぐらいなら売るさ。それに、旅をやめるなんてとんでもない。むしろ聖痕を作り出した存在に興味がわいたくらいさ」

「……戦いますか?」

 不安げな顔で見つめてくる女僧侶を見返し、アラートンはかぶりをふった。魔王以上の魔物、あるいは神……

「……とても勝てる気はしないな。ただ、運命とやらのくだらなさがわかったから、俺でも勇者になれるかもしれないな」

 とりあえず旅は続けるさ、とアラートンは笑った。

「……そうですか」


 エイダは食糧庫へ視線を移した。

「あの魔物は剣舞茸ソードストールと名乗ったのですね」

 アラートンがうなずくと、エイダは燃える食糧庫を見つめたままいった。

「東方の説話集に、現地の女僧侶を山中で酔わせて舞わせる茸の逸話が収められていた……と記憶しています」

「幻覚を見せる茸か。いささか印象が異なるが……」

「短い説話です。幻覚であったかどうかすらはっきりしていません。呪術師ウィッチのたぐいが舞踏を献上したということかもしれません」

 ただ、いわれてみれば、戦うソードストールは相手を舞わせていたように見えなくもなかった。

「……しかし今となっては、何ともいえない話だな」


 木材が熱ではじけ、崩れ落ちる音が響く。

 ふと、それとは別の音を聞きつけて、アラートンはふりかえった。

 ケンプが尖塔の扉を開けていた。

 薄い服一枚だけ着せられていたマリヤウルフに自身の上着をはおらせ、手を引いている。


 アラートンは呼びかけるように、嘆息混じりの口調でたずねた。

「おいおい、あの小さな刀一本で扉を壊したのか?」

 しかし答えを待つまでもなく、アラートンは確信していた。

 どれだけ刃が鋭く強靭であっても、それ専用の道具ではない刀。それでも木の扉を壊せるほどの、ゆるぎない信念。

 それがある相手は止めようがないとアラートンは思った。


 ケンプは一瞬だけアラートンを見つめ返したが、何もいわず、足を止めることなく厩舎へ向かった。

 食糧庫の燃える音は大きく、それで聞こえなかった可能性をアラートンは考えた。

「行くのか」

 迷わず進む若者の横顔へ、再びアラートンは呼びかけた。炎の音に邪魔されないよう、大きな声で。

 今度は答えが返ってきた。

「もちろんです。この子を村へ返して、僕は一人で旅を続けます」

「魔物退治の旅はやめるのか」

「勇者になることをあきらめたわけではありません。人を傷つける存在を倒すことが間違っているとは思いませんから」

 それだけ答えて、ケンプは一人で厩舎に入った。


 ややあって、ケンプが馬に乗って現れた。

 戦いの空気に尻込みしたため残されたはずの馬が、若者を鞍に乗せた今は堂々として見えた。

 ケンプはマリヤウルフに手をさしのべた。幼い魔物はその手につかまり、飛び上がるようにしてケンプの後方にまたがる。そして両手をケンプの腰へ回して、心地良さそうな表情でしがみついた。


 ゆっくり城門へ馬を進め、通りすぎようとした時、ケンプはアラートンへいった。

「色々と、ありがとうございました。行く道は違ってしまいましたが、今も感謝しています」

「……城の外は荒野だぞ」

 アラートンは、手綱を握りしめるケンプの手を見て、目を細めた。

 若々しく肌に張りのある掌だが、たくさん血豆がつぶれていた。


 ふところへ手を入れたアラートンは、小さな袋をケンプへ投げつけた。

 あやうく頬に当たりそうな袋をケンプが片手でつかむ。じゃらりと硬貨の詰まった音が鳴った。

餞別せんべつだ。大した額は入っていない」

 受け取った袋を腰にさげ、ケンプは頭を下げた。そんなケンプを見ていたマリヤウルフも、真似するように頭を下げた。

 アラートンの背後にいたエイダが眉をひそめる。魔物から勇者が感謝されたことに複雑な思いをいだいたのか。


 アラートンは肩をすくめていった。

「早く行けよ、ジョンフォース達が戻ってくるかもしれない」

 うなずいたケンプは前へ向き直り、馬の腹を軽く蹴った。

 そのまま城門を抜け、跳ね橋にひづめを打ちつけ、禿山の道を下っていく。


 ため息をついて、アラートンも城門へ歩いていく。

 置いている袋は背負い、いくつかの小袋は腰に下げる。食糧庫を燃やすのと並行して荷物はまとめていた。

 隣を歩くエイダがいった。

「らしくもなく、気前が良かったですね」

「そうでもないさ。金を与えておけば、もしジョンフォース達が生き残っていて見とがめた時でも、こっちはあいつに盗まれ逃げられたといいわけできる」

「……どうせそういうことだろうと思っていました」


 跳ね橋を進み、ふとアラートンはふりかえって城門と尖塔を見上げた。

 煉瓦を漆喰で固めた城壁は、分厚く堅牢だ。これからも変わらずに存在し続けるように見える。しかし、実際には、反対側から崩れ始めている……

 外面だけ整っている城と、その内部から見た違いに思いをめぐらせて、アラートンは苦笑いした。

 人の心も運命も。たぶん変わらぬものなどないのだ。それが良いことか悪いことかは別として。

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