第59話 村
魔物の住居群の隙間をぬうように走る影が二つあった。アイアンサンドゴーレムとの戦いを切り抜けたジョンフォース団だった。
やがて二人は行き止まりにつきあたったが、壁のひとつに板で封じられた小窓があった。持っていた武器を交互にふりかぶって板を破り、窓へ体をもぐりこませるように一戸の住居へ押し入った。
荒く息をつき、壊れた鎧を脱ぎ捨てる。あらわになった手足の肉体には、古いものから新しいものまで大小雑多な傷が刻まれている。
二人は狭い室内を見回し、やがて隅の暗がりに目を止めて、狂喜した。
「やはり、騎馬の通れない細い道の……」
「……道沿いの住居へ隠れていたのだな」
部屋の片隅で、十匹ほどの幼い
ほとんどがおびえて背中を向けていて、歯をむき出して威嚇するのは二匹だけ。それも幼い少女の姿であることに変わりなく、歴戦の兵士にとっては、大した脅威ではなかった。
「幼すぎて、まだ発情期ではないようだな」
「それも悪くない」
陽に焼けた太い腕が宙をさまよい、最も良さそうな商品を選び出す。そして白く細い手首をつかんだ。
「幼ければ幼いほど、高く売れる」
「ああ、人質にするにも、小さく軽い方が良い」
太い腕に一匹のマリヤウルフが噛みついたが、団員は力をゆるめるない。むしろ余裕の笑みすら見せた。
「ほうら、怖くないぞ」
もう片方の腕で、噛みついてきたマリヤウルフの手首を力いっぱいつかむ。苦痛に満ちた声とともにマリヤウルフが腕から口を離した。
食い込んでいた鋭い犬歯に赤い血がついていたが、さほどの量ではなかった。
マリヤウルフを引き倒し、床に寝かせる。小さな膝の上にもう一人が座り、服をはいでいった。裂いた布地で手足を縛って拘束し、肉の盾にするために。
すでに仲間の大半が倒されたことは理解し、団が敗北したことを悟っていた。無事に集落を出て行けるという期待もしていなかった。
しかし、最後まであがこうとも考えていた。そのためにも換金できる商品を捕まえるにこしたことはない。長い冒険を続けて、幾多の困難を乗り越え、多くの仲間を失ったからこそ、素直に引き下がることなど考えられなかった。
その時、住居の戸を無理やり破る音がした。かんぬきがはじけ飛び、床に落ちて、はずんだ。扉も倒れ、部屋に土ぼこりがたつ。
ふりかえった男二人は、人型の影が戸口に立っている光景を見た。
鈍い光沢で全身がおおわれた、甲冑姿の魔物。戸口の地面には、戸を破壊した戦斧が突き刺さっている。
男達があわててマリヤウルフから離れ、武器を取ろうとした。
その体運びには無駄がなかったが、そもそもマリヤウルフを襲おうとしたこと自体が無意味であった。
男二人が戦闘できる態勢になる時間を与えず、ローブアーマーは一声叫んで駆け寄り、戦斧を振り抜いた。
戦斧の刃がきらめき、大した抵抗もなく男の首が二つ飛んだ。切断面から血飛沫が噴き上がり、天井まで達した。
ローブアーマーは、床に転がった生首一つの頭髪をつかみ、持ち上げて、その表情をのぞきこむように問いかけた。
「なぜ村から逃げなかった。逃げさえすれば、狼乙女をおびえさせることはなかった。死ぬこともなかった」
白目をむいて舌を飛び出させた生首は、もちろん何も答えなかった。
「……つまらん執着を持つものだ、人という生き物は」
急に生首から興味をなくしたようにローブアーマーは視線を動かし、片隅に身を寄せ合う少女達を見つめる。
マリヤウルフは、好物である人の血が大量に流れ出しているのに、近づいてこようとはしなかった。
体を震わせ、おびえた瞳を向けてくる。
ローブアーマーが一歩踏み出すと、ジョンフォース団が歩み寄ってきたかのように、口から嗚咽をもらした。
「……怖がらないでくれ」
できるだけ優しい声を出したローブアーマーに対し、涙を浮かべた一匹のマリヤウルフが首を横に振った。
それを見て、ローブアーマーはそれ以上近づこうとしなかった。
ローブアーマーは甲冑の魔物だ。
外見は人間の鎧騎士と全く変わりがない。
亡霊であるため、精神や言葉遣いも人と同じだ。
今は全身に人の血を浴びて、もはや臭いも人そのもの。
嗅覚の敏感な魔物には区別がつかない。発情期ではない幼いマリヤウルフには恐怖の対象だった。
「そうか、君達には自分も人に見えるのか……」
ローブアーマーは思いをめぐらし、昨晩に自分が接したマリヤウルフも、きっと自分のことを人と思っていたのだと気づいた。戦いで血飛沫を浴び、今と全く同じ姿だったのだから。
二匹に少し懐かれたと感じていたが、それは思い違いだった。特定の相手ではなく、人の男に対して同じ態度を取るように、念入りに躾けられていただけだ。
ローブアーマーは、さびしさとむなしさを感じた。甲冑でできている肉体だけでなく、精神まで空虚になったような気分だった。
「哀れな……」
あの夜、姿や臭いから人に見えていたはずの自分に対し、マリヤウルフは懐いているように見えた。それほどに、念入りに躾けられた二匹が悲しかった。もし昨晩に自分を嫌悪してきたなら、まだしも救われた。
ローブアーマーはもう一つの生首を拾い、おびえるマリヤウルフ達から視線をそらすように、住居から出て行った。
集落をつらぬく街道を進んだローブアーマーは、中央の広場で待っていた長老に会った。そこで戦闘が全て終結したことを知らされ、約束の報酬を渡された。
団員二人の生首を渡して、代わりに報酬の入った袋を受け取り、ローブアーマーがつぶやいた。
「そうか、やはりメリュジーヌ殿は去ったのか」
報酬の袋には、ローブアーマーが望んでいた鉄屑と布切れだけでなく、貴金属の類いも少し入っていた。
取り分の多さから、仲間が全て死ぬか、もしくは村を去ったという長老の言葉が正しいと実感した。
「追うかね?」
長老の問いにローブアーマーは兜の頭を振った。
「いいえ。メリュジーヌ殿だけでも無事に生きている。それだけで充分だ」
裏切られたという思いはなかった。人間の女を奪われた長老もメリュジーヌを本気で追う気はないらしい。
人と魔物をそれぞれ統率していたジョンフォースとデュラハンが相討ちし、傭兵団は壊滅。もはや脅威は去ったと長老は語った。
「たとえ生き残りがおろうとも、一人や二人。手を借りずとも、わしらだけで充分に追い払える」
「つまり、もうここには置いておけない、と?」
ほとんど邪魔者を追いはらおうとするような扱いであったが、ローブアーマーはあらがえる言葉を持ちあわせていなかった。
しょせん雇われた側の、それも最も若くて弱い立場にすぎなかった。
ただ一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあった。
「グローリー殿が助けた二匹はどうしているだろうか」
人の犬にしたてられた狼は、きちんと仲間との生活に戻ることができるのか。
「案じずとも良い、我らは仲間で助け合って生きる。それが狼というものじゃからのう」
いたわるような長老の言葉に無言でうなずき、ローブアーマーは歩き出した。
不安が消え去ったわけではなかったが、だからといって何かができるわけでもなかった。
人が力を増して魔物を追い立てていく大陸で、子をなすことを人に依存する魔物がどれだけ身を寄せあって生きていけるのか。
その未来についてローブアーマーは祈ることしかできない。
報酬が詰まった袋は腰に下げ、戦斧は背中にかつぐ。少し前までアイアンサンドゴーレムだった砂鉄の山や、落ちた橋の側で炭になった馬車に目をやりつつも、歩みを止めることはなかった。
ただ、くるぶしまで水に浸しながら川を渡る時、一度だけローブアーマーは足を止めて、下流へ目をやった。どこか遠くから、穏やかで優しい音が流れてきていた。
……誰が歌っているのだろうか。誰へ歌っているのだろうか。
それは低く、深く、うねるように抑揚をつけた、戦いの記憶を伝える歌だった。
切れ切れに聞こえる詞から、それはどうやら勝利の歌らしいとわかったが、誇らしさや煽り立てる調子ではない。
ただ傷ついた魂を鎮めたいように聞こえた。
せせらぎに混じって聞こえてくるその歌に、武具の亡霊は、ほんのひととき耳をかたむけた。
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