第30話 村

 病気の治療といえば汚れた血を抜く瀉血か、病原体という認識もないまま隔離ですませられる時代。

 神の奇跡に祈ることは誰にもできるが、それを体系化した加護術の恩恵をえられる人間は極めて限られている。

 戦争においても、攻撃で即死することより、不衛生な環境を背景とした傷病死が恐れられていた。


 仲間の異変に後ずさりした男のかかとに柔らかいものが当たる。

 ふりかえると、手甲を捨てて腕を傷だらけにした男が川にうつぶせとなって倒れていた。

 もやの奥に一人、さらに奥に一人、村での奇襲を生き残った仲間達の命が失われている。

「どうなっているんだ。おまえら、どうしたんだ」

 尻込みしながら剣を突き出す。

「グローリー殿の導きだ。苦しみぬいて天上に召されることを、誉れと思うが良い」

 背後から聞こえた若々しい声に団員はふりかえった。

 その驚愕が表情としてはりついた顔が、切り飛ばされる。


 いぶし銀のように鈍く輝く甲冑が、振りぬいた戦斧をかまえなおした。

 戦術の変化にともなって廃れつつある全身甲冑だ。

 土手の上から甲冑の魔物へ矢が射かけられた。しかし弩を使っても重々しい甲冑は打ち抜くことができない。

「捨ておけ、あの動きでは追いつけまい」

 ジョンフォースの声を聞き、弩に次の矢をつがえていた団員は土手をしりぞいた。

 川を渡ることができた他の団員も彷徨鎧ローブアーマーへ背を向け、馬を走らせた。

 甲冑に飛び道具を持っている様子はなく、動きも鈍重。魔物といえども容易に馬には追いつけないだろうという判断だ。

 川で倒れた団員を救おうとしても手遅れで、むしろ被害が拡大する。


 逃げるジョンフォース団へ、村を抜けてきたデュラハンが矢をはなってきた。

 すでに川をはさんで充分な距離があり、かすりもしない。

 ジョンフォースの推測通り、デュラハンの馬車は村側の土手まで上がったものの、川を越えようとはしなかった。


 山へ逃げ去ろうとする人間達の背中を、ローブアーマーは無言で見つめていた。

 やがてかまえた戦斧を下ろし、人間を追って土手を上がり始める。デュラハンと違って、歩みこそ遅くとも川を越えて追う能力はあった。

 ふいにローブアーマーの耳元……もちろん兜の中に耳はないが……でしわがれた声が囁いた。

「グローリー……その名は……アイアンサンド……殿こそふさわしい……」

「グローリー殿?」

「まだ……川を上がるでない……」

 ふりかえったローブアーマーの視線の先に、アイアンサンドゴーレムの姿があった。


 土手の上に黒々と大きな上半身だけをのぞかせ、突き出した右手を左手で支えている。

 石炭のように鈍く黒く輝く右手は、まず指が短くなって掌へ吸収された。

 つづけて掌のくぼが深くなり、肘の内部にまで入る穴となる。

 やがて右手は全体として酒樽を思わせる、巨大な筒となった。


 そして筒状の右手は高速で回転し、少しずつ太さを増していく。

 まるで巨大なろくろで陶器を作っているかのよう。

 ろくろの回転が速まり、風を切るような高音、赤い火花、そして青白い雷が右手から漏れ始める。

 筒の先から光の粒がこぼれ始める。


 デュラハンに左手でかかえられている生首が、歌うように叫んだ。

「今こそ撃て、鉄の栄光を」

 ジョンフォース団のしんがりとは、すでに徒歩で百歩は離れている。

 だが、その姿がはっきり見えている限り、アイアンサンドゴーレムの射程から逃れることはできない。


 砂鉄の魔物が、回転により電力と磁力を作り、自らを形作っている砂鉄を熱しながら高速で撃ち出す。

 この技に名前はない。他に類を見ない存在に特別な呼称は必要ない。

 この物理の攻撃は、呪術でも加護術でも防ぐことは不可能に近い。


 ついに光る粒が渦をなし、筒状の右手から流れ落ちるように噴き出した。

 進路にある川面を蒸発させ、土手を削り、さらに先にいた騎馬一組と徒歩二人の肉体を消滅させ、地面をえぐりとる。


 しかしジョンフォース団は徒歩の者が全て殺されたことで、逆に隊列を保つために馬の足を止める必要がなくなった。

 迷わず全ての騎馬が加速し、森の奥へ逃げ込み姿を消す。


 ローブアーマーが土手にのぼり、ジョンフォース団の後を追った。

「追うのは、自分に任されよ!」

 さんざん戦斧をふりまわしたばかりだが、疲れた様子はない。

 甲冑そのものが動く魔物なので、武器をふくめた重量を苦としないのだ。

 さすがに徒歩で騎馬に追いつくことは無理だが、それもデュラハン達の策にあらかじめ組み込まれていることだった。

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