第29話 村
騎馬隊の先頭が住居群を走り抜けた。
もう一息で身を隠せる森までたどりつける。
その森との間には低い土手があり、浅い小川に木造の橋がかかっていた。
骨組みに木板を並べただけで手すりもない簡素さだが、騎乗したまま渡れるくらい頑丈なことは確かめてある。
しかし、なぜか橋が見当たらない。川の周囲に白いもやがかかっていて、くわしい様子がわからない。
ジョンフォースが目をこらすと、対岸の土手に人影が三つ見えた。
魔物のたぐいではない。
援護のために森へ残していた女僧侶達が、村の外を回りこんで待っていた。
一人だけ馬上にいる影が片手をふり、何かを叫んでいる。川の音のためよく聞こえない。
「合流したいところだが……何かあったのか」
いぶかしむジョンフォースの言葉を聞き、ワァフは単身で橋へ向かった。そのまま土手の上へ駆け、状況を確認して叫ぶ。
「橋が落ちている」
基礎の木杭だけが水面に頭を出している。
ワァフが下流に目を移すと、白いもやの先に、細切れの木材が漂っている様子が見えた。
もちろん罠がしかけられている可能性もあるが……
「このまま進む、奴らは川を通れん」
ジョンフォースが宣言し、馬の胴を蹴った。
デュラハンの馬車をひく
魔物が伝承の怪物と全く同じ性質を持っているとは限らないが、だとしても馬車が川を越えることは困難だ。
たいていのゴーレムも水には弱いから、構成する土の種類こそ違うが、アイアンサンドゴーレムも来ないだろう。
狼も魔物の類いであれば川を越えられないという伝承が多い。
水辺の魔物であるメリュジーヌが敵にいることは、まだこの時のジョンフォースは知らなかった。
もともと馬は一列でしか通れない小さな橋だった。落とされずとも川をわたることは最初から考えにいれていた。
「押し通れ」
ジョンフォースの叫びとともに次々に騎馬が土手を下り、浅い小川を渡っていく。
実質として敗走だが、見切りをつけられないまま全滅するよりはいい。
団長としては、ジャニスなどという哀れな旅人より、部下を大切にしなければならない。
団が力をたもっていれば、また救う機会もある。
そのまま対岸の土手に上がったジョンフォースは、馬上のエイダから報告を聞く。
援護に残した団員よりは、冷静に物事を見ていそうに思えた。
「一名、徒歩で城へ伝令に向かわせました。肉体を強化する加護術をほどこしておきました」
客人相手ではあるが、団長として顔をしかめる。
「なぜ、馬に乗せなかった」
「戦士でもない女の足では、隊の動きを遅らせるだけです。それに長く蛇行した坂では、必ずしも馬が人に勝てるとは限りません」
エイダは涼しい顔で答えた。僧侶には、世俗の関係よりも神との繋がり、つまり自分の身が優先される。
ますます顔をしかめたジョンフォースだが、もちろん叱責することはしなかった。協力者という立場を抜きにして考えても、エイダの指摘は間違っていない。
加護術師の貴重さを思えば、優先して我が身を守る判断も全く正しい。一方で徒歩の伝令が一人だけという状況は心もとないので、新たな伝令として騎乗している若い団員を一人、城へ差し向けた。その際に鎧や武器は捨てさせる。
対岸にいた残りふたりの団員には、渡ったばかりの川へ向き直させ、遅れて逃げてくる仲間への援護を命じた。
馬を失った者も土手を越え、川面に足を踏み入れる。
川幅は細く、二十歩も進めば水から上がることができそうに見えた。長らく雨がないために水流も弱い。踏む場所を選べば足首までしか濡れずにすむ。
とはいえ鎧を着て武器をたずさえた状態で集落を走り抜けたばかりだ。徒歩で川を渡る団員達の足は、沼地の粘土層へ踏み込んでしまったように重い。
ある者はうつむいてあえぎながら進み、ある者は邪魔な手甲を捨てて汗ばんだ腕をかきむしる。
すぐに反対側の土手にたどりつき、手をついて這うようにのぼり始めた一人が、仲間を鼓舞しようと横を見やった。
漆黒の、目鼻も何もない、空虚な影が見つめ返していた。
もやに隠れているため目鼻がわからないのではない、ただの影だ。
それが覆いかぶさるように近づき、息がかかるほどの距離になった。呼吸の音も体臭もなかった。
影におののいた男は口をいっぱいに開き、しかし疲れはてた肉体は声を出すことができず、吸い込む息が小さな笛の音のように鳴っただけだった。
土手の上から隊列の後方へ弩を向けていた団員が足もとを見て、けげんな表情を浮かべた。
幾多の戦いで鍛えられた仲間が、何もない空間を見ておびえている。
ふるえながら剣を抜き、何の姿も見えない空間に向かって振り回し、上がったばかりの川へ滑り落ちていった。
「どうした、敵がいるのか」
それとも精神にそのまま作用するような、古典的な呪術なのか。
後ろから川をわたってきた別の団員が、恐慌をきたしている男へ背後から近寄る。正面からでは剣で傷つけられかねない。
しかし男はふりまわしていた剣を落とし、喉をかきむしり始めた。
そのまま川面へ倒れ込む。
助け起こそうとした団員の顔に冷たい水がはねた。
顔をぬぐいながら倒れた男をのぞき込んだ団員は、息をのんで後ずさった。
あおむけの状態で倒れている死体の、自らかきむしった傷だらけの喉に、無数の水ぶくれが生じていた。
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