5-10 銀糸を紡ぐ


 モナの背中についていくポルは、オバサンの家へ向かう道を進んでいることにすぐ気がついた。

 しかし、路地へ入った時から、このあたりを出てきた時と妙に雰囲気の違いを感じる。なんとなく、周囲の家並みにも道ゆく動物たちにも落ち着きがなくて、変にざわざわする。

 オバサンの家の近くにある橋を渡ったとたん、その雰囲気の出所がはっきり目の前に現れた。

 狭い道を塞がんばかりの人だかり。

 老人や子供、女性たちが寄ってたかって、何列も並んでは背伸びしてオバサンの家の方へ身を乗り出していた。

 浮き足立った人々の背中が壁になり、道の先は全く見えない。

「なになに?」「わかんない」「見える?」「騎士がいるんだって」「え? なんで?」「見えない……」

 人だかりの間を、小声の会話が無数に飛び交っている。

 ポルが耳をすますと、人だかりの向こうからかすかにトゲトゲした嗄れ声が聞こえてきた。オバサンの声だ。

「だから――やつなんか――ないって言ってるだろ!」

 途切れ途切れに耳へ届く。

 誰に向かって喚いていたのか、しばらくの間の沈黙。きっと話の相手が何か言っているのだろうが、そちらの声は野次馬のささやきにかき消されて全く聞こえない。

「あたしの――を探そう――のかい⁉︎ これだから――これだから騎士団は――」

「おーい!」

 突然、目の前のモナが叫んだ。

 ポルたちの前にいた人々が一斉に振り返る。

 ポルはギョッとした。モナはお構いなしに腕をブンブン振り回して、

「おーい! おばさーん! いたよ! ポルだよ!」

 よく通る声で叫びまくる。

「え?」「誰?」「なになになに」「ポルって言った?」「どういうこと?」「あ、あの人見たことある」

 群衆の目が、次々にこちらへ集まった。シェンがさっとポルの背に隠れ、なぜかスティンもポルの陰に身を縮める。

 オバサンの声が遠くから届いた。

「モナかい!」

「そー! 連れてきたよ、問題のひと!」

 すかさずモナが答える。とたんに、オバサンの金切り声が暴れ出した。

「オラオラお前たちぃ! ジャマだよ! 眺めてねぇでさっさとどきな!」

 オバサンの剣幕に押されて、人垣が徐々に割れる。ただでさえ狭い路地の両端で、無数の人がすし詰めになった。

「ほら、行って」

 モナが少し割れた人垣にポルの背中を押し込んでくる。ポルはシェンの腕を握ったまま、つんのめるように人垣の割れ目へ突っ込んだ。

 細く開いた人と人の合間に、体をねじ込みながら進む。

 視界はすぐにパッと開けて、目の前にオバサンの家が現れた。

 道の両側をふさぐ人だかりのど真ん中、家の玄関戸から身を乗り出して拳を振り上げるオバサン。

 対して家の前にどでんと立っているのは、銀色の甲冑にごつごつ覆われた中背の男。ハリネズミみたいにごわごわの茶髪をした頭が、パッとこちらを振り向く。

 男は無骨な顔にらんらんと瞳を輝かせ、にっこり笑った。

「あぁ、なんという! あなたが〝ポル〟さんですね! お探ししておりました!」

 劇の登場人物みたいな、役者めいた言いぶりにポルは片頬をつり上げる。

 首から下の重そうな騎士団の甲冑と、ありふれた赤茶の髪、野暮ったい雰囲気の顔に浮かべたやたら明るい表情。

 そしてなにより、ベスペンツァの古めかしくてのどかな風景に彼がぽつり立っている絵面が、全部取って付けたみたいにちぐはぐだ。

 ポルはとても近寄る気になれず、人垣の壁に背を押しつけんばかりの距離で立ち止まった。

「やっと来たのけぇ! こっちぁ散々だよ! やっぱりおめぇらみてえなのを泊めるんじゃぁなかった!」

 醜い小鬼そっくりのしわくちゃな顔で目くじらを立て、金切り声でオバサンがポルに叫んだ。

 ポルは答えられず、オバサンと甲冑の男を交互に見た。シェンとスティンはポルの後ろで困惑したまま黙り込み、反対にルズアは半歩進み出ると甲冑の男をぎりぎり睨む。

「申し訳ありません。こんな騒ぎにするつもりはなかったのですが……」

 ちらり、ちらり、と男が周囲の野次馬に目をやる。男の視線が向くと、人々はささやく声を落とした。

『シェン、あれが言ってた人?』

 後ろ手でシェンに確かめる。シェンは小さく頷いた。

「グラント、ゼノセプト、でス」

「ともあれ、お会いできて良かった。後ろの小さいお嬢さん、道案内ありがとうございました」

 男、グラントはシェンを見てそう言うと、恭しく膝をついてお辞儀する。

 そのとたん、下がったグラントの脳天に剣の切っ先が突きつけられた。

「このクソチビの知り合いか?」

 鋼の刃を構えたルズアが、腹の底からすごむ。

 底冷えするような声にあてられて、周囲の群衆が静まりかえった。

「いいえ、彼女には昨日ちょっとだけ森の中でお会いしただけです」

 グラントはあっけらかんと答えて、顔を上げようとする。ルズアがすかさず剣先をさらに近づけた。

「てことは、てめえみたいな野郎をここに寄越したのはクソチビで間違いねえんだな」

「寄越した、と言いますか……私が〝ポル〟というお嬢さんの居所をお尋ねしたのです。そしたら、このあたりにいらっしゃると」

「質問を変えてやる」

 半分鼻で笑うような調子で、ルズアは頭を垂れたままのグラントをぐいっと見下ろした。横のポルを肘で小突いて、

「こいつの知り合いか?」

「いいえ」

 グラントはきっぱりと言った。

「私はただのお使いで参っただけです。直接彼女と面識があるわけではございません」

「は、いい返事じゃねえかよ」

 ルズアはにんまりと笑った。

「誰のお使いだ? あ? ママのお使いってわけじゃねえんだろ」

「それは……このように人の多いところでは申せませんね」

 グラントは少し言いよどんで、下からルズアを睨めあげた。ルズアとグラントの目線がかち合う。

「そうかよ。じゃあ何をしに来たのか言え」

「……それも、このようなところでは。いえ……少し彼女とお話をしたい。ただそれだけです。ですから、お嬢さんと少し二人でお話しさせていただけませんか」

 ルズアは黙った。

 それに反して、グラントの台詞を聞いた野次馬たちが再びひそひそと囁き出した。

 ルズアはもう半歩進み出る。剣の切っ先を少しだけ逸らし、今度は甲冑の隙間からその下の首筋に狙いを定めた。

 目を上げて、周囲の群衆をぐるりと眺め回す。

「てめえら、このままこいつの首が吹っ飛ぶところでも見てえのか? 見てえ奴だけ残るんだな」

 一瞬、場の全員が面食らって静かになる。

 しかし徐々に人々がルズアの言葉を飲み込み始めると、またさわさわ微風のようなざわめきが起こった。

「人んちで物騒なことしやがって、ぁったく……あたしゃ関係ねえんだからね……散々だ……」

 オバサンが大きな声でぶつくさ言いながら、家の中に引っ込んで、バン! と扉を閉めた。

 それを見て、野次馬たちもわっと一斉に動き出した。全員がまるで何も見なかったかのように目をそらし、騒ぎながら散り散りになる。

 道の両側から人の波が引いていく。ささやき声も霧のように消え失せて、かわりに冷たい風がひゅうひゅう音を立てて家々の隙間を吹き抜ける。


 人だかりから一転、気持ち悪いくらい周囲には誰もいなくなった。

「ほらよ」

 ルズアが嘲り笑いを浮かべる。

「これで満足か?」

「あの。お言葉ですが、私はいつまでこの姿勢でいたらいいのですか」

 グラントが、まだ頭を垂れた姿勢のまま不満げに言う。

「はん、顔ぐらいは上げさせてやろうか。そっちのが首は搔っ切りやすい」

 ルズアは剣先を少し引っ込める。グラントはすかさず顔を上げると、露骨に不服そうな顔でポルたちを見た。

「何もお嬢さんに危害を加えようというのではありませんよ。申しているでしょ、お話がしたいだけなのです」

「ならさっさと話せ」

 ルズアは苛立たしげに言った。グラントも剣先の方へ少し身を乗り出して、

「お嬢さんと二人で、と申しましたでしょう。あなた方も少しご退席をお願いしたいのですが」

「それならてめえがどこのどいつで、誰のお使いか言え」

 ルズアが今度はグラントのこめかみに剣先を定める。グラントは、諦めたように少し肩を落として、ポルの顔を見据えた。

「私はグラント・ゼノセプトと申します。昔は騎士団におりましたが、今は完全に手を切っています。私を使いに出した主人は、この国の騎士――なんならこの国にあるどの権威とも関係ありません……あなた方、もしかしてそこの小さいお嬢さんからは何も聞いていらっしゃらないのですか?」

 眉をひそめるルズアを見て、グラントが付け足した。ポルは小さく首を振ってみせると、振り返ってスティンに目配せした。

 スティンはおずおずとポルの後ろから顔を出す。

「い、いや……あなたがポル嬢の〝本〟を探していることは聞いている。だから尋ねたいんだが……あなたをここまで遣わせたのは、いったいどこのどなたなんだ?」

「申し上げても、ポルお嬢さんにしか分からないかと思いますが」

 グラントは焦れているのか、挑発的な物言いになってきた。スティンは頑張ってひるまないように腰を立てて、

「〝魔女の一族〟の者か?」

 それを聞いて、グラントは数秒黙る。

 そして、ため息をつくと、気が抜けたように言った。

「なんだ、そこまではご存知なのではないですか。当然かもしれませんが」

「ポル嬢の〝本〟を探しているといったら、それしか思い当たらないさ。ポル嬢からあなたたちのような人々の話は聞いている」

 スティンは引きつった笑みを浮かべる。

 グラントは屈んだまま器用に後ろへ半歩下がって立ち上がった。ガシャン、と甲冑が耳障りな音を立てて、ルズアの剣先が一瞬下がる。

「はあ、ならばもう、ここで申し上げましょう」

 グラントはポルの目をまっすぐ見据える。

「ポル・アトレッタお嬢さん。あなたの持っている〝ベルンスラートの魔術書〟を、私に譲っていただきたいのです」


 ポルは身震いした。

 彼がみずから〝ベルンスラートの魔術書〟と言った。やっぱり彼が、間違いなく〝魔女の一族〟か、それと深い関わりがある人間だ。この男を足がかりにすれば、〝魔女の一族〟と〝清聖魔水〟は目と鼻の先。こいつは、旅の目的まで直通の道しるべだ。

 シェンからの情報で確信を得たときとは違う、あんな、これから起こることを考えて奮起するように冴えた感覚じゃない。

 全ての答えへの糸口を見つけた。今度こそ絶対だまされてはいない。

 その口から直接〝魔術書〟の言葉を聞いたという、この、なんともいえない昂ぶり、リビドー、本能の叫び。

 全ての謎が解き明かされるときの、首を絞められるような悦び。

 緊張で鼓動が早くなる。

 それに合わせて、五臓六腑が踊り狂う。研ぎ澄まされてゆく体表面の感覚が、それを冷静に脳髄へ訴えてくる。

 ついに来たか――ついに来たんだ――

 頭の中身が全部吹っ飛んで、それだけで頭の中が埋め尽くされる。

 と思ったのもつかの間、言いたいことや聞きたいことが間歇泉のように頭の中に吹き出してきて、目の前にいる甲冑の男の姿が歪んで見えそうなくらい、全身が沸き立って軽い目眩を覚えた。

「ポルさン」

 シェンが後ろで囁くと同時に、ポルの腕にしがみつく。ポルは足を止めて――気がついた。いつの間にか自分がグラントに詰め寄ろうと、足を踏み出していたことに。

「お鎮まりくださイ、何笑ってるんですカ」

 ポルを見上げながら、シェンはか細い声でぴしゃりと言う。やはりポル自身が知らない間に、顔が満面の笑みで引きつっていた。

「ああもう」

 シェンは震え声でつぶやくと、これ見よがしにポルの背中をひっつかんで足を踏ん張り、正面からグラントを睨みつける。

「お譲りと申されましてもネ。我々にとっても貴重な本ですのデ、ハイどうぞというワケにはいきませんヨ」

「あなたは昨日〝魔術書〟を見た覚えがないとおっしゃっていたではないですか……」

 グラントが呆れたように言った。

「初めてお会いした方相手に、そうバカ正直にはしゃべりませんからネ」

 シェンは素っ気なく返す。グラントは困ったように、

「ま、まあ。私もそう簡単にいくとは思っていません。警戒されて当然です」

 決して怪しい者ではないですが、とでも言いたげにゆっくり両手を挙げる。

「ただ、私だってあなた方と敵対したいなんて思っておりません。ただの知らない他人として、お話しいただければ結構ですから」

「うるせえな。それはこっちが決めんだろうが」

 ルズアがイライラと吐き捨てる。

「黙ってくださイ」

 シェンはルズアを小突くと、

「我たちに敵意がないのは、お話しぶりを見ていれば分かりますヨ。問題は、あなたの要求を我たちがすぐには呑めないということでス」

「……では、どういたしましょう」

 グラントは声を低める。

「あいにくですが私も、断られたからといってすぐ引き下がるわけにいかないのです」

「それはそうでしょウ。ですから、あなたほど正直で誠実なお方なら、取引をできないかと我たちは思っていまス」

「……取引というなら、条件をお聞きせねばなりませんね」

「对、まあ、たいしたことではございませン。教えていただきたいことがある、というだけでス」

「私があなた方の知りたいことを教えれば、〝魔術書〟を譲っていただけると?」

「嗯……正確には、どこまで教えていただけるかによって譲るかどうかを決めようかト」

 グラントが黙った。

 シェンは返事を急かしもせず、あわせて黙る。

 そわそわとポルがシェンの顔を見て、グラントの顔を見て、もう一度シェンに視線を戻した。

「一体何をお教えすれば?」

 グラントは直球を投げてきた。

「〝赤い歌姫〟殺害事件はご存知デ?」

 シェンも直球で返す。グラントはなんの屈託もなく頷いた。

「ええもちろん。この国の民で知らない者はいないと思いますが」

「へへ、まあそうですネ。その〝赤い歌姫〟殺害事件なのですガ……」

 シェンは一瞬だけ言いよどんだあと、少し声を小さくして言った。

「〝魔女の一族〟の方が関わっていないか、知りたいのでス」

「ああ、なんだ。そういうことですか」

 拍子抜けするほど軽い返事だった。シェン以外の三人が、一斉に眉をひそめる。

「我々のことを知っている者でもなければ気付かれないとは思っていましたが、別に気付かれたからと言って私は隠そうとも思いません。あれは、我々の仲間の失態です」


「は?」

 シェンが空気の抜けたみたいな声をあげた。

 ポルがちらりとシェンの方を見ると、本当に空気が抜けたみたいな顔をしている。自分もたぶん全く同じ顔をしているんだろうな、と思った。

 グラントはなおも世間話でもするように続けた。

「いや……なんと言いますか。我々の仲間の一人がしでかした、人選ミスと軽率さが招いた結果と言いますか……私はまったく愚かな行為だったと思いますよ。隠し立て庇い立てするのも恥ずかしい」

「はあ」

 さっきまであんなにペラペラしゃべっていたシェンが、言葉を失っている。

 ポルも、さっきまでの激しい興奮と胸騒ぎが、すっとおぼつかない不安に変わっていくのを感じた。

 あまりに拍子抜けしたとでもいうのか……今日の夕飯の話をしているわけでもあるまいに、自分たちにとってこんな重要な話を、こんなにあっさり、軽々しく喋ってくれるとは思わなかった。他の誰も思っていないに違いない。

 いや――この男の話を聞いたところで、いったいどこまで信じていいものか。

「じゃ、じゃあつまり、どういうことなんでス?」

 なんとかシェンが、どうしようもない疑問を口にした。

 グラントはため息をつくと、

「我々の仲間の一人が、とあるゴロツキの男を金で雇ったんですよ。〝魔術〟を使って〝赤い歌姫〟を襲うようにと」


 沈黙。

 全員が、グラントの言葉を飲み込めずにいた。

 ポルが再びシェンの方を見ると、困ったような顔のシェンとばっちり目が合った。

 ルズアですら冗談かよ、とでも言いたげな表情でこちらへチラチラ視線を送ってくるし、スティンに至っては完全にあらぬ方向を向いている。

 ポルはす、とグラントの方へ視線を戻した。彼はすこぶる真面目な顔で、こちらの反応を待っているように見える。

 まあ、もうここまで来れば乗りかかった船だ。聞き出すだけ聞き出しても、別に損はしないだろう。

『じゃあ、そのゴロツキの男が……』

「じゃあ、そのゴロツキの男ってのが事件の犯人なのですカ?」

 シェンがポルの言葉を復唱してくれる。

 男はふん……と曖昧な声を漏らした。

「まあ、実行犯は彼だということになるでしょう。しかし、そもそもの原因を作ったのは我々の仲間の一人、です」

「そうですカ……」

 シェンは次の言葉に迷う。数秒考えて、

「その実行犯の彼は、一体どこのどなたなんでス?」

「ああ……名を何と言ったか……ドレッドフェールの向こうにある、バーギーという街で幅をきかせているギャングだったかのメンバーであることは確かです。そうですね……パラヴェル・イグニスといいましたか。綴りが思い出せませんが」

「パラヴェル・イグニス」

 シェンが復唱する。

「バーギーにいる、と」

「ええ。もし彼を探しに行かれるのであればお気をつけて、バーギーはとんでもない街ですから。街一体が後ろ暗い組織の根城まるごと、とでも言いましょうか」

「知っていまス」

 シェンは受け流すように言った。

「ギャングへの手回しで襲われるとは、歌姫様は一体あなたのお仲間からどんな恨みを買われたのですかネェ……」

「さあ、依頼主のことなんぞ大して知りたくもありませんが……ろくでもないやつですから、恨みといってもどうせくだらないものでしょう。ただ、そんな無茶苦茶な依頼を受けてくれる輩がいる、というのの方がよっぽど問題です」

「まあ……たった一人に恨まれているだけなら殺されなくてもよかったワケですからネ」

「歌姫様を良く思っていない人間は存外にいます。裏社会の人間に金で依頼するにしろ、歌姫様をよっぽど嫌いな人間でもなければ、こんなに危険だらけの依頼を個人的に受けてくれる理由がないとは思いますよ」

「ということは、あなたのお仲間は、ギャングの男へ直接仕事を頼んだんですカ? 組織を通さずニ?」

「どうやらそのようです。一応、あの愚か者にもギャングの組織と深く関わったらいけないという危機感くらいはあったみたいですね」

「そうだとすると、ギャングのメンバーが組織を通していない大仕事をそう簡単に受けるとは思いませんシ、バーギーの大きな組織でしょう、いくら下っ端でも金に困っているとは思えませン。依頼金目当てでもないとすれば、やはり個人的な利害の一致でもあったのでしょうカ……」

 考えこむような顔をしながら、シェンはいかにも深い意味ありげに頷いてみせる。

「たしかに。あなたは聡明な娘さんですね」

 グラントがちょっと笑みを浮かべた。

「ポルさんほどではないですヨ」

 シェンは微笑で返したが、ポルは思わず顔をしかめてしまった。

 ちゃ、という小さな音が横から聞こえてそちらを見ると、ルズアが半分呆れた顔で剣を下ろしていた。

「もしかしたら〝魔術〟を使って、ということだから、あなたのお仲間も組織を通して依頼するわけにいかなかったのかもしれませン。それに、不思議な力を使って事件を起こせば、絶対に自分が犯人として足が着く危険のない完全犯罪を成し遂げることだってできるわけでス。確かに、こっそり歌姫殺害の依頼をやりとりするにはうってつけの条件ではありますよねエ……でも、ポルさんからお話を聞く限り、〝魔術〟は一般人の目に触れさせてはいけないもののはずでス。なぜそうまでして、あなたのお仲間は歌姫様ヲ?」

「それは……」

 グラントの声が急に硬くなった。

「それは、申せません」

「なぜでス?」

「我々は、あー……本来、動くときはできるだけ穏便にと言われていますのでね」

「なるほド。そこがお話しできないということはつまり、その動機はあなた達のポリシーに反するのだト。そこにはお仲間内の穏便ならぬ事情が絡んでいる、ということですカ」

「否定はできません……まあお察しかとは思いますが、私たちの仲間も一枚岩ではないものでして」

「ふうん、なるほド……では直接、あなたのお仲間ご本人に聞きに行った方が早そうですネ」

 シェンは射抜くようにグラントを見る。

 グラントは小さく首を傾げて、

「それはできませんね」

 シェンも同じように首を傾げた。

「なゼ?」

「〝赤い歌姫〟殺人事件をやらかした罰で、当人は今監禁中です」

「どこニ?」

「それもお話しできません」

「そうですカ」

 シェンはふう、と肩を下ろして、半歩下がった。

「それが教えていただけないなら、〝魔術書〟をお譲りするわけにいきませン」

 グラントは黙った。

 シェンとグラントが睨み合う。


 数秒の後、シェンはおもむろにポルをつついた。

「〝魔術書〟ヲ」

 ポルはあわててカバンをまさぐり、水で湿った中身から魔術書を探り当てる。

 ポルがそれを引っ張り出したとたん、シェンはポルの手から奪うように魔術書を取って、グラントの前に掲げた。

「これでしょウ?」

「ええ、そうです」

 がちゃ、と鎧の音を立ててグラントが身を乗り出す。ルズアが再び剣を構えた。

「どうしても教えていただけませんカ?」

 挑発するようにグラントを見下ろすシェン。グラントは苦虫を噛み潰したような顔で返す。

「……他にお教えできることがあればいいのですが」

「わかりましタ。それなラ」

 一瞬間をあけて、

「あなたのお仲間は一体どれくらいいらっしゃるのでス?」

「それも申せませんね……」

「ふうん……」

 シェンは顎に手を当てる。

「ご存じなかったら申し訳ないのですガ……我たちが王立図書館に立ち寄った時に、〝副司書長〟を名乗ってポルさんとお話しされた女性は、あなた、お知り合いですカ?」

「さあ。知りませんね」

 グラントはすぐに答えた。

 シェンは目を細める。

「本当にご存じなイ? 初老の上品なおば様ですガ」

「心当たりがありません」

 グラントは落ち着き払った声で言った。シェンはふん、と鼻を鳴らして、

「わかりましタ。今我たちからお尋ねしたいことはそれだけでス」

 グラントは再び黙り込む。

 道の奥からちゃかちゃかちゃか……と茶色の犬が走ってきて、グラントとポルたちの横を通り過ぎて行った。

 シェンは魔術書を両腕で抱えた。

「この本の代償としては、少し足りませんねェ」

 グラントは答えない。

「結局、〝魔女の一族〟が一体どこのどういう方々なのかは何も教えていただけませんでしたかラ」

「我々を追ってくるつもりなのですか?」

 グラントが耐えられなくなったように言う。

「何のために? 〝赤い歌姫〟殺人事件の元凶を突き止めるためですか?」

「まあ、そんなところでス」

 シェンはふふん、と笑う。

「そうですか……」

 グラントが顔をしかめた。

「では、それについては当人に責任を取ってもらうようにしましょう。話はそれからだ」

「ふうん、わかりましタ。でしたら、元凶ご本人が責任を取ってくださるのを楽しみにお待ちしていますネ。この本の扱いは、それから考えさせていただきまス」

「……わかりました。いいでしょう……できるだけ早急に話をつけておきます」

「ありがとうございまス」

 シェンはにっこり笑って、グラントから目を離さずにポルへ魔術書を渡す。素早くポルはそれをカバンにしまった。

「ルズアさン。剣を収めていただけますカ」

 ルズアはちっ、と大きく舌打ちをすると、これ見よがしにゆっくり剣を鞘に収める。

 最後にシェンが一歩ポルの前に進み出て、ぱん! と手を打った。

「お開きでス、皆様。グラントさんも、こんなところまでご足労いただいたのに申し訳ないですネェ……またお会いできる時を待っていまス」

「はあ」

 グラントは釈然としない顔で生返事する。鎧をガチャつかせながら、立ち上がろうと前のめりに屈んだ。

「早くお家の中へ」

 シェンは素早くポルに耳打ちすると、さりげなくポルの背中を押す。

 ポルは一瞬面食らってシェンを振り返ったが、言われるままに走ってオバサンの家へ駆け込んだ。

 グラントが立ち上がった直後に、バタン! と玄関ドアが閉まった。

「では、我たちもお腹が空きましたのでお暇しますヨ。ベスペンツァを楽しんでくださいネ、グラントさン」

 シェンが玄関ドアの方へ身を乗り出した瞬間、

「ま、待ってくださいお嬢さん……あなたのお名前は」

 グラントが口を挟んだ。

 シェンはにんまりと笑顔を作って、

「元は海の向こうから、密輸組織の貨物船に乗ってやってきた身、身寄りも真名もありゃしませン。そうですネ……強いて言うなら〝ウサギ番〟という呼び名がありまス」

「え……」

「では、再見!」

 戸惑うグラントを尻目に、ぴょんぴょんと玄関ドアの中へ去って行った。


 残されたルズア、スティン、グラントの三人は、黙ったまま呆然とオバサンの家の玄関戸を眺めていた。

 しばらくして、扉の向こうからどたどたどた! と激しい足音。くぐもったオバサンの金切り声も聞こえてきた。

「……ここの住人の方にはご迷惑をおかけしましたね」

 しんみりとグラントが呟く。ゆっくり、スティンとルズアへ向き直った。

「そこの殿方お二人、恐縮ですが……大変申し訳ありません、とここの住人の方にお伝えください」

「あ、はぁ」

 スティンがへこりと頭を下げた。

 グラントも優雅なお辞儀を返す。

「では」

 顔を上げると、くるり踵を返して、がしゃん、がしゃん、音を立てながら一本道を遠ざかって行った。



「けっ……」

 グラントのぴかぴか光る背中が見えなくなった途端、ルズアが吐き捨てる。

「クソチビ、調子に乗りやがって」

 そう言うと、ルズアはポケットに手を突っ込んで玄関ドアへ向かった。

「あっ、ま、待ってくれ」

 その後を慌ててスティンが追いかける。玄関ドアの前の石段でつまづきかけ、ルズアと一緒につんのめりながらドアに転がり込んだ。

 誰もいなくなった細い一本道を、てちてちてち……と茶色い雌鳥が通り過ぎていった。



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