5-2 迷路の町
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はるか遠い山の稜線の上へ、太陽が傾いてきた。
ポルたちは山の斜面に立っていた。行く手は下り坂。眼下には深い森。オレンジまじりのやわらかい光で、一面緑の景色は少しぼんやりとして見える。
ポルたちが辻馬車に乗って登ってきた山は、峰を越えるまでずっと草原だった。しかしその草原は、峰を越えた少し先から突然ぶつりと森に変わっている。
辻馬車は森の中の道を下っていけないので、ポルたちはさっき馬車を降りることになったのだ。
「おーい、お嬢様たち、行かないのかぁ」
少し先からバルバロの呼び声がする。壁のようにそそり立つ森の入り口で、バルバロ一座の小さな姿が三人分、こちらを振り返っていた。
ポルはにっこりと笑って、首を振った。バルバロたちの騒がしい興行と山の上り坂で、ルズアの調子がすこぶる悪い。
休息も兼ねて、ポルたちはしばらく立ち止まることにしていた。
「そうかあ、赤毛の兄ちゃん、騒いで悪かったなあ」
バルバロが叫び返す。
ルズアはポルの少し後ろでしゃがんでうなだれたまま、返事をするどころではないらしい。
スティンはルズアの横に腰を下ろして、困ったように笑いながらバルバロ一座を眺めていた。
「かまいませン! 楽しかったでス!」
ポルの隣でシェンが叫ぶ。後ろでルズアが小さく文句を言うのが聞こえたが、何を言っているのかわからなかった。
バルバロたちはこちらを振り向きながら、名残惜しそうに森の方へと歩を進める。
「そりゃあよかった! あんたら、こっちからベスペンツァに行くと町の入り口に門があるからな、夜になる前に来ねえと閉まって入れなくなっちまうぞぉ」
ポルはシェンの手に返事を綴る。シェンが答えた。
「ここからどれくらいかかりますカー?」
「一時間くらいだね! でも、門はいつ閉まるか決まってねえから、早めに来いよお」
シェンは大きくうなずく。
「ありがとうございまス!」
「おうよぉ、また町で会えたらいいなあ!」
そう言うとバルバロは大きく手を振って、森の方へ向き直る。
先立って歩くドニとモナの後について、バルバロのハゲ頭が森の木の間に飲み込まれていった。
ポルは後ろを振り返る。
ずっと向こうで、ポルたちが今越えてきた山の峰が、灰色がかって澄んだ空に、波のような稜線をはっきり描いていた。
目をこらすと、小さな小さな動く点がひとつ。
金の光に西から照らされ、稜線の上でうごめいている。ポルたちの乗ってきた辻馬車だ。
辻馬車のぎいこぎいこ言う音を耳の中で思い出しながら、右に、左に、揺れる小さな点をポルは静かに見つめていた。
あの馬車が来た道を引き返したら――
きっとあの商売下手な御者も自分の家に帰って、晩飯を食べて、広大な草原を見ながら、吹き渡る風を聞きながら、眠りにつくのだろう。
それ以上細やかな情景を想像しようとすると、鼻の奥につんとしたモノがこみあげて、胸の内が暴れ出しそうになる。
遠ざかる小さな点はやがて、ふ……と消えた。
峰を越えたのだろう。もう、エコールには帰れない。
「あぁ……ンのやろう」
ルズアがうめきながら、のっそりと立ち上がった。
ポルはルズアに歩み寄る。
『行けそう?』
「行くしかねえだろうが。今晩も野宿はごめんだ」
はあぁ、とルズアが大きくため息をついた。隣のスティンの顔を見ると、彼は真面目な顔でうなずく。
最後にシェンを振り返ると、シェンはもう森の方へ足を踏み出していた。
『そうね。行きましょうか』
ポルはルズアの腕を取った。
***********
道ともつかない急斜面の細い道を、ポルたちは早足で下っていた。
腕を広げたら両手に木が触れるほどの、密集した広葉樹の森。あたりは暗くて、先頭を行くポルのランプすら頼りない。
唯一の救いは、森の下生えがきちんと刈り取られていて、暗くはあれど歩きにくくないことだけだ。細い道でも、両側が石で雑に囲われて平らになっている。よく人の入る森なのだろう。
日はまだ沈んではいないようだ。見上げると、木々の梢をオレンジに染める夕日の色が、点々とわずかにだけ見える。
といっても、傾いた日の光は森の底には届かない。沈みきって押しつぶされそうな、緑がかった闇の中を、四人は何かに追われるように急いだ。
ゴァ……ゴアッ……とすぐ頭上から得体の知れぬ鳥の声がして、ポルは跳ね上がる。もし立ち止まって目を凝らしたら、そこら中で金色に光る無数の目と視線がかち合うにちがいない。
振り向いてはいけない。立ち止まってはいけない。そうすれば、一瞬でこの森に飲まれて出られなくなる。
薄ら寒い湿気った空気を額で切る。転がり落ちないように足を踏ん張って進む。
ピィッ、ピィア……と、少し遠くからアイテルの澄んだ声が聞こえて、ポルは少しほっとした。野生動物たちの視線が、鷹の声を聞いてさっと減ったのをなんとなく感じる。
その時。
ギギィ……ゴン、ギイ……
前の方から、木の擦れるような音がした。大きな音だ。
人がいるのか? ポルが一寸先の闇に目を凝らす。
すると、道の先にぽっかりと、石組みの重々しい門が口を開けていた。音の出所はそこらしい。
門の上に人が二人、点のようなランプの光に照らされている。その二人はなにやら、えっちらおっちらと、門についた巨大な跳ね上げ扉をロープでゆっくり下ろしていて――
ポルはすぐ後ろにいたルズアの腕をむんずと掴んで駆けだした。
ルズアの足音ががさっ、と転びかける。シェンとスティンの足音も同時に速くなる。
手に持ったランプを高く掲げて、滑り降りんばかりに走った。まだ遠い。いや、下り坂と暗さで距離がわからない。門がここより下に見えるせいで、相当遠く感じる。
ちょっと待って――叫びたいが、夜の森は叫ぶと獣に見つかって襲われかねない。そもそも叫ぶ声がない。
ポルは思わずランプを振った。中の火がぼうぼう揺れる。
すると、門の上の人影が動きを止めた。
同時に、閉まりかけの跳ね上げ扉も止まった。気づいてくれたのだ。人影がこちらを指さしているのが見える。
勢いづいた車輪さながらスピードを上げるポルたちの目の前に、門がすごい速さで迫り来る。止まらない。足がもつれる。木の跳ね上げ扉に殴られそうだ。
気がついたらポルたちは、門の中に転がり込んでいた。
すこんっとポルがつまずく。肩から地面にたたきつけられた。
「いってぇ!」
つられてルズアが転ぶ。肘がポルの脇腹に思い切り刺さった。
「ぎゃあっ⁉」
シェンの悲鳴。影がさっと頭上を横切り、目の前の地面に一組の足が着地する。間一髪で二人を跳び越えたらしい。
「うわっうわああああああ⁉」
スティンが一番派手な悲鳴を上げ、ルズアにつまずく直前で止まった。つま先立ちでぷるぷるしている。
スティンの悲鳴は、遠くの森に吸い込まれていった。
「おーい、あんたたち」
頭上から声が降ってきた。
ポルは脇腹をさすって上体を起こす。息が切れて、内臓が口から飛び出そうだ。
「あんたたち、バルバロ一座のやつらの知り合いか?」
声を追って振り返ると、今滑り込んだ門の上から、筋肉で太った金髪の男がこちらを見下ろしていた。
ポルが大きくうなずいて答える。同時にドスン……と音がして、すぐ背後で門の跳ね上げ扉が閉まった。
底なし森の真っ暗な入り口がふさがれて、ポルはにわかにほっとする。
「そうかぁ。バルバロ一座のやつらが、後で若いもんの四人組が来るかもって言ってたでよぉ」
金髪の男はポルたちに背を向けると、たった今扉を閉めたもう一人の人影を手伝って、するするとロープを巻き上げる。
「あんたら、早く宿を探しなぃ。多分夜中には雨が降るどお、まだこの時期ゃどこのうちでも大体泊めてくれっから」
背を向けたまま言う。ポルはお礼を伝えようとして、ルズアを振り返った。ふて腐れた顔で地面に座り込んでいる。
シェンを見ると、ばっちり視線が合った。シェンは小さくうなずいて、
「ありがとうございまス!」
「おうよぉ」
間の抜けた声が返ってきた。
「早く行きなぃ。日が沈んじまうど」
それを聞いて、ポルは道の先を振り返った。
そこには、森が開けて、濃い青からオレンジ色へ移り変わる空が、うそみたいに遠く遠く遠くまで広がっていた。
そして眼下には、びっしりと入り組んだ無数の建物が、山の斜面に沿って紺と濃緑に霞んでいた。石と木でできた家々の窓から、満天の星みたく点々と灯りが漏れている。
まるで、はるか足下から夜空が湧き出しているようだ。
ピィア、ピィ……と甲高い声がこだまする。アイテルが後ろから飛んできて、湧き出す夜空の上をさあ……と突っ切り、あっという間に見えなくなった。
きっと、自分の背中には羽が生えていて、今は空を飛んでいるにちがいない。足が宙を掻き、上下左右三百六十度、夜空の中に放り出されたのだ――
顔に吹きつける向かい風を受けて、ポルはそう確信するほかなかった。
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町の中を蛇行する狭い木の階段の道を、ポルたちはゆっくりと下ってゆく。
夕日が沈んで、濃紺に染まりきった空のもと、景色はさっきからがらりと変わっていた。
腕を広げたら両手に石や漆喰づくりの家の壁が触れる。どの家も、入り口から奥へと階段状ににょきにょき上るような造りになっていて、それが急な斜面に沿ってびっしり、所狭しと並んでいるのだ。
なかには、左右の建物が道の上で橋渡しするようにつながっていたり、木板の道がぷっつり途切れたかと思うと家の屋根の上が道になっていたり。
とにかく、家の隙間をすべて無理やり道にしたようなありさまで、町中まるで蜘蛛の巣みたいに複雑だ。
いくつもの家のトンネルを通り、いくつもの家の屋根の上を渡って、ポルたちはゆっくりと歩いた。
そこら中の建物の壁に掛けられた小さなランプが、宙に浮かぶ灯のように点々とポルたちの足下を照らす。そこかしこの階段や建物の土台からのぞくコケや小さな野草が、その灯りを受けてぼんやり緑の光を反射していた。
ポルは先頭を行きながら、もう一度空を眺める。
さっきまで冴え渡るような晴天だったのに、今はもくもくと大きな黒い雲がいくつも現れていた。
門にいた金髪の男の言うことは本当だったみたいだ。今夜は雨が降る。
早く宿を見つけないと――気は焦るものの、ポルは正直どこに向かって歩けばいいのかわからなかった。
なんせ、どの建物にも宿屋らしい看板が見つからないのだ。それどころか、この町には店がないのかと思うほど、看板というものを見かけない。住人の名前を書いた表札はどこの家の入り口にもぶら下がっているのに、それだけ、である。
ポルは目の前の道に視線を戻す。
すると突然、道の横からにゅーっと馬の鼻が現れた。ポルはびっくりして転びかける。
「ポル嬢?」
後ろからスティンが声をかけてくる。
ポルは危ういところで体勢を立て直した。
見ると、道の横にある家の隙間から、背中の高さがポルの腰より少し上くらいしかない小柄な月毛の馬が、冷ややかな目でこちらを見返している。
ポルはどうぞ、と馬に道を譲ってやった。馬はぬうっと隙間から出てきて、どうでもよさげにぽっく、ぽっく……と行く手の階段を下っていった。
めどもなく歩くのはイヤになってきた。ポルはなんとなく、馬の尻を追いかけることにした。
少し先で、茶色みがかった金色をした馬の尻尾が、ランプの弱い光にぼんやり波打つ。どこへ向かっているのか、ひたすら馬は階段を下っていく。
しばらく歩くと、いくらなんでも腿の筋肉が痛くなってきた。血眼になって道の両側に目を凝らすも、やっぱり宿屋の目印はない。
いや、そんなはずはない。門にいた男は、早く宿を探せと言っていた。それなら、宿自体はあるはずなのだ。
ポルはついに足を止めた。仲間たちももんどり打って急ブレーキをかける。
「どうしましたカ?」
シェンが不思議そうに尋ねる。シェンの足下を、ふんふんふん……と鼻息の荒い小型犬が通っていった。
ポルはうつむいて苦笑いしながら、小さく首を振った。
埒があかない。進む道を変えようと思い立って、顔を上げると薄暗い脇道をのぞく。
「……あ」
脇道の暗がりから、小さな声がした。
ポルは暗がりをじっと見つめる。
すると、そこから華奢で浅黒い肌の娘が音もなく出てきた。
つやつやした長い黒髪。彫りの深くてかわいらしい顔に、眉の上と目の下に点々とある赤い化粧。
間違いなく、バルバロ一座の曲芸師モナだった。
ちんちくりんのワンピースではなく、ゆるいピンク色のズボンに、象牙色をした長い麻の布を巻きつけて上着にしている。モナは真面目な顔で、ポルをのぞき込んだ。
「まだ、宿、ない?」
ぶつりぶつりと切れるような訛り。深くて大人びた声の彼女は、こうして見ると、自分たちより少し年上なくらいだろう。
うん、とポルは頷いた。
「そうか」
モナは四人の顔をざっと見つめ、最後にルズアの顔をまじまじと眺めた。
「紹介、してあげようか」
ポルはすかさず頷く。モナは四人にくるりと背を向けて、
「もうすぐ、街のランプが、消えて、暗くなる。危ないところ、だったね」
そう言いながら、すでにほとんど真っ暗な脇道へ引き返していく。ポルたちはその後を追った。
家と家の隙間を縫うように、モナは進んだ。
足音をほとんど立てずに歩く彼女の後ろで、ざり、ざり、と砂を噛むような四人分の足音はいやにうるさく響いた。
通り過ぎる家のガラス窓や格子窓が、目線の高さに、頭より上に、はたまた足元に――道の両側いたるところから、部屋の明かりで五人の行く手を照らす。
町の中は水を打ったように静かだった。
それでも、ガラスのはまっていない格子窓の近くで耳をすますと、中から男の笑い声や、子供を叱り飛ばす母親の声、ガシャーンと猫が陶器を倒す音、ひどい痴話喧嘩、濃厚なキス、老婆の口ずさむ歌――無数のシーンが、走馬灯のように耳元に近づいては通り過ぎていく。
「モナさんの宿はこっちなんですカ?」
シェンが少し早足でポルの隣に並んで、モナに尋ねた。
モナはちらりと振り返る。
「うん」
「この町、どうやって宿を見つけたんでス? それらしいところが見つからなくテ」
シェンは肩をすくめる。モナは前に向き直った。
「普通の家に、たのんだら、泊めてくれる。お金を、出せばね」
「みんなそうやって泊まるんですカ?」
「そうだよ」
モナの声はいたって静かだ。歩くたびに、長い髪と上着にしている長い布の端がひらひら揺れる。
「泊めてくれない、ところも、あるけど。結婚してない女の子が、いる家とか」
そこでちょうど、道が木の橋に変わった。両側の建物がなくなって、横からびゅうっと強い風が吹きつける。
足もとをちらり覗いたら、背筋が凍りそうなくらい冷たくて深い闇の下で、白波を立てて流れる川の水面がかすかにだけ見えた。ずっと奥の高い方からは、どうどうと低く底冷えするように荒々しい水音が、響いて聞こえてくる。
ひ、落ちたらひとたまりもないだろうな、とポルは思った。
それもつかの間、水音がふっと後ろへ遠のく。橋を渡りきって、また家の隙間に入った。
モナは迷いなく、ずんずん進む。
しかしほどなくして、彼女はぴたりと止まった。
ポルたちもつんのめるように止まる。
まだくぐもった川の音が路地の壁に反響して、ポルの耳に届いていた。モナは左手にあった家の玄関階段をひょひょいと上って、ドンドン! と乱暴にノックする。
その瞬間。
ドドドドドド! えらい音がドアの向こうから近づいてきて、バゴン! と破裂するようにドアが開いた。
ポルは思わず半歩あとずさる。
そこには、枯れ木のような手足に、木の梢みたいなもじゃもじゃ頭のオバサンが仁王立ちしていた。
オバサンはモナの顔をじぃっと見たあと、着ていたシミだらけのエプロンでゆっくり手を拭いた。
「なんだあ、モナけぇ」
枯れ木が折れるような、鋭くてがさがさした声。見た目の印象と寸分違わぬ威圧感だ。
「今夜、四人。泊まれる?」
モナは微塵もひるまず、さらりと言った。
オバサンの顔は家の中から漏れる暗い灯りで、逆光になってよく見えない。
「男か? 女か?」
「二人ずつ、だよ」
「いくら出せんだぁ?」
「それは、この子に聞いて」
モナはす、とこちらに手を伸ばすと、シェンの二の腕をむんずと掴んで、道から数段上にある玄関扉の前まで引っ張り上げた。
さすがのシェンも転びかける。
「また外国人!」
オバサンが金切り声を上げた。シェンは慌てて体勢を立て直すと、警戒心むき出しの野ウサギみたいな目でオバサンを見上げる。
「モナ! 外国人はぁアンタだけで十分だで言うたじゃろうが!」
オバサンの声に、思わずポルまで縮み上がる。
モナは涼しい顔をして、
「どこの国の、やつだって、そんな変わんないよ。あたしはよくて、コッチがダメ、なんてことはない、と思うけど」
モナの言いぶりに、オバサンは眉をひそめてシェンをじろじろ見た。
「アンタぁバルバロが連れてきたんじゃないかぃ。信用ってモンがあんだぁ――」
「一万!」
シェンが叫んだ。
モナとオバサンが、あっけにとられて言葉に詰まる。
「一人、一晩でス」
珍しくシェンの腰が引けている。一歩でもオバサンが近づいたら思い切り噛みつきそうだ。
「一万?」
オバサンが放心したようにつぶやく。
どう取ったのか、シェンは足を踏ん張って、
「一万五千」
後ろで見ていたポルはさすがに頭が冷えてきた。ここで一人一万五千ベリン出したら、アーラッドで買った貴金属は出発前に金に換えた方が良いかもしれない、などと考えを巡らす。
「足りませんカ」
シェンはまだ食い下がる気だ。
「じゃあ一人三ま――」
「ああもう!」
今度はオバサンが叫んだ。シェンとモナの顔を見ながら唾を飛ばして、
「オメエみたいな小娘からそんなに取れるかってぇんだ! 一部屋五千でいい!」
くるりと背を向けて、家の中へずかずか入っていく。
「部屋は三つ空いてらぁ、勝手に入りな」
オバサンは、家の奥の二人がけソファにどかっと腰掛けて、肘掛に置いてあったパイプをぎりぎり噛むようにくわえた。
「ほら、早く入って」
モナがすかさずシェンの背中を押す。ポルはあわてて玄関の階段を全部ジャンプで飛ばし、シェンの後を追う。
後ろで見ていたスティンとルズアは、まだ突っ立ったままだ。
「あなたたちも、だよ、ほら、早く」
モナが促す。スティンはおろおろとルズアの顔を見たあと、萎びたみたいに小さくなって、一段一段申し訳なさそうに上ってきた。
ルズアはもうすでに眠そうな様子で、スティンの後にずかずか続く。
全員が家の中に入ると、
「ちょっと、お嬢様」
モナがポルに手招きした。ポルは慌てて玄関に引き返す。
「紹介料、千ベリン。布、いっぱい買ってくれたから、安くしとく」
ポルは一瞬むっとしかけたが、思えばモナがいなかったら今夜は野宿だった。言い値でも何でも礼はしなければならない。
財布を取り出して、千ベリン札を一枚抜く。すると、モナは涼しい顔でポルの手からひょいっと札を取った。
「あたし、隣の家に、泊まってんだ」
モナは札を上着の布の隙間にしまった。
ポルはへえ、という顔をする。
「バルバロたち、町に着いたら、飲んで、遊んでばっか。つまんない。だから、遊びに来て」
ポルはうんうん頷く。それを見ると、モナはくるりとポルに背を向けた。
「じゃあね。……あ、」
その時。外からぼたり、ぼたり、ぼたぼたぼた、と水音がし始めた。数秒とたたぬうちに、ざあざあと屋根や道を打つ音に変わる。
車軸を流したような大雨だ。
「きたきた、雨」
モナは事もなげに言うと、上着の布を頭からかぶって外に踏み出した。
「じゃ、雨がやんだらね。バイバイ」
最後の方は、雨音にほとんどかき消された。モナの姿は、玄関戸の影に消えて見えなくなる。
「早く閉めとくれ!」
部屋の奥からオバサンの金切り声。ポルは急いでバタン! と戸を閉めた。
どかどかどかどか、とやかましい雨音が家中に響く。屋根の上で太った馬でも走り回っているみたいだ。
家の中を落ち着いて見る。玄関入ってすぐの所は居間になっていて、お屋敷にあるポルの部屋より一回りも小さな空間に、スティンが手を伸ばしたら届きそうなくらい低い天井。
壁の所々についたちぐはぐなランプと、古くて不安定な燭台が、部屋をどんより照らしている。
毛羽だって変色したクマ皮の敷物に、二人がけのソファ、木の板丸出しのローテーブル。やけにコチコチうるさい壁の振り子時計。何が入っているのか得体の知れない、無骨なローチェスト。
顔が出せる程度の小さな窓に、カーテンはかかっていない。外を流れる雨粒がもろに見える。
部屋の中はきちんと掃除されているようだが、部屋中しけた臭いが漂っていて、漆喰の壁や家具のところどころが湿気で黒ずんでいる。部屋の奥からわずかに風が入ってきているから、きっと奥には土間があるらしい。
まるで肝試しか、怪談でもするために集まっているみたいだ、とポルは思って寒気を覚えた。
ポル以外の面々は、おのおの部屋の端の方へ散らばって落ち着かなそうにしていた。スティンは部屋の角で縮こまってもじもじしているし、シェンは家具と家具の間を行ったり来たり、ルズアは窓のそばにもたれて外を覗くようなそぶりをしている。
「なにぼうっとしてんだぁ。オメエらの部屋は上だど」
オバサンは言ってふうっとパイプの煙を吹くと、壁をぐいっと指さした。ルズアが煙に顔をしかめる。
ポルはオバサンの指した壁の方へ目をこらす。すると、暗がりにぼやけて気がつかなかったが、壁ぞいにぼろっちい木のはしごがあった。
ポルはシェン、ルズア、スティンに目配せすると、オバサンの前まで進んで小さくお辞儀をし、壁に歩み寄る。
思い切ってはしごに手をかけた。ミシ、ときしむ。
その瞬間、窓がカッと一瞬光った。
ドシャアン――!
外で雷が落ちた。直後、耳が痛くなるほどの静寂が襲う。
ああもう、今日は早く寝よう……と、ポルは急いではしごに足をかけた。
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