4-10 本物のスター
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カン、カン、カーン、カン、カン……
でっかい大鍋を叩くようなけたたましい金属音が、メルの行く手からかすかに聞こえてきた。
ごととんごととん……と、馬車が石で舗装されたゆるやかな上り坂を並足で進む。
窓の外は、針葉樹ばかりの黒い森。曇り空の下、春一番の強い風に揺られて、森の梢がうねうねと迫ってくる。
メルは馬車の座席でもぞもぞ身じろぎした。左にエリーゼ、右に護衛の男が乗ってぎゅうぎゅうなところに、いい加減に舗装された道では、お尻が痛くて仕方ない。
わがままを言ってもうひとつ大きい馬車に乗ってこればよかった――と思ったが、そういえば今は自分が当主なのだから、わがままを言う相手もいない。もう少しの辛抱、とメルは自分に言い聞かせてため息をついた。
ものの数分も走ったところで、突然ぱっと森が開けた。
空の広い丘の頂上。そこに突如として現れたのは、鉄と石の二重柵で大きく囲われた、レンガ造りの建物。道の先にはアーチ状の石門があって、ところどころ歪んだ字で「ようこそ、北イーステルン高等学校へ」と彫ってあった。
メルの心臓が跳ね上がる。馬車が緩やかに止まると、メルは身を乗り出して馬車のドアを開け放った。
「あっ!」
エリーゼが声を上げる。メルはそれを無視して馬車から飛び降りると、校門へ一目散にかけだした。
今日は、校門脇の守衛がいない。もう登校時間が終わったからだろう。全速力で校門をくぐる。砂利と枯れかけの芝生でできた校庭が、両手を広げて飛び回りたいくらいに広がっている。
その向こうには、縦向きのコの字型をしたレンガの校舎。二階建て、丸屋根の建物は廊下が吹きさらしになっている。縦に教室の並ぶ廊下と、その中腹にある小さな半円形のバルコニーでは、ぽつりぽつりと生徒たちが授業前の休憩を満喫していた。
校舎の正面奥にでん、とそびえ立つ流線型の時計塔によると、今は午前九時半。
縦コの字の校舎に囲まれた真ん中には、六角形をした白い礼拝用の塔が建っていて、そのてっぺん、鐘のぶら下がっているところから、鐘つき当番の男子生徒がするすると壁を伝って降りてくるところだった。
メルは本当に両手を広げて、校舎へ走り寄る。
「あっ⁉」
どこかで女子生徒の声がした。さっきのエリーゼと違って、嬉しい驚きの声。
「青い歌姫様?」
「うわ、歌姫様⁉」
「ほんとだぁ!」
「うそ、うそ、うそ」
「メルちゃーん!」
「歌姫さま!」
「え、マジ?」
「なになになに」
女子生徒の声を皮切りに、廊下で生徒たちが騒ぎ始めた。二階から、一階から、右から左から、メルに無数の視線が集まる。
やがて教室からもわらわら人が出てきて、あれよあれよと廊下には人だかりができた。
一様に、仕立てのいいグレーの制服を来たたくさんの生徒。女の子たちは柵から身を乗り出し、男の子たちは一歩その後ろでこちらに熱い視線を送る。
メルの教室の前にいる女子生徒たちなんか、バルコニーから黄色い声を上げては跳ね回っていた。
「久しぶりー!」
「めっちゃ久しぶりー、メルー!」
「早く来てぇー!」
「メールーちゃーん!」
「会いたかったよお~!」
「メルー!」
メルはめいっぱい広げた手を、全方位にむけて思い切り振りまくった。女子生徒たちが、きゃあきゃあ言ってバルコニーの柵から手を伸ばす。
気分が高ぶって、メルは歌いたくなった。大きく息を吸って――う、と踏みとどまる。
そういえば、前回学校に来たときは本当にこのまま歌って、あとで先生にこっぴどく叱られたんだっけ。ここはステージじゃありません、学校です、とか言って。
メルはますますにんまりと笑った。学校です、だって。ステージじゃありません、学校です、だって!
歌うのをやめて、吹き抜けになっている礼拝塔の一階部分をまっすぐ突っ切り、縦コの字の校舎に囲まれた中庭を走り抜け、正面にそびえる時計塔の真下、生徒玄関に入る石段を全部ひとっとびですっ飛ばす。
たん、たん、たん、と軽やかな自分の革靴の音と、髪のなびくしゃらしゃらした音が、後ろについてくる。
メルは一階の廊下で目をきらきらさせている下級生たちに、満面の笑みで手を振った。その反応を確認する間もなく右へ曲がって、すぐそこにあった大講堂へ走り込む。
二階まで突き抜けたばか高い天井に壁はなく、劇場みたいに広い大講堂。裏庭から風が吹き込んで、ひょう……ひょう……といいながらメルを押し戻してくる。
メルは顔をゆがめながら、冷たい向かい風に身を預けるように走った。
大講堂を抜けて裏庭に出ると、左手には半円を描いて二階へ続く階段。メルは壁に手をあてがい、二段飛ばしで階段を上りきった。
その瞬間、
「わっ⁉」
どん! と突然の重い衝撃に声が漏れる。
きゃあきゃあ、きゃいきゃいと耳元で声が上がったかと思うと、あたたかいグレーの人だかりに全方位から押しつぶされていた。
「わわ、ま、まって、まってってば」
メルが叫べば、やだ~! またな~い! とか、どうしようもない答えがどこからともなく返ってくる。
そしてあれよあれよという間に、気がついたら教室にいた。
「どこいってたの?」
「ねえ、また王宮行った?」
「もう来ないのかと思った!」
「私また絶対来ると思ってた!」
「雰囲気変わった?」
「わかる! なんか変わったよね」
メルをもみくちゃにして教室に連れてきた女子生徒たちは、四方八方からメルに話しかける。メルは両手を挙げて、ひらひらと振りながら数センチの距離を取った。
「王宮は行ってきたよ、あとツェベーニンも――来ようか迷ってたけど、疲れたから来ちゃった」
にへへ、と笑ってみせる。
周りの女の子たちは笑わなかった。目をぱちくりさせたり、神妙な顔つきになる子もいた。
「そっかぁ」
「大変だったんだもんね、メル」
にゅーっと横から女の子の手が伸びてきて、メルの首元で解けかけていた制服の黒リボンを結びなおす。
メルの頰が溶けるように下がって、弱々しい苦笑いになった。
「まあね。でも、とりあえずなんとかしたよ」
それを聞いた女の子たちは、メルと同じように苦笑いで目を伏せる。彼女たちが睫毛の下でこっそり、チラチラと視線を交わし合っているのにメルは気がついていた。
誰か慰めてよ……無理だってば。なんか言って……なんて言えばいいのよ。
女の子たちが内心で、そんな会話をしていることは丸わかりだ。
メルのなけなしの苦笑いが流れ落ちていく。
登校して早々、心配させたかったわけでも、気を揉まれたかったわけでもないのだ。これじゃ学校に来た意味がない――なんとかしないと――
「席替え」
突然、女の子たちの輪の外から、かさかさしたよく通る声が響いた。
「あったんだよね。メル、あんた自分の席知ってる?」
全員がそちらを見る。
そこには、同い年にしては背の高い女子生徒がしゃんと立っていた。
オレンジに近いぽそぽその茶髪を一つにくくり、前髪をカチューシャでかきあげて、その下から彫りの深いグレーの目でメルをまっすぐに見返している。
薄い唇でニヤッと笑ってみせると、そばかすの多い鼻と頰がぺしゃんと潰れた。
「レビィ」
メルはつられて笑顔になると彼女、レビィの方に一歩踏み出す。自然に人垣が割れてメルに道を空けた。
しかしそのとたん、レビィは信じられない、とでも言いたげに素っ頓狂な顔になった。
「あ……あんた、荷物は?」
「へ?」
メルの顔が凍りつく。
裏返ったレビィの声が追い打ちをかけてきた。
「あんた、まさか手ぶらで来たの? カバン全部忘れたっての?」
「へ……」
メルは空の両手を右、左、何度も見て確認する。
そして、
「へええぇええええ〜!」
目をばってんにして叫んだ。
周りの女の子たちは、やれやれとばかりに失笑したり、さすがにないわぁ、と腹を抱えて笑いだしたりする。
メルは手近にあった机の上にべしゃんとへたり込んだ。
「みんなぁ……ペンかしてぇ……」
それを見たレビィはため息をつきながら、席に戻ってペン入れをまさぐる。
「これ、ちょっとペン先潰れてるけど」
レビィが木軸のペンをメルのそばに置く。すると、続いて他の子達がそこへさらに自分たちのペンやインク瓶を並べた。
「このインク、後ちょっとでなくなるから使いなよ」
「私のインクも入れといたげる〜」
「じゃあ私のも」
「白インク入れたらどうなるかな」
「ちょっと、自分のでやってよ」
「レビィ、このペンで混ぜていい?」
借り物のインク瓶に自分たちのインクを混ぜて遊び始めた女の子たちに、メルは机にへたったまま目をぱちくりした。
「すごーい、オリジナルブレンドじゃん」
ずりずりとインク瓶に顔を近づけて、隣にいた女の子からレビィのペンを受け取ると、インク瓶をぐりぐりぐりぐりかき混ぜた。
「うわ、めちゃくちゃドロドロ!」
メルが目を輝かせると、周りの女の子たちも一斉にインク瓶を覗き込んで歓声をあげる。
「なにこれ、ヤバ」
「私にも貸して!」
「私の赤インク入れよ……あっ」
「入れすぎ入れすぎ入れすぎ!」
「なんか変な色になっちゃったじゃん!」
その時、メルの制服の首根っこを誰かが後ろから掴んだ。
「うわうわうわ」
メルが叫びながら振り返ると、レビィが呆れ顔でこちらを見ていた。
「あんたの席はこっち〜」
レビィはメルをずりずりと引きずっていくと、教室に何列も並ぶ長机の間を縫って廊下側の壁沿いまで進み、レビィの前の席にぽとりと落とした。
メルは振り返って、
「レビィの前の席なの?」
レビィも自分の席に座った。
「そ。あんたの隣はイェンスだよ」
「えぇ〜……」
メルは苦笑いして、教室の正面に向き直った。
メルの隣のレンガ壁は崩れかけているのか、天井のあたりに補強のための木材が適当に打ち付けられている。前に登校した時は、こんなのはなかった。
学校の建物そのものこそお金をかけてしっかり作られているが、建物の手入れにまでいちいちお金をかけてはいられないらしい。来るたびに、いつも校舎の違う場所がおざなりに補修されている。
高いレンガの天井、白っぽくなった大きな黒板、黒板横の壁の中でぱちぱち燃える無骨な暖炉、雨の跡がきらきら残るガラス窓。教室を見回せば、見たことのない補修跡が所々にあった――少しだけ見慣れない景色に、前来てからずいぶん登校していなかったんだな、としんみり思う。
その時、ふと窓際の席が目に入った。
メルの席から、ちょうど教室の反対側。そこに一人の小柄な生徒が、ぽつんと薄く曇った窓の外を眺めていた。
くりくりしたショートヘアは、白くくすんだ栗色。カリフラワーみたいなまんまる頭のところどころで、ぴんぴんと白髪が跳ねている。制服を見る限り男の子だろう。
メルはがばっ、とレビィを振り返った。
「ねえ、あの子誰?」
「あの子……あぁ、」
レビィは首を伸ばして、ちらりと窓際を見る。
「この間転入してきた子。名前は――」
「ううん、自分で聞いてくる」
メルは立ち上がり、途中の机や椅子をホイホイ避けながら素早く男の子のそばに近寄った。
教室にいた女の子たちがさっと口を噤んで、メルを目で追う。
「ねえねえ、こんにちは」
声をかけながら、隣の席に座って少し身を乗り出す。
男の子は飛び上がって振り返ると、まん丸な鳶色の垂れ目で、上から下までメルをじろじろ見た。
メルは頭を机にもたせて彼の顔を下から見上げる。にっこり笑って、
「初めて会うよねぇ? 名前、なんて言うの?」
男の子は少し身を引いて、おちょぼ口をしばらくぱくぱくさせていたが、やがて囁くような小声で言った。
「……フェリトス」
「フェリトスくん?」
メルが返すと、彼は視線を落とした。
「フェルディン・フェリトス」
「フェルくんね。覚えた」
メルはフェルディンの周りを見回して、彼の机の上に置いてある赤インクの瓶に目をとめた。
「あ、これ学校指定の色じゃないね」
メルの言葉に、フェルディンはぎくっと動いた。
「う、ん……」
「ねえねえ、これちょぉっとだけちょうだい? あれに混ぜてみようよ」
メルは、まだインク瓶をかき回して遊んでいる女子生徒たちを指差した。椅子をポーイと蹴とばすように立ち上がって、
「ていうかさ、一緒に遊ぼうよ。まだ時間あるから。あぁそうだ、私メルっていうんだ! よろしく――」
「し、知ってる」
フェルディンがメルを遮った。口をついて出た言葉に自分で驚いたのか、フェルディンはわずかに首をすくめた。
数秒、メルが笑顔のまま沈黙する。
そしてちょっと眉尻を下げると、疲れたように言った。
「はは、そりゃ……そうだよね」
フェルディンは慌てて、足元に置いたカバンをまさぐる。
「これあげる」
取り出したのは、糸で綴った紙束。
メルは差し出されるがままに受け取ると、目を丸くして彼を見返した。
「あげる、って……」
「持ってないんでしょ。なんにも」
「そ、そうだけど――」
「じゃあ、あげる」
「でも会ったばっかりなのに……申し訳ないよ。あ、うーん……な、なら一枚だけもらう」
「全部」
「全部⁉︎」
「うん」
「全部……」
メルは受け取った紙束をぱらぱらとめくって、くすんだやさしい黄白色のページをじっと見たあと、はた、と閉じてにっこり笑った。
「じゃあ、全部もらう。ありがとうね、大事に使――」
「ミス・アトレッタ!」
メルのお礼が、今度はけたたましい女性の声に遮られた。
あたりを見回すと、教室の後ろのドアから、えんじ色のセーターとぼったりした花柄のドレスを着た、まん丸な体格の老婦人が入ってくるところだった。
ほとんど真っ白になったブルネットの巻き毛を揺らして、目尻と頰の垂れた厳しい顔で、こちらをきっと睨みながら近づいてくる。
メルはフェルディンに手を振って椅子の上で立ち上がり、
「グレシャムせんせー!」
びよん、と後ろの机を飛び越して着地する。
「なんてはしたない!」
先生はさらに目尻を吊り上げた。メルの目の前に来て、腕を組んで反り返る。
ドレスの腹がパンパンに膨らんで、今にもはちきれそうだ。
「珍しく来たと思ったら、堂々と遅刻するなんて。いくらあなただからって、遅れていい理由にはなりません。来るならきちんとなさい、ここは――」
先生はちょっとメルに顔を近づけて、
「学校です!」
「学校です!」
先生と同時にメルが叫んだ。先生は目をまん丸にして、メルはそれを見てにへへへ、といたずら顔で笑う。
「だって〜、制服どこにしまったか忘れちゃって」
「嘘でしょう、そういうことはメイドにやらせているのは知っています。あなたのことですから、どうせ朝突然くる気になっただけでしょう」
「ざんねん、昨日の夜です」
「なぁにが『ざんねん』ですか」
グレシャム先生は、呆れてため息をつく。
その間に、もそもそと女子生徒たちが集まってきた。インク瓶に飽きたらしい彼女たちは、メルの周りにくっついて先生を面白そうに見つめる。先生はそれを見て、さらに大きくため息をついた。
「あのねえ、あなたたちもあなたたちですよ。アトレッタが来たってだけでこんなに大騒ぎして、しかも毎回毎回」
「〝だけ〟じゃないよ」
「そー、大事件だから!」
女子生徒から反論があがる。メルも一緒になって言い返した。
「なんせ私が騒いじゃうからね、どのみちダメだよせんせー」
「騒ぎに来ているんですか、あなたは」
先生は呆れ顔をずい、とメルに近づけた。
「みんなに会いに来てるんだよ、勉強わかんないし」
「勉強道具、何にも持ってきてないしね」
小声で女子生徒の一人が言った。くすくす、と周囲で笑い声がさざめく。
「ちょっと言わないでよ!」
メルが女子生徒に飛びついた。女子生徒はい〜、などと言いながらメルを引っぺがす。
先生は聞かなかったことにしたようで、しれっとした顔でふんぞり返った。
「じゃあせめて、もう少し騒いでもいい時間にいらっしゃい。あなたのとこのメイドは、あなたの学校道具もちゃんと管理してるんでしょう、言い訳は通じませんよ。あ――そういえば」
先生はぽん、と手を打った。
「ミス・フリンドは元気ですか?」
「ミス・フリンド? ペレネのこと?」
メルはあっけらかんと返す。
「そうです、そうです。彼女ったら、ここにいたときは引っ込み思案でしかたなかったのに! たしかにお勉強はよくできましたけど、少し男の子にからかわれただけで困って黙り込んじゃうような子だったんですから……」
「へぇ……全然想像できない」
箒を片手に、屋敷中の老若男女をかまわず叱り飛ばしているペレネを思い浮かべて、メルは唖然とした。ペレネを困らせようと思うのなんて、どこかの騒がしいサボり魔くらいのものだ。
先生はふっと表情をゆるめて言った。
「ということは、まだちゃんとやっているんですね? 彼女は。あなたのお家では一番厳しいんでしょう?」
「まだ、どころか。絶好調だよ」
メルがやれやれと言わんばかりの顔をする。横から女子生徒が小声で、
「ねえ、ペレネって誰?」
「うちのメイド長だよ」
メルの答えに、女子生徒が目を丸くする。
「へええ、てことはメルって使用人の人とおんなじ学校に来てるってこと?」
「その人もここ卒業したってことなの?」
「そんなことあるんだぁ……」
「いいなあ」
周囲が口々にさわぐ。
「いいなあ、私も卒業したらメルの家で働きたーい」
女子生徒の一人が伸びをしながらぼやく。
メルは困り顔で、
「いいけど、住み込みだよ?」
「いいよぉ、私も大きい家住んでみたいもん」
「朝早いよ?」
「学校で慣れてるからだいじょーぶ」
「ペレネ、厳しいよ?」
「グレシャム先生より?」
「うん」
メルが先生の顔を見ると、先生は笑いをこらえていた。
「じゃあ、ミシェルは私の話し相手になってもらおっかなあ」
「やったぁ、これで安泰だぁ」
女子生徒の顔がへにょりととろける。
周囲の生徒たちが、「いいなー、あたしもー」「あたしもパン焼きメイドとかでいいからー」「え、それはヤダ」「私勉強教えてあげるー」と、口々に騒ぎ始めた。
そのとき。
バーン!
どえらい音がして、教室の扉が破裂するように開く。そこから、男子生徒が何人も団子になって転がり込んできた。
「ああもう! いい加減になさい!」
グレシャム先生は一瞬にしてカンカンになる。悪びれずにゲラゲラ笑っている男子生徒もいるが、数人は先生の顔を見て「ヤベ」とでも言わんばかりの顔をした。
「今度学校のものを破壊したら、お家にお手紙を書きますって言ったでしょう⁉︎」
「でも、でも、せんせー」
怒りでパンパンに膨らんだ先生のお腹に、背の高い男子生徒があわてて言い訳する。
「しゃーないですよ、歌姫さんが来るの久しぶりだからテンション上がっちゃって」
「せんせー、こいつさっき厩の馬に〝ワナ〟とか仕掛けてましたよ」
隣にいた恰幅のいい男子生徒が、にやにや笑いながら言った。背の高い男子生徒は、勢いづいて彼につかみかかる。
「おいふざけんな! 裏切り者!」
「おやめなさい」
先生はキッと恰幅のいい方の男子生徒をにらんだ。
「どのみちあなたも共犯なんでしょう、ミスター・ダルトン。じゃなきゃ横で黙って見ていたのですか? あなたもお家にお手紙を書きますからね」
「ンンン」
二人は黙り込んだ。そして、メルの方にチラチラと「なんとか言ってくれ」という視線を送ってくる。
メルは二人と交互に目を合わせて、困り笑いを浮かべる。
「そりゃあ仕方ないよ」
二人はいっせいにポカン、とした表情になった。
周りの男子生徒たちがドッと笑って、「見捨てられてやんの!」「ぶぁーか!」「どーんまい!」と他人事のように騒ぐ。
「ああもう……また用務員さん呼ばなくちゃ……」
女子生徒たちにまで白い目を向けられている二人に呆れた先生は、ブツブツ言いながら足を踏み鳴らして教室を出て行った。
子どもたちだけがそろった教室。男子生徒たちの笑いは徐々に収まり、女子生徒たちがさざめく声を残して、妙にあたりは静かになった。
「おひさしぶりっす」
背の高い男子生徒が、神妙な顔でメルに言った。またぞろ周りから笑いが起こった。
「おう」
メルもわざと神妙な顔を作る。横から、恰幅のいい男子生徒が、肘で彼をぐりぐりやった。
「こいつな、まだ去年のスクールフェスティバルのアレをひきずってんの」
「やめろって!」
また背の高い方が、隣につかみかかる。今度は二人で床をごろごろ転がっての取っ組み合いになった。
女子生徒はきゃあきゃあ言いながら後ずさり、男たちはヤジを飛ばして取っ組み合いに割り込もうとする。
「アレってなにー⁉」
メルがヤジと悲鳴に負けないように叫んだ。男子生徒の一人が、床の人団子の中から叫び返す。
「音楽クラスでやったアレ!」
「え、演劇のやつ?」
「そうそれ!」
てめーらベラベラしゃべんじゃねー! と、背の高い男子生徒はつかみ合いの中心から叫んだ。男たちは面白がって、
「なんかいっつも歌ってるもんな」
「弁当食いながら踊り出すじゃん」
「オレお前の真似できるで」
男子生徒の一人がおもむろに乱闘から離れると、
「おいおいおい待ってよ! オレだって今日の主役だ! 親父、なあ、今日くらいオレが先に飲んだって――」
大げさなフリをつけてダミ声で歌い出す。クラス中が大笑いと失笑でざわめいた。
「黙れ、モブの町人役!」
背の高い男子生徒は、床に這いつくばったまま声を張り上げる。恰幅のいい男子生徒が、その横で乱闘に疲れて床に手足を投げ出し、
「こいつ、劇で主役級だったからまだチョーシ乗ってんす」
「こいつこそ、メルちゃんの隣の席になったからチョーシのってるんす!」
背の高い方が負けじと言い返した。
「へ、ふーん。知らなかった」
メルは若干引き気味の顔で言ってのける。
女子生徒の輪の最後尾にいたレビィが、
「さっき言ったじゃん、イェンスが隣だって」
と小声でぼやく。
「そーだっけかあ」
メルがあっけらかんと返したその時、カン、カン、カーン、カン……と、校舎の外から鐘が鳴った。
生徒たちが全員、蜘蛛の子を散らすように自分の席へと戻っていく。
レビィの前の席へ滑り込むように座ると、メルは教室後ろのドアを振り返った。
まじまじ見ると、さっき男子たちが思いっきり開けたせいで、蝶番がひとつ緩んでいるのがわかる。
少し遅れて、メルの隣に恰幅のいい男子生徒――イェンスがどかっ、と席に着いた。
銀縁めがねをかけた焦げ茶の目、ちんちくりんにカットされた亜麻色の後ろ髪、冗談みたいにくるりとカールした前髪。
顔の形も体形も栗にそっくりで、一見すると真面目そうに見えるのに、男子生徒たちが問題を起こせば必ず犯人リストには彼の名前が挙がっているような男だ。これでテストの成績はいいのだから、妙にむかつく。
メルはイェンスの脇腹に余った肉を、肘でこれでもかと小突いた。
「いてっ」
「ねえ、イェンス」
イェンスの声をメルはしれっと無視して、
「みんな、そんなにあの歌好きなの?」
「え? あの歌?」
「さっきの。スクールフェスティバルの」
「ああぁ、あれね」
イェンスは深くうなずいた。
「あいつはちょっと異常だけど、なんだかんだ誰も忘れてないんじゃないかね。たまにみんな、スクールフェスティバルの話すると〝今年もあんなのやりたいね〟とか言ってる」
「そっかあ」
メルはちょっと照れくさくなって、机に頬杖をついた。妙に瞳を輝かせるイェンスの心中を推し量るように、メルは自分の思い出をまさぐる。
年度末のスクールフェスティバルでは、授業のクラスごとに出し物をする。メルのいた音楽クラスでは、毎年歌劇をするのだが、去年はえらく脚本作りが行き詰まった。
仕事で本番二週間前まで登校できなかったメルは、学校に来るやいなやクラスの生徒たちに脚本の仕上げを懇願された。メルはいつも仕事でそういうことしてるから、と。
それでできたのが、さっき男子生徒が歌っていたあれなのだ。二週間前まで何もしていなかった自分が、急ピッチでみんなの納得する歌と脚本をつくるのに、一体どれだけ頭を悩ませたことか。
しかし焦って作ったせいもあって、授業でやった歌劇とは全く似ても似つかない、なんとも斬新な劇になってしまった。
――酒好きの床屋バッカスは、息子のバニーとケンカして、彼に家出をされてしまう。バニーが街を出ていくのを見た彼の恋人アンナは、職人の妖精に「バニーが帰ってくるように」と願いをかけるのだ。
妖精がアンナの願いを聞き入れたことで、バニーは街に帰ってくる。そこでバニーはバッカスと仲直りし、アンナにプロポーズして、最後は妖精や街の人々も一緒に、お祭り騒ぎの大円団。
こんなふうだ。
授業でやった古典の歌劇は、みんな悲劇ばかりだった。だから毎年、スクールフェスティバルの劇もそれにならうことになっている。格式高い劇はみんなバッドエンドで、大円団は好まれない。
もちろん、この台本を見た時は、音楽クラスの先生やグレシャム先生もいい顔はしなかった。クラスのみんなに頼んで「今年だけだから!」と一緒にお願いしてもらい、なんとか上演にこぎつけたのだ。
当時はそれがクラスのみんなには申し訳なかったけれど――ここまで気に入ってもらえているとなると、それが逆によかったのかもしれない。
思い返せば、確かにものすごく苦労はしたものの、みんなで歌う劇を考えるのに頭を悩ませるのは、この上なく楽しかった。
初めてみんなでコーラスを合わせた時の、はち切れそうな達成感。
演者たちに囲まれてステージに立った時の、足が宙に浮きそうな興奮と緊張。
観客からの手拍子に乗って、頭から足先まで別世界へトリップする恍惚。
そして、全員で最後のフレーズを歌いきった時の、身体中が溶けて蒸発してなくなってしまいそうな、沸騰した感情の濁流。
ダイヤモンドダストみたいに、シャンデリアの灯りにキラキラ光りながら飛び散ってゆく自分の姿が頭をよぎって、今ならこのまま死んでもいいな、って思った。
思い出すだけでくらくらする。同じ歌劇や演劇の話をしていても、ツェベーニンの迎賓館でマークと話したときの、あの頭が割れそうな悩みとは天と地の差だ。
メルは音もなくふふ、と笑った。もう去年のスクールフェスティバルから、半年が経とうとしている。
半年の間に、クラスのみんなには楽しくないことも山ほどふりかかったことだろう。しかしメルにとって、ここには見渡す限り楽しい思い出しかない。
そんな都合のいいことばかり思ってられるの、私だけなんだろうな。何にも知らないのは私だけで、本当に楽しいのも私だけで――
不意に、一抹の暗いささやきが、心の中のどこかから聞こえた。
メルは慌ててそれを振り払い、真っ白にぬりつぶす。ささやきをかき消すように、心の中でさっきの歌を大声で歌った。
「アトレッタ!」
「は、はい」
グレシャム先生の声で飛び上がる。いつの間にか戻ってきた先生が、教室の前で出席を取っていた。次の生徒を呼ぶ直前、先生がこっちを見て、ふ、と微笑んだ気がした。
どうやら、今の考え事が全部顔に出ていたらしい。
静まりかえった教室にこだまする生徒たちの名前を、メルは一人一人、噛みしめるように聞く。はかったように、今日は誰も欠席していなかった。
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