2-3 賭けと決闘



**********


 次の朝。

 ポルはルズアがくれたお金で昨晩の夕食代を払い、宿に向かうまでに通った道を遡っていた。

 昨日そびえ立つような圧迫感のあった円形闘技場は、明るい乾いた砂色に太陽の光を反射している。歴史ある闘技場なので、催しものをしていない時は観光地として運営しているらしい。旅装の人々がちらほらと丸太の門から出入りしていた。

 そんな光景をはるか後ろに、ポルは三冊の本を抱いて左右を見回しながら、早足で歩いている。抱いた本は昨日広げていた簡易百科事典とお屋敷から持ってきた二冊の本。自分で手に入れたものではないので申し訳ないと思いつつも、手っ取り早くお金を少しでも稼ぐ方法としては持ち物を売るしかなく、しかし売れそうなものなど本くらいしかなかったので、急ぎ古本屋を探しているところだった。

 この街は武器屋や生活用品店、家具屋が多くてなかなか本を扱っている店が見つからない。見つからないままついに大通りまで出た。

 昨日通った道とは逆方向に曲がり、大通りを下る。大通りともなると他より人も多いせいか、陶器の店や服屋をはじめいろんな店があり、集会場や教会もある。そしてよく目をこらすと、教会の隣に乾いた色の小さな建物があって、外れかけた看板に”古本”と書いてある。

 見つかった。ポルは即座に近寄る。しかし、近くで見るとよくわかる――崩れないか不安になるほど日にさらされてボロボロの木の壁や柱、わらぶきの屋根、開いたら取れてしまいそうな扉。大丈夫かなあという一抹の不安がよぎったが、とにかく入ってみることにした。

 横開きの扉を、軽くノックして開ける。

「いらっしゃいませ」

 震え気味のおばあさんの声に迎えられた。外観とは裏腹に、整然と壁際に並べられた本棚に古本が並べられ、台に積んであるものもきっちりと整理されている。真ん中の奥に小さな木のカウンターがあって、そこにふわふわした白髪を肩までで切りそろえた、小さなおばあさんがロッキングチェアを揺すっていた。狭くはあるが汚くはなく、泊まっていた宿と同じように落ち着いた雰囲気だ。

「若いお客さんが来るなんて久しぶりだねえ……お嬢さん、どんなご用でおいでかい?ここの古本は半分が聖書の写本だが」

 おばあさんは手元のパイプをふかしながらこちらを見た。ポルは慌ててカウンターに寄ると、カバンから紙とペンを出して走り書きをする。

『いいえ、手持ちの本を売りにきたのですけど……』

「ほほお、売りにかね。もしかしてその本かい?見せておくれ」

 ポルは頷くと持っていた本をカウンターに置いた。おばあさんはパイプを置くと一冊ずつ手に取って、目を細めてまじまじと見る。ぱらぱらとめくり、何度も手の中でひっくり返し、作者と出版年をメモに取った。そのひとつひとつの動作を、ポルはどきどきしながら見守る。

「あんたさん、若いのに大層なもんを読んでるねえ……いい本だ。絶版になったものもある。ただ……」

 おばあさんは持っていた本を置いて、

「ちと古い。三冊合わせて四百ベリンだ」

 四百ベリン……おばあさんの言葉を飲み込むのに数秒かかった。想像以上に安かった。しかし大事にしていたとはいえ、自分が手垢がつくほど読んだものだ。売れただけでも僥倖と言うべきか。

「内訳が気になるかい?」

 ポルの顔を見ておばあさんが言った。

「簡易版百科事典五十ベリン。事典は最新でもないとあんまりよろしくない。アルバート王国地理文化総論、百ベリン。背表紙が若干剥がれている。ウエスト大陸史目録、二百ベリン。随分古いが、絶版になっているから少しいい値段だよ。どうかね?」

 ポルは少し考えて、

『お売りします』

 おばあさんは引き出しから四百ベリンを出すとポルに渡し、本を並べてカウンターの隅に置いた。

『ありがとうございます……あの、お聞きしたいことがあるんですけど』

 おばあさんはパイプを取る手を止めて、眉をくいっと上げた。

「なにかね?」

『私、旅の者なのですが、今お金に困っていて……どこかお金を稼げそうなところはご存知ないですか?』

 ふむむ、とおばあさんは難しい顔をした。

「お嬢さん、その歳で旅とは苦労人だねえ……生憎そんなツテは私にゃあないが、一か八かで構わないなら、四日後にある祝勝武闘祭で賭けをしたらどうだい?」

『賭け……』

「今街を歩いたらわかると思うが、いろんな店で賭けの受付看板を出してるだろう?あれだよ。この街じゃあ、小さい子供から逝きかけの年寄りまで武闘祭では賭けをするもんだ。ただ、怪しいところは避けた方がいいがね……宿屋は大通りだが、賭けは闘技場近くの方がいい。何でかわかるかね?」

 パイプでポルを指すと、おばあさんは首を傾げた。ポルは少し考えておずおずと、

『……闘技場の近くは規制が厳しい?』

「それもある。当日になると憲兵がわんさかくるからね。それと……胡散臭い賭博商人は、何にも知らない旅行客を狙う。何にも知らない旅行客は、目につきやすい大通りや普段賑やかな場所の賭け場に来るんだよ。そういうことだ、お嬢さん。あんたぼけっとしてそうだから、本ばっかり読んでないで賢くおなりよ」

『……はい、ありがとうございます』

 ついこの間外に出たばかりのポルにとっては耳が痛い話だった。おばあさんはふうっ、とロッキングチェアの背にもたれると時計を見上げる。

「ああ、そうだ」

 おばあさんの声に、ポルは顔を上げた。

「この鳩時計、ついこの間壊れたんだよ。わたしは気に入ってるんだがね……お嬢さん、安いが手間賃は出すから、これを外して修理をやってる店まで持っていってくれんかね?腰が痛いから動きとうないんだよ」

 ポルは少し面食らってきょとんとしたが、やがてにっこりと笑った。

『もちろんです。お任せください』


 **********


 その頃。

 ルズアはポルに返してもらった晩ご飯代のお釣りでパンを買いあさり、ハンカチに包んだ小銭でポケットを重くして狭い路地を歩いていた。

 ルズアが歩いているのは鍛治工場の通り。雪のどけられていない道に、作業着の男たちが汗を拭きながら行き来するせわしない足音、漂う蒸気の臭いがつんと鼻を突く。そこかしこから鉄と鉄の触れ合う音や怒鳴り声、鉄鉱石を載せた荷車の通る音がする。昼食を届けにきた女たちもちらほらいるようで、そのまま刃物師のところへ出荷する鉄鋼を積むのを手伝うようすさえあった。

 昨日の夜中に歩いた通りなので、ルズアの足はなんとなく道の感覚を覚えていた。しかし、周りがこうも製鉄所ばかりだと金属音が耳について、どうも他の音に鈍くなる。

 今まで慣れた土地で暮らしてきたが、旅に出てからは初めての土地ばかりだ。盲目のルズアが一人で歩くのは、いくら感覚が研ぎ澄まされていようと難しい。街から街への移動の時はポルがいつも半歩先を歩いているので、足元の情報は彼女から伝わってくるのだが、一つの街に滞在する時までベタベタくっついていたくなどない。だからこそ一度街に着いて拠点を決めたらすぐ、その街をある程度歩き回ってしまうことにルズアは決めていた。そうすれば好きなだけ単独行動できるし、もし何かあっても容易に逃げたり隠れたりできる。

 ルズアはパンの最後の一口を口へ放り込むと、ポケットに手を突っ込んで考えを巡らす。この道はこのまま歩いていっても随分先に鉱山があるだけだと、昨日このあたりを歩いている時すれ違った住人が話しているのを漏れ聞いた。生憎そこに用はないので、すたこらと踵を返して反対方向を目指した。

 こちら側に歩くと、今度は刃物師や武器屋、家具職人の工場が多いところに行き着く。武器屋には興味がないでもないが、今の手持ちで買えるものなどないだろう。

 ポルが不用意にも全財産の入った財布を盗まれ、昨日は随分とショックを受けたが、よく考えればなんということはない。皮肉にもスラムで生きる術が役に立つのだ。食料や小金くらいなら盗んでこられるし、この街ならいくらか決闘で稼ぐこともできそうだ。使える旅費からして、今の宿を引き払ったら次泊まる宿代がカツカツなのと、あとはあの箱入り娘がうるさいこと以外はなんら問題ない……と、ルズアはポルの焦りを気にもかけることなく余裕しゃくしゃくだった。

「さて……」

 ルズアはポケットをまさぐって残金をちゃりちゃり確認すると、

「ここじゃどうやって決闘に賭ければいいんだろうなァ」

 独り言をつぶやいて辺りを見渡した。

 その時、近くの工場から一人の若い男が出てきた。

「おい、見てくれ!」

 隣の建物に向かって嬉しそうに呼びかける。すると、隣の建物から彼よりいくぶんガタイのいい熊のような男が出てきた。

「なんだなんだ、休憩入ったばっかだってのに……」

 熊男は呆れ顔だが、若い男はかまわず手に持った刃物を見せた。

「できたんだよ!これが俺の作ったナイフじゃ今までで一番いいやつだ!握ってみてくれ!」

 若い男は熊男にナイフを渡した。熊男は受け取ると、おお……と感嘆の声を上げる。

「握りやすい……でも大振りの割には軽いな。大丈夫なのか?」

「鋼の一番いいとこを使ったから、刃の強度は問題ない。軽く感じるのはほんの少し重心を柄側にもってきているからさ。さらに柄も軽めに作ってある。ナイフの特徴を生かして、最大限小回りのきく戦闘ができるわけだ!」

「へえ……珍しくお前がそこまで考えて作ってるなんて……」

 熊男はナイフをいろんな角度でまじまじと見る。若い男は目をキラキラさせて身を乗り出した。

「なあ、これでうちの師匠も俺の得物で武闘祭に出てくれると思うか⁉︎」

「さあ、どうだろうな?少なくとも今年じゃ無理だろ、あと四日しかないんだし」

「いや、でも前日に飛び入り参加してくる奴だっているんだからきっと……」

「そういう奴は大抵予選で全員落ちるだろうがよ。お前のお師匠さんみたいに腕の立つやつはちゃーんと一年通して準備してんだから……」

「そうか、そうだよなあ……来年に賭けるぜ。うちの師匠が俺の武器でほんとに武闘祭で優勝して、百万ベリンぶんどったら、頑張って師匠に頼み込んでお前にもいい酒奢ってもらうからな!」

 ルズアの耳がピクリと動く。

 その話を聞いた熊男はナイフを持っていない方の片手を大仰に振って、

「いや、何言ってんだお前、お前のお師匠さんだろ⁉︎俺は全然関係ねえし、そんな……」

「おい、そこの」

 二人の会話を遮って、ルズアがぶっきらぼうに声をかけた。二人の視線が同時にルズアに向く。

「な、なんだ?」

 若い男が素っ頓狂に返事した。ルズアは闘技場の方角をぐいっと親指で指す。

「その武闘祭ってのは、そこの二月祝勝武闘祭ってやつだな?」

「ああ、そうだが……?お前、誰だ?この辺りで見たことねえな」

 熊男が怪訝そうな顔をする。

「俺は昨日来た旅のもんだ。で、その武闘祭に優勝すると百万ベリンの賞金があるんだな?」

 ルズアは男の問いに適当に答えるとさらに質問をかぶせた。今度は若い男が答える。

「ああ、そうだが?まさかあんた、参戦するっつーのか?」

「そのまさかだ。参加の仕方さえ分かればな」

「参加なんざ、闘技場に入って役人に声さえかければ誰だって手続きしてもらえる。でもやめといた方がいいぜ。あの武闘祭はこの街で一番大きい祭りなんだ。本気で出るやつは毎年準備してきてる。俺もこいつも開催ギリギリの飛び入り参加で勝ち上がったやつは見たことがねえ。兄ちゃんみたいに若くてちっこいやつなんか特に」

 最後の一言がルズアの癇に触った。

「若くてちっこいだぁ?ナメやがるぜ。言うならそこの若くなくてでけぇやつよぉ、てめえがこいつのナイフの切れ味を試してやったらどうだ?」

 ルズアは腰の剣を抜いて熊男を指した。

「えっ⁉︎俺⁉︎とんでもねえ!こいつが言ったんだ、やるなららこいつとやってくれ!俺は決闘はできねえんだ、せめて審判にしてくれ!」

 隣の若い男の背中を熊男がぐいぐい押す。ルズアはふん、と鼻で笑った。

「へえ、若いチビがやってくれんだな?いい度胸だぜ。なんなら俺の全財産賭けてやる」

 ルズアはポケットから有り金を全部出して若い男の前でちらつかせた。若い男は最初こそ嫌がっていたものの、それを見て思いきりルズアを睨んだ。

「全財産賭けるだと⁉︎ナメやがって……くそ、おいお前、審判頼むぞ!初めてこの俺の傑作で斬られることをせいぜい幸せに思えこのクソガキっ!」

 熊男は唐突な大声にうろたえながら、今にも飛びかかりそうな若い男をなだめると、

「両者位置につけ!……試合開始っ!」

 熊男の合図とともに、二つの刃が澄んだ音を響かせて交わった。


 **********


「あぁお嬢さん、ありがとうね。それで終わりにしとくれ」

 小さな古本屋。壁に掛けたはしごを登ったポルが、さっき自分で売った本を本棚の一番上に片付けたのを見て、店主のおばあさんが声をかけた。

「さすが若い子は違う。随分溜まってたもんが片付いたよ」

 おばあさんはふうっとパイプの煙を口から吐く。

 あれから店の時計を外して古本屋を出たポルは、街中を走り回ってようやっと時計屋を見つけ、時計を修理に預けたところ、ものの数十分で直って返ってきた。どうやら大事な歯車が外れかけていただけらしい。おばあさんに渡されたお代を払って店まで急いで戻ると、時計を掛け直すついでに店の掃除と陳列を頼まれた。床掃除から本棚掃除、窓拭き、看板修理を終えて平積みになった古本を大方本棚に並べ直し、店が随分広くなったところでおばあさんから声がかかったのだ。ポルは額の汗をハンカチで拭うと、作業中にくくった髪を下ろしておばあさんのところへ向かった。

『このくらい、どうということないですわ』

 ポルは紙と鉛筆で答えると、にっこりと笑った。

「助かったよ。なんせここに来るのなんて年寄りばっかだから、まさか手伝ってくれなんて言えないしねぇ……ところで」

 おばあさんはロッキングチェアを軋ませて、こちらに身を乗り出した。

「不躾なことを聞くようだがね。お嬢さん、見る限りものすごく育ちがいいみたいだが……その変わった話し方、なにかあるのかい?あんた、どこのお嬢さんだい?」

 ポルは鉛筆の尻で頬をかいた。おばあさんの目を見る限り、ただの好奇心で言っているようだ。ポルはそっと紙を伸ばした。

『私は声でお話できないんですが……この話し方はご無礼でしたでしょうか……?』

 するとおばあさんは納得したような顔をして、

「いやいや、そういうわけじゃないんだがね。わたしゃ目より耳が悪いからありがたいくらいだ。だが、まあ世の中にはいろんな人がいたもんだ。で、旅人さんだからまさかとは思うが、お嬢さんがこの辺りの貴族の令嬢でもあろうものならどうしようかと思っただけさ」

『ああ……ご安心ください、貴族の身分ではありませんから』

「そうかい。それならよかったよ」

 おばあさんはそれ以上聞いてくることなく、目線を手元に落とした。

「ところで、手間賃だね。やっとこれだけ働いてもらったから、三千ベリンでどうだい?武闘祭の賭け金くらいにはなるだろう」

 カウンターの引き出しを開けると、千ベリン札を三枚取り出してポルの方へ差し出す。ポルはおずおずと、お札ではなく鉛筆に手を伸ばす。

『こんなに……よろしいんですか?』

 正直失礼な話ではあるが、本を売った時に思ったよりお金にならなかったので、手間賃といってももっと少ないものだとポルは思っていた。そのうえおつかいと掃除と本並べだけで、なにも大したことはしていないのに。

「何を言ってるんだい。本みたいに今から売りもんにする物に値をつけるわけじゃないんだ。わたしゃね、これでこのくらい貰えなきゃ、本当に貧しいもんたちは何をしても金が手に入らなくなっちまうと思ってるよ。高くはないがもらっとくれ」

『……はい』

 ポルは神妙に頷きつつ、初めて働いてお金をもらう相手がこのおばあさんであって運が良かったんだと悟った。三千ベリンを受け取ったポルは、少しそれを見つめてから丁寧にカバンにしまう。

『確かにいただきました。本当にありがとうございます』

 深々と頭を下げるポル。おばあさんは軽く手を振ると、

「お礼をしなきゃならんのはこっちの方だよお嬢さん。さあ、まだ日が高うちにお帰り」

『はい。お世話になりました……失礼します』

 最後にもう一度お辞儀をすると、初めて自力で手にした資金に心もち足を弾ませながら、ポルは店を後にした。


 ちりんちりん、と鈴の音を響かせてポルは宿に戻ってきた。

 朝から何も食べていない。帰りがけ、少し手に入ったお金でサンドイッチを買ったので、とにかく食べて休みたかった。

 夕暮れまで長くない中途半端な時刻、宿の食堂には人は多くない。しかし、武闘祭も近いためか賭け事の話をしている人が昨日より多いような気がする。ポルは適当な席を見つけて座ろうと思ったが、ふとカウンター席にルズアが座っているのに気がついた。少し近づくとルズアは振り返って、

「よう」

 珍しいことに、機嫌良くにやにやしながらルズアの方から声をかけてきた。

「お前に用があんだがよ」

『はい、そうでしょうね……』

 昨日私が同じことを言ったら随分な返事をくれたくせに、とポルは呆れる。ルズアは椅子の背に肘をつくと声を落として、

「武闘祭に出る」


 しばしの静寂。

『……えっと、武闘祭?』

「出る」

『え?出るって何に?』

「武闘祭にだよ!耳ついてんのかテメェ!」

 ルズアの声に、周囲の視線が集まる。それでもまだポルはよくわかっていない顔をしていた。

『武闘祭に?出るの?どうして?武闘祭ってこの街の人じゃなくても出られるの?』

「どうしてか教えてやろうか?」

 今度は質問責めにされたルズアが若干イライラして言った。

「賞金百万ベリンだ。それで盗られた旅費分はなんとでもなるだろうが」

『あ……』

 ポルはそれを聞いて、情けなそうにもじもじした。 が、少しして申し訳なさそうに、だがはっきりと言った。

『いえ、でもそのために武闘祭に出るなんて……私が盗られた旅費のためにルズアが怪我することないわ。少しならお金も手に入ったし、今晩と明日ここを出るまでにもっとお金を稼いでみせるから……』

「見くびられたもんだな?俺が負ける前提で話を進めてくれやがって」

『怪我するって言っただけでしょ。まだ負けるとは一言も言ってないわよ』

 ルズアは聞いていないようで、どんどん話を進める。

「手続きさえすりゃあこの街のもんじゃなくても前日にだって参加できるそうだ。手続きは任せたぜ」

 ポルはこれ以上反論しても仕方ないと悟り、はあ……とため息をつく。

『……わかったわよ。じゃああと追加で二泊は宿を取らないと……でも今日のお金じゃこの宿ふた部屋に二泊は無理ね。一部屋にするか、もっと安い宿を探すか……』

 ポルが悩んでいると、ルズアがおもむろにポケットから巾着のように結んだハンカチを取り出して、カウンターに置いた。じゃり、と小銭がひしめき合う小さな音がする。

『……それは?』

「ご親切な鉄鋼炉勤務の野郎にもらった」

『ほんとは?』

「決闘で賭けたんだよ。武器自慢は立派なくせに戦い方はヘボだった。負かしたらあっさり有り金全部寄越してくれたぜ」

『有り金全部⁉︎』

 むちゃくちゃな金の出所に、ポルは閉口する。賭けでやった以上相手も合意の上だろうし、これで多少なりともお金は手に入ったわけだが、それにしても……

「これでここに二泊できる。文句ねえだろ」

 ルズアは得意げだ。ポルに文句がないのも確かだった。しかしそういう問題でもない。

『むちゃくちゃするわね、ほんとに……わかったわ。手続きに行きましょう』


 **********


「ねえ、知ってる?」

「何が?」

「武闘祭、また一昨日の昼に外からの参加者が出たんだって。しかもなんかひょろっひょろの子供よ」

「毎年いるものねぇ、物好きは……で、あんたは誰に賭けてんの?」

「誰ってそりゃ、無難に去年と一昨年連覇してた人、ほら、えっと……」

「マードランでしょ?賭けた人の名前くらい覚えなさいよ」

 そんな話をしながら、道ゆく女性のペアが宿の前を通り過ぎていった。その宿の扉から、ポルが少し早足で出てきた。

 時刻は昼下がり、ポルは闘技場周辺の賭け場を探していた。

 昨日も今日も、この街で数時間でも働いて小銭が稼げるところを探し回った。しかしそんな話はもちろんそう簡単に落ちていない。そのうえポルが「話せない」と分かったとたん、大抵はぴしゃりと門を閉ざされる。いかにあの古本屋がいいところだったか、身に染みて分かった。

 多少悔しいのも悲しいのもあったが、今はそれどころではない。母親が自分から遠ざけようとしていたものはこれなんだと、それに自分から対峙しに屋敷を出てきたんだと思えば、ポルは自然と少し奮い立った。ルズアもどこにいるかわからないし、今日はとりあえず確実に労働やモノを対価に稼ぐのを諦め、すぐに手に入らないにしろ武闘祭の賭けに参加してみることにした。

 茶けて汚れた雪の道を歩いていると、闘技場の門にほど近い、土産物屋に武闘祭賭博受付の文字を見つけた。ポルは迷わず入って行った。軋むオークのドアを開けると、そこは狭くて色鮮やかな店内。笛や旗、闘技場の絵が描かれたパズルや砂の入った小瓶など、小さなものから大きなものまで所狭しと土産物が置かれていて、その間を数人の観光客が物珍しげに歩いていた。

「いらっしゃい!」

 奥のカウンターに現れたのは、黒い前掛けをして髭を生やした細身のおじさまだ。ポルはまっすぐそこへ寄ると、紙と鉛筆を取り出した。

『武闘祭に賭けたいのですけど』

 おじさまはにっこりと笑って、

「はいはい、賭けだね……これが出場者リストと昨日までの賭け金総額だ」

 カウンターの中からクリップボードを取り出した。

「今のところ賭け金上位の出場者はここにも載ってるから、よく考えてくれ」

 おじさまはカウンター奥の掲示板を親指で指すと、売り場に出て行った。ポルはおじさまからもらったクリップボードと、掲示板を交互に見ながら頭を悩ませる。武闘祭の賭けの仕組みこそ調べて知っていれど、誰が強くてどんな人がどんな戦い方をするのかなんて全くわからない。

 掲示板を見ると、マードラン、ドルセク、ヤーハンナー……と上から五番目までは二十万ベリン以上の高額を賭けられている。無難にこのあたりに賭けるべきか?

 ポルは手元のクリップボードに目を落とす。そこには参加者の賭け金だけでなく、年齢、出身地も書いてあった。ほとんどはアーラッド出身者、年齢も二十代から三十代が多い。下の方に目をやっていくとルズアの名前があった。やはり十六歳はダントツで若く、イーステルン出身者も彼しかいない。だが、ポルは目をみはった。ルズアの下に書かれている参加者はなんと十四歳、出身地はエン国とある。

 外国から参加する人がいるとは、さすがに有名な大会である。エン国はこのアルバート王国があるウエスト大陸からはるか海を渡ったところ、イースト大陸の大国だ。そんなところからはるばる来てこの大会に参加するのは、さぞ骨が折れたろう……そんなことをぼんやり思っていると、

「お嬢ちゃん、決まったかい?」

 カウンターにおじさまが戻ってきた。ポルはあまり深く考えても仕方ないやと思い、慌てて賭けの券に名前と賭ける出場者、金額を書いておじさまに手渡した。おじさまは券を見て目を丸くすると、

「……ほんとにいいのか?これで?」

 ポルはこくりと頷いて、賭け金二千ベリンを渡した。おじさまはそれを受け取り、眉根にシワを寄せて券にスタンプを押す。

「当たったらこいつを持ってきな。幸運を祈る」

 ポルは券を受け取ると、軽くおじさまにお辞儀をして店を出た。



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