2-4 二月祝勝武闘祭


**********


 パーン、パパーン……

 快晴の空に、トランペットバンダが奏でるファンファーレが鳴り響く。

 ところは円形闘技場。三百六十度すり鉢型にせり上がる観客席の真ん中で、黄色いグラウンドに砂埃が舞う。旗や拳を振ったり、仮面をつけて叫んだり、どんちゃん騒ぎしていた闘技場の観客たちは、ファンファーレを聞くと一瞬でしん、と静まり返った。

 ついに二月祝勝武闘祭当日。ポルは一人で観客席の上の方に座って券を握りしめながら、どきどきと周囲を見回していた。冬の終わりのからりとした太陽の光に、雪がきれいにどけられたグラウンドの砂が、ところどころきらきらと反射している。その真ん中に、赤と緑の派手な背広を着た恰幅のいい男が歩み出てきた。

「さあ、今年もやってきました!アーラッドで最もエキサイティングなフェスティバル……二月祝勝武闘祭!」

 観客席から歓声と口笛の嵐が応えた。古い闘技場だが古代の技術は計り知れないもので、グラウンドの声が反響してよく客席に聞こえるようにできていて、男の叫ぶような声ははっきりと聞こえる。

 止まらぬ歓声を、男が手を上げて制した。

「ではさっそく第一試合を始める前に、毎年恒例の礼賛といきましょう!みなさんお手を拝借!」

 男は大きく息を吸い込むと、

「勝利の女神アーラッドに万歳!」

「ばんざぁぁぁい‼︎」

 観客は全員右手の拳を突き出して叫んだ。ポルはタイミングを逃しておろおろしていたが、やがて小さく招きネコのような動きをすると手を下ろした。

 男が退場すると再びファンファーレが鳴り響く。ポルの席からグラウンドを挟んでちょうど対象の位置あたりにトランペットバンダがいて、その下には巨大な木の板があり、そこに初戦の出場者が張り出された。


“ マッドレイ vs ヤーハンナー ”


 東西両側にある控え室出口の役人が旗を振ると、二人の筋骨隆々とした男が出てきた。東のマッドレイは二十代の若者、両拳に鉄製のナックルをつけ、西のヤーハンナーは四十も近い男、体の半分もあろうかという大剣を担いでいる。

 グラウンドの端に立った審判が、両手に持った赤と緑の旗をぱっと上げた。

 試合開始だ。

 ウオオオオオオオオ!観客席からうねりのような大歓声。真っ先にマッドレイが地面を蹴った。正面から殴り込んだマッドレイの拳を、当然のようにヤーハンナーの大剣の側面が受け止め、跳ね返す。パワーは圧倒的にヤーハンナーの方が強いようだ。

 バランスを崩したマッドレイに、ヤーハンナーがそのまま大剣を振り回した。マッドレイは間一髪で躱すと、そのまま姿勢を低くして懐へ飛び込み、ナックルのついた拳でヤーハンナーの足をすくった。無様に横倒れするヤーハンナー、しかし倒れる姿勢を利用して体をひねり、マッドレイの追撃を受け止める。マッドレイは力くらべに持ち込まず、すぐさま後ろに飛びのいた。そしてヤーハンナーが起き上がろうとして、自分の大剣の重みで動きが遅くなった一瞬の隙をついてヤーハンナーの頭を後ろからぶん殴った。

 観客からどっと声が上がる。と同時に、ヤーハンナーがあっさりと前に倒れてピクリともしなくなった。審判が緑の旗を上げてマッドレイの勝利を告げた。周囲の何人かが、ヤーハンナーの賭博券を破り捨てる音が聞こえる。

 相手が倒れるか、降参することで勝ちが決するこの祭。死者が出ることもあるが、「相手を死なせることは力加減ができていない証拠」として不名誉にあたるそうだ。それなので人死にはないのが常だが、ポルは今の試合を見て不安になった。ルズアが戦っているところは何度も見たが、こんな戦闘のプロ相手にはたして無事に勝てるのだろうか?


**********


 東側の控え室。角の薄暗くて冷たい石床に、ルズアは座り込んでブスッとしていた。

 初戦が始まってしばらく。周りは大体筋肉の盛り上がった中年から若い男ばかりだということを、ルズアは音と匂いと雰囲気で分かっていた。長剣、レイピア、大振りのナイフ、戦斧、槍、ナックル、鉄扇……様々な武器の音で控え室は溢れかえっているが、どれが誰のものかまではいまいち特定できない。

 たびたび自分の細い体躯に浴びせられる小馬鹿にしたような視線を無視しながら、ルズアは珍しく寝坊して朝飯を食べてくる時間がなかったことをひたすら悔いた。ポルが少し寄越したキャンディでは腹の膨れようもないし、とっくに食べてしまっている。

「よおガキ。そんな隅っこでちまちまして、こっちで試合は見ねえのか?」

 大して広くない控え室の真ん中あたりで、木の椅子に座って群れている男たちの一人が、こちらを向いてルズアに声をかける。

「うるせえ、興味ねえんだよ」

 ルズアはぼそりとつぶやくと耳を塞ぐ仕草をする。それを見た男は顔をしかめて仲間たちの方へ顔を引っ込めた。女かよ、とルズアが再びつぶやいた時、外から五試合目の終了を告げる歓声が聞こえた。

 負けてぐったりした前試合の出場者がいそいそと運ばれて行くのをぼーっと耳で追っていると、控え室入り口の役人に名前を呼ばれた。それと同時に、控え室の男たちが騒ぎ出す。

「マジかよ⁉︎坊主、不幸だな!」

「せいぜい頑張れよガキ!」

 なんのことだかさっぱりわからないルズアはそれを全部無視すると、口笛を吹いたりして囃し立てる男たちを背に、長剣を腰につけ直してグラウンドに出て行った。


**********


 第五試合が終わり、それぞれ東西の控え室に出場者が運ばれて行った。すかさず目の前に掲げられた対戦者の名前を役人が替えにくる。ポルは胸の前でしわくちゃの賭け券を持ったまま、はらはらしてそれを見つめていた。

 どういう伝統かはわからないが、この祭では対戦表が発表されないらしい。つまり次に誰が戦うのか分からないので、一試合も目が離せないのである。

 役人が西側の紙を張り替えた。


“ マードラン vs “


 周囲から大歓声が上がる。マードランといえば、賭け金一位の名前だ。一昨年、昨年の連覇者だと、となりの観客が喋っているのが聞こえてくる。

 そして次に東側の紙が張り替えられる。


“ vs ルズア”


 期待の目で見守っていた観客たちは、誰?さあ?と間の抜けた会話に転じた。

 うそだ。ポルは真っ青になっていた。無意識に券を手放したのにも気がつかない。

 東側の控え室から、いつものように長剣を引っさげて、何故かブーツを脱いで裸足でズボンを捲り上げ、非常に機嫌の悪そうな顔でぎらぎら周囲を睨めつけながらルズアが登場した。周囲はクスクス笑いや、なーんだつまらんな……という諦めの声でざわざわし始めたが、西側からマードランが現れるとそれは大きな歓声と拍手に変わった。

 二メートルほどもあろうかという巨漢。黒々と日焼けした体を日に晒し、歴戦の傷がついた胸や顔は元騎士であることを物語っている。二本の大きなナイフを隠しもせず、時々がちんがちん威嚇的に打ち鳴らす。

 一方グラウンドでは、マードランの武器を耳から捉えたルズアが誰にも聞こえない声でぼそりとつぶやいていた。

「二本のナイフ……あのバカメイドと一緒じゃねえか」

 そのバカメイドが仕える当のお嬢様は、観客席で心配しすぎたせいで、一周回って空っぽになった頭でぼうっとグラウンドを見下ろしていた。

 二人が位置に着いた瞬間、観客席はしんと静まる。

 小鳥の声ばかりが聞こえる闘技場。ついに、審判が旗を振り上げた。

 観客が一斉にわく。マードランとルズア、動いたのはほぼ同時だった。ナイフを持った腕を交差して突っ込んできたマードランをルズアが軽いフットワークで横に避け、そこで長剣を抜く。マードランは突っ込んだ勢いを殺さずルズアのいる方向と逆に回転し、そのまま右手のナイフをルズアに叩き込むが、ルズアはそれを屈んで避けるとローキックを繰り出す。手をついて跳び避けたマードランへ追撃するように、ローキックの回転に乗せて右手の長剣で地についた手を狙う。

 しかしそれはあっさりとついていない手に握ったナイフに弾かれた。ルズアは軽快にそのまま手をついて後ろに跳ぶと、マードランから距離をとる。


 観客席では、なんじゃありゃ……とか、相手はマードランだぞとか、そんな類の感嘆にも近い声が飛び交っていた。型にまったくはまらない動き、時にずるいと思わせるような戦い方、相手の動きを読んだかのような素早い反応。今やルズアがマードランを押していた。


 低く繰り出された二撃のナイフをルズアは跳んで避け、そのまま容赦無くマードランの頭を踏み台にしてもう一度跳び上がり、空中で体をひねって長剣を薙ぐ。防げなかったマードランの背中に一文字の薄い傷ができた。

 ルズアが着地すると、振り返ったマードランが襲いくる。ルズアはぼそりと、

「芸がねえな」

 つぶやいて、一歩後ろに引いた。するとその距離の間でわずかに利き手、マードランの右手が前に出る。ルズアは右のナイフを左手の長剣で受け止め、一瞬遅れてきた左のナイフは避けると手を直接掴んで封じる。一瞬うろたえたすき、ルズアはそのまま思い切り頭を引くと眉間めがけて頭突きをくらわせた。

 マードランは頭突きをまともに受け、みごとに失神して倒れた。


 ワアアアアアアア……ととんでもない歓声が上がった。なんせ、外部から来た参加者が、武闘祭連覇者をあっさり倒してしまったのだ。審判の旗は、高々とルズアに掲げられた。グラウンドから二人が退場したのを見たポルは、大きくため息をついて胸をなでおろした。

 五試合目が終わってすぐ六試合目が始まるというのに、突如アーラッドの外から参戦して連覇者をあっさり昏倒させた赤毛の少年の話で周囲はもちきりだ。どうなってるんだ、という驚きの声。ありゃ天才だ、という感嘆の声。八百長でもしたんじゃないの?という疑いの声さえ上がっている。そんな周囲の声に耳を傾けることもなく、ポルは急いでグラウンドに背を向けると観客席の階段を駆け下り、闘技場の外へ出た。

 闘技場の入り口を出たところで、武闘祭の観客相手に声を張り上げるパン売りに鉢合わせた。ポルは最後の小銭を全部はたいて菓子パンをいくつか買うと、闘技場の外からしか回れない東側の控え室の入り口へ走る。

 闘技場を九十度回り込むと、控え室の入口が見えた。そしてその近くにルズアが立っている。ポルは駆け寄ろうとしたが、ルズアが突然剣を抜いたのを見て足を止めた。

 一瞬にして周囲を支配する張りつめた空気。ポルは混乱しながらも思わず息を潜めた。

 次の瞬間、控え室の前に立っている大木の枝の中から軽く武装した人影が飛び出した。落ちる重力に乗せて放たれた短剣の突きを身をかがめながら前に踏み出して避け、そのまま低い位置から回し蹴りで着地直前の人影を吹っ飛ばす。

「何のつもりだ?」

 転がりながら体勢を立て直した人影に、ルズアが氷点下の問いを投げかけた。人影は小柄で、顔の下半分を布で隠している。おそらく男。

 男は答えずに再度ルズアに斬りかかる。目にも留まらぬ下段の攻撃を横に跳んでかわしたルズアは、勢いを利用して体を回転させ、斜め後ろで振り向いて立ち上がりかけた男めがけて剣を薙いだ。男は間一髪で一歩下がるが、そのまま体勢を崩す。

 ポルは離れてそれを見ながら、物音を立てないよう闘技場の壁に寄った。その時、

「あれ、お嬢さんじゃないかい!」

 ポルは思いっきり飛び上がった。後ろからの声に振り返ると、古本屋のおばあさんが杖をついてにこにこしながら立っていた。

「お嬢さんも見にきたのかね。こんなところで何をしとるんだい?」

 ポルはカバンから鉛筆とメモ帳を取り出して綴った。

『ええ、観にきたんです……同行人が出場してるので。でも』

 ポルは、更衣室の入り口でいまだに取っ組み合っているルズアと謎の男を指した。

『ああいうのって、よくあるんですか?』

 おばあさんは目を細めて二人を見た。

「……あの赤毛の子、さっきマードランを倒した子かね?武闘祭中は出場者が試合以外で格闘したら即強制棄権のはずなんだが」

 それを聞いたとたんポルの顔色が変わった。

 奇襲をされたのはルズアの方だと分かってはいる、ここで棄権させられるのもあんまりだ。担当の役人に見つかる前になんとかしてあの男をルズアから引っぺがさないと。

「お嬢さん、ありゃ止めた方が……」

 おばあさんが最後まで言う前に、ポルは紙と鉛筆をカバンに押し込み、背中の弓を抜いて矢をつがえると男の足元を狙って撃った。ルズアより格段に動きが遅くて助かる。

 男の動きが一瞬止まった。もう一本矢をつがえたところで、

「おいこのクソッタレ!余計なことすんじゃねえ!」

 ルズアがイライラして叫んだ。大声を出したら役人に見つかる!と焦りがポルの胸をよぎった。さすがにルールが参加者に説明されないわけがないし、どうやらこの様子だと試合外での戦闘禁止という話は聞き流していたのだろう。

 もう、ポルはやけになってつがえた矢を一瞬止まったルズアの足元に放つと、スカートの下から一振り小型ナイフを取り出した。

「どこ狙ってんだテメェ!死にてえのか!」

 ルズアの怒り声を無視して二人の方へ突っ込む。間に割って入る直前、地面に刺さった矢に蹴躓いてつんのめり、ルズアの隙をここぞとばかりに突こうと短剣を構える男にタックルをかます格好で倒れこんだ。

 予想外の事態に驚いたのか、とっさに右手をつこうとした男は短剣を手放す。ポルは左手でその短剣を素早く取って放り投げた。

「っ馬鹿野郎!」

 投げた方向にたまたまいたルズアが悪態をつきながら剣で飛んできた短剣を弾く。短剣は澄んだ音を立てて木の裏の方へとんでいった。

 ポルは男より一瞬早く起き上がった。なんとかしてルズアに剣を捨てるかしまうかさせなければいけない。

 ポルは背中の弓袋に無造作に突っ込んでおいた菓子パンの袋をルズアに押し付けた。同時に後ろから殴りかかってきた男の拳を間一髪で避けて、そのままがむしゃらに足にしがみついて引っ倒す。

「飯……」

 ルズアはそれにはお構いなしに、剣をしまって菓子パンの袋を開ける。しがみついた足で思いきり脇腹に蹴りを入れられて地面を転がったポルは、ちらりとルズアを見て心の中でガッツポーズした。ルズアに戦意喪失させる手などこれ以外にない。

 立ち上がって再度ルズアに掴みかかろうとする男を、ポルは後ろから腰のベルトを引っ張ってなんとか止める。方向を変えた男がポルの顔面を殴ろうと身構えた時、

「ルズアさんいらっしゃいますかー?二回目の試合がまもなく始ま……」

 控え室から出てきた役人の声。

 全員がその場で固まった。昼飯の菓子パンを貪るルズア。その足元で泥だらけになって取っ組み合うポルと謎の男。

「えっ……と」

 役人が困った顔をする。同時に謎の男が一目散に逃げていった。

「次、試合です……ルズアさん」

 役人はそう言うと控え室へ戻って行った。

 ポルは慌てて立ち上がると土を払う。ルズアの手を引っ張ると、

『試合外での格闘は即棄権だって。知ってた?』

「さあ?」

 ほらやっぱり。ポルはため息をついた。

「棄権ったって、あっちから来たんだから仕方ねえだろ」

『それが狙いなのよきっと。裏でああやって出場者を棄権に追い込む人がいるんだって。そういう時はちゃんと役人さん呼びましょう?ね?』

「やだね。とろくせぇ、見つかんなきゃいいだけじゃねえか」

 ルズアは食べ終わったパンの袋をぐしゃぐしゃと丸めた。

「始まりますよー!ルズアさん!急いでください!」

 控え室の中から役人が叫ぶのが聞こえた。ルズアはゴミをポルに押し付けると、

「棄権か知ったこっちゃねえが、次から割って入ったらぶっ殺すぞ。お節介女」

 ルズアはさっさと控え室に戻っていった。


「危なかったねぇ。いきなり突っ込むからハラハラしたよ」

 ずっと見ていたのか、おばあさんがえっちらおっちらとやって来た。

「蹴飛ばされてたけどあんた、大丈夫かい?」

『ええ、はい、大丈夫です』

 とはいうものの、じわじわと脇腹が痛くなってきてポルは顔をしかめそうになる。尻もちをついたのでお尻と腰も痛い。

 おばあさんは、控室前の大木に目をやった。

「たまーにいるみたいだね、ああいうのが。場外で出場者を襲って強制棄権に追い込む輩が……誰が雇ってるか知らないが、毎年それで何人かは棄権してるよ。雇い主も毎年突き詰められなくて困ってるみたいでねえ……」

『はあ、やっぱりそういう人だったんですか。ありがとうございました』

 ポルは再度ため息をつくと、おばあさんにお礼を言う。

「いやいや、なにも感謝されることはしてないが……お嬢さんも赤毛のにいちゃんも不運だったね。にいちゃんが優勝したら、賞金でちゃんとした医者くらい連れてってもらいなさいな……じゃあ、にいちゃんの試合見にいってくるよ」

 そう言い残し、おばあさんは踵を返して去っていった。


 おばあさんがいなくなったとたん、ルズアの言葉が蘇ってきた。ぶっ殺すぞって、なにもあそこまで言わなくても。説明聞いてなかったくせに。それに、出るって言ったのはルズアのくせに。

 ポルは一瞬むっとしたが、そもそもルズアが出場することになった理由は自分が財布をなくしたからだったことを思い出す。しゅんと肩を落とし、とぼとぼと観客席へ戻った。


 ポルが観客席に着いた頃には、もう試合は始まっていた。

 今回のルズアの相手は、今までの男たちと比べると小柄な茶髪の青年。ルズアと同じ長剣でかかってきた。

 小柄なだけはあり、小回りとスピードを効かせた戦いぶり。それを見て、ポルはさっきの刺客が随分戦闘慣れしていない相手だったんだとふと思った。

 何度かぶつかり合う剣の音。周囲から湧き上がる歓声。双方とも間合いを詰めも離れもせず、試合はなかなか進展しない。

 しかし次の瞬間。

 キンっ、と鋭い音とともにルズアの剣が弾き飛ばされた。同時におおっ!と拍手とざわめき。

 弾き飛ばされた剣がきりもみしながら着地する前に、ルズアは剣を弾かれた左の半身を軸に右足で踏み込み、そのまま剣を弾いた姿勢で一瞬胴体が空いた相手の懐に飛び込んで、鳩尾に右肘をくらわせた。

 後ろによろめいた相手の腹にさらに膝蹴り、もう一発胸を蹴飛ばしのけぞって倒れこむ相手の右手から剣を奪うと、立ち上がる前に剣の切っ先を首に突きつける。

「……降参だ」

 相手のその一言で、ルズア側に審判の旗が上がった。どおっとものすごい歓声が上がる。これで二勝。

 ルズアはくるりと剣を回して柄を相手に向け、奪った剣を返す。相手は悔しそうな、ちょっと恨めしそうな目でルズアを一瞥すると、剣を取って去っていく。ルズアはそれを気にかけもせず、自分の剣を拾うとさっさと控え室に戻っていった。


 **********


「さあ!ついに二月祝勝武闘祭も最後の最後、オオトリとなって参りましたっ!」

 うおおおおおおお!と歓声が上がり、ぴーぴー口笛が鳴り響く。誰もいないグラウンドのど真ん中で、開会の時にいた司会の役人が声を張り上げていた。

 一通り全ての試合が終わったようだ。残すところ決勝、あと一戦のみ。

 ポルは昼間と同じ席で静かにグラウンドを見下ろしていた。あたりはもう夕暮れにさしかかり、陽光に照らされた観客の顔がほの赤く反射する。ルズアはあれから何戦かしたが、結局全ての試合でアーラッドの屈強な猛者達をものの数分で倒していた。もちろんこの祭りの趣旨、武器を主に使った戦いとはあまり言えない少々卑屈な戦法で。

 つまり、ルズアは決勝進出である。

「今回の武闘祭は異例中の異例!大変なことになって参りました!」

 声を張り上げる司会。観客から一斉にブーイングが飛んだ。

「いやしかし!異例こそが面白いっ!観客のみなさま、いよいよ最後の瞬間まで目が離せませんっ!」

 わああっ、と拍手の嵐。司会が大仰に腕を広げた。

「では選手紹介といきましょう――東っ!イーステルン出身、十六歳の若さで初戦から即決着の素晴らしい試合を見せてくれました!赤毛の天才少年、ルズア!」

 どおっと湧いた歓声と手拍子、口笛、若い女性の黄色い声。その中からルズアが、初戦から全くブレない仏頂面と裸足の姿で現れた。

「西っ!」

 司会が叫ぶと、歓声の嵐が小さくなった。

「なんと遠くエン国出身の十四歳!愛らしい姿で軽快に相手を翻弄してまいりました!」

 途中で宿に行ったりしてルズアの出ていない試合をちゃんと見ていなかったポルは、そこでやっと決勝の相手は賭け帳でルズアの下に載っていた人だと知った。

「東洋から来たる武闘の妖精!シェン・フー!」

 大きく歓声が上がる。しかし、その中にはルズアの時にあった女性の黄色い声のかわりに「シェンちゃん!頑張れ!」「可愛いよ!」という野太い男達の声が混じっていた。

 歓声の中で入場してきたのは、ちょこんとした小さくて愛らしい少女。長い漆黒の髪を後ろでシニョンカバーに結い上げて背中に流している。青い筒袖の上着にゆったりとした白い袴はエン国の男ものの衣装だ。切れ長でぱっちりした猫のような黒い瞳をきらきらさせて、ルズアの前に立つといたずらっぽく微笑む。

「我姓福,我叫福珅、フ―家のシェンと申しまス。こちらの発音だとシェン・フー、ですネ」

 シェンは体の前で左の拳と右の手のひらを合わせると、膝を折って礼をした。ルズアは見えないはずの目をそらしたまま、首だけ傾げた。

「可愛いよなあ、あの子……」

 突然、ポルの耳に隣の会話が入ってきた。そちらを振り向くと、作業着の若い男のつぶやきに、熊のような少し背の低い男が返していた。

「お前、もしかしてそういう……ほら、少女趣味だったのか……?」

「いや、そうじゃない……はずなんだが、目覚めたかも」

「……俺、友達やめるわ」

「自分の性癖より友達の方が大事だ。安心しろ。俺は今全力であの赤毛ひょろひょろ野郎を彼女にぶちのめしてもらいたいだけだ。アーメン」

「穢れた心でアーメンしてんじゃねえよ」

 なんだ、この若い男の人はルズアに恨みでもあるのだろうか、もしかして昼間の刺客か、とポルは思ったが、思考は司会の声に中断された。

「さて、ほぼ武闘祭史上初、アーラッド外部の参加者同士での頂上決戦!一体どうなることでしょうか、存分に最後までお楽しみくださいっ!」

 司会が一礼して小走りに去って行くと、トランペットバンダが天高く決勝戦開始のファンファーレを鳴らした。

 赤と緑の旗を両手に持った審判が、大きく両手を挙げる。

「両者位置につけ……試合開始!」


 試合が始まったとたん、全ての観客席から怒号のような声援が飛ぶ。

 そことは一線を画して、グラウンド上は静かだった。試合開始直後、間合いを詰めようと前屈みになったルズア。しかし彼が突っ込む前に、シェンは二回、三回、ぴょんぴょんと後ろに跳び下がって間を空けた。

 ルズアは剣を抜く直前の低姿勢で微動だにせず、シェンはそれを見て東国式の武術の構えを取りつつ懐から長い鎖で繋がれた双節棍を取り出した。

 双節棍にしては鎖が長すぎる。変わった形の使いにくそうな得物だと、観客席からポルは思った。

 獣同士の命を賭した争いのように、凍りついた睨みあいが続く。観客席の喧騒が、徐々にその空気にあてられて静かになっていった。

 闘技場が完全に静まり返った頃。

 突如として、シェンが地面を思い切り蹴って飛び出した。飛び出す勢いで双節棍の棒部を片方持ち、鎖を思い切り振り回してルズアの足元をすくいにかかる。ルズアはその場の地面に剣を突き立てると自分は跳んで後ろに下がった。勢いづいたシェンの双節棍はルズアが突き立てた剣を思い切り巻き取る。

「ちっ!」

 シェンは舌打ちすると、巻きついた鎖に引かれる力に乗ってもう一度地面を蹴り、ルズアの間合いの直前で思い切り跳ぶと、そのまま宙返りして踵を落とす。難なくルズアは横に避けるが、着地するやいなや手をついたままシェンは振り下ろしたのと逆の脚で回し蹴りを繰り出した。ルズアは間一髪で横に転がって躱す。パワーさえないものの、今までの相手とは速さが段違いだ。

 観客席は歓声が上がるどころか、誰もが二人の試合に見入っていた。舞い踊るように軽快に戦うシェン、それを突飛なやり方を駆使しながら躱すルズア。今まで数分で試合を終わらせていた彼がこう試合を長引かせていることこそ、二人がほぼ互角の戦力であることを暗に物語っていた。

 転がって避けたルズアが姿勢を起こす前に頭上を軽く飛び越えたシェンは、後ろから体重を乗せた手刀でやっと片膝ついて起き上がったルズアの首筋を狙う。ルズアは上体で躱すと、そのまま体をひねって手刀を入れ損ねた姿勢のシェンの胸に肩でタックルし、流れで脇腹を抱えると背中から地面に投げた。

 あんな小さな子にそれはないでしょう……とポルは一人観客席で唖然としていた。

 しかしさすがは東洋の武術使いである。上手に受け身を取るとすぐさま起き上がって間合いを取った。

「速いですネ、ルズアさン」

 猫のような目はもはや、獲物を狙う虎にも似て鋭い。

「最初に得物を封じられたのは、つらいですネ」

「降参か?」

 ルズアが不敵に笑う。

「得物を封じられたのは俺もなんだが。素手じゃ勝てねえって意味か?いいこと聞かせてもらったぜ」

 あえて挑発するルズアは、今はもう賞金を狙って勝つことより大暴れする楽しさの方が先にきて仕方ないようだった。

エイ?まさカ、得物を封じられたなら取り返せばいいだけのこト」

 シェンはそばに刺さっていたルズアの剣を抜いて、鎖がついたままの剣を思い切りふり回した。棒部分の重みできれいに巻きついていた鎖はすっぽ抜け、ルズアめがけて二つの鉄の球のごとく飛んでいく。ルズアはそれを横ステップで難なく躱したが、その直後にルズアの長剣で突きの構えを取りながら突っ込んでくるシェンを察し、横に転がりながら双節棍を拾う。

 シェンがルズアの位置に到達したのは同時だった。ルズアは倒れた姿勢のまま、棒部で長剣を下から勢いよく薙いだ。長剣が上に弾かれ、シェンは後ろへ跳ね返された格好から右手をついて足場を定めるとすぐさまバク転、落ちてきた長剣をキャッチして再び地面を踏み切る。

「隙ありっ!」

 ちょうど起き上がったルズアの後ろから、宙返りの勢いに乗せて首筋へと長剣を振り下ろす。

 ガキンっ!

 濁った鋭い音とともに、鉄どうしがぶつかり合って火花が散った。ルズアは双節棍を左手で首の後ろに構え、間一髪でシェンの体重を乗せた長剣の一撃を防いでいた。

 全体重をかけた決めの一撃を防がれ、シェンは次の動きを一瞬迷う。

 その隙に、もはやルズアは反撃に転じていた。右手をついて倒れるように体を回し、左手で剣を逸らしつつ、右足を軸に腹筋に力を込めて左足でシェンの脇腹に踵から蹴りを入れた。シェンは今度こそ不意打ちをくらい、軽い体は子犬のように吹っ飛んだ。


 観客席では、どうなっているんだあれは……というような囁きがあちこちを駆け巡っていた。全身のバネをいかんなく使い、めちゃくちゃな動きをしながらも重みのある一撃を放つ赤毛の彼。とてもただの騎士団上がりくらいじゃあんな風にはならないと、隣の席にいる作業着の熊みたいな男が横の若い男に語っていた。ポルは全くそんなことは分からないので、ルズアは体が柔らかいんだなあ……程度のことしか考えていなかった。


「やりますネ……ちょっと痛かったでス」

 口の端から一筋流れる血を手の甲で拭いながら、シェンはルズアを睨めつける。さすがにダメージも半端ではなかったようだ。

「容赦をしたつもりはねぇからな」

 ルズアは軽く鼻であしらった。

「速いだけだなんて見くびっていましタ。やっと分かりましタ……貴方は相手も周りも見て戦っていなイ。そんな戦い方にそれほど慣れていらっしゃるとは、もしや……貴方は盲目なのですカ?」

 シェンは最後の問いを投げながら、長剣を置いて体術の構えを取る。

 ルズアは同じように双節棍を地面に置くと、その問いを「はっ」と笑っていない口の端で笑い飛ばした。

「だからなんだっ!」

 言葉とともにシェンに突っ込む。シェンも同じようにルズアと間合いを詰めた。ルズアの正拳突きをシェンは上体を少し仰け反らして避け、半周まわってルズアの腹に左肘を入れた。ルズアはあえて躱すこともせず、そのまま素直にくらう。その代わりとも言わんばかりに、くらった時に後ろ向きに受けた力を利用して左足でシェンの脇腹、さっきと同じ位置を膝で蹴り飛ばした。シェンは今度は受け身を取って転がると体勢を起こし、ルズアの腹めがけて全身を使った頭突きを繰り出した。とっさにルズアは半歩左に避け、右足の膝を同じように再びシェンの腹へと思いきり打ち込んだ。

 あっけなく再び後ろに飛ばされたシェンは、しりもちをついた姿勢からよろよろと立ち上がる。ルズアは澄まし顔に、見えていない目でシェンを静かに見下ろしていた。

 シェンは肩で息をしながら苦悶の表情でルズアを見ていたが、しばらくして小さく首を振ると、顔の横に小さな両手を上げた。

「降参でス。貴方には勝てませン」


 一瞬の静寂。

 そして、遅れて観客たちがドオッと湧き上がった。審判が、東側の旗を上げて叫ぶ。

「優勝は東、ルズア!」

「マジかよ……」

 ひときわ大きくなった歓声と口笛のうねりの中で、ポルの横にいた作業着の男たちのうち若い方ががっくりと肩を落とした。

 ポルはしばらく嬉しいやら信じられないやらでぽかんとしていたが、やがて自分が賭け券を落としたことに気がつくと慌てて椅子の下に潜って探し始めた。

 ルズアとシェンは各々の武器を拾うと、シェンは少し体を引きずりながら苦虫を噛み潰したような顔で、ルズアはやはり来た時と同じしゃくしゃくとした足取りと、表情に薄く楽しそうな色を浮かべながら、それぞれの控え室へと去って行った。

 こうして、アーラッドの二月祝勝舞踏祭は怒涛のうちに幕を下ろした。

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