朝山さんは死んだほうがいい
@tinosoko
朝山さんは死んだほうがいい
「これは間違いないことだけれど、朝山さんは死んだほうがいいよ。僕の言うことは確実だからね。絶対にそうしたほうがいい」
いまだにこの言葉にどう反応したら正解だったのか、私にはわからない。すべての結果が見えた今になっても、この言葉にどう返せばいいのか、私には思い浮かばないのだから。
その時の私は、
「……………………」
こんな風に長めの沈黙で返した。
いや、正確に言うなら、私は何の反応も返せなかったと言うべきだろう。ただただ唖然としていた。
『死んだほうがいい』とか言われて、憮然としたり憤りを覚えたというよりは、相手が何を言っているのかがわからず、思考の空白に陥ってしまった。
というのも、この時私に話しかけてきた相手、篠山くんは友達でもなんでもなく、ただのクラスメートという関係性で、かろうじて名前を覚えているくらいの存在だったからだ。当然、友達でもなんでもない。いや、友達だと思っていた相手に『死んだほうがいい』とか言われたら、それはそれで一大事なのだけれど、しかし実際、まったく無関係な相手にいきなり『死んだほうがいい』と言われるというのも、なかなか突拍子がないシチュエーションと言える。いきなり交通事故に遭ったとか、いきなり隕石が自分に直撃したとか、いきなり登校中にパンを咥えた美少年とぶつかるとか、いきなり空から美少年が落ちてくるとか、そんな荒唐無稽で意味不明なイメージが頭を飛び交うくらいに、私は混乱した。
「……え、えっと、なんなのかな? いきなりさ。うーんと、篠山くん、だっけ? 私、何かしたかな?」
「別に。僕が朝山さんに何をされたかとかは一切関係ないんだ。ただ、僕は僕が感じていることを素直に話しただけだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「へ、へ~」
クラスメートの一人が思いのほかデンパだった。そのこと自体はどうでもいい事実だけれど、なぜ私がそのデンパくんに目を付けられなければいけないのだ。
篠山くんは言いたいことだけ言うともう気が済んだようで、鞄を背負ってさっさと帰ってしまった。
そう、今は放課後だ。
今日の私は友達とつるんで帰ることなく、たまたま一人教室で帰る支度をしていた。
篠山くんは私が一人であるタイミングを狙って、意味不明な暴言を放ってきたということだろうか。
これはデンパくんに突然絡まれてしまったという一件である。私は篠山くんをこれから用心深く避けるべきなのだろう。それが賢い選択というものだ。
しかし、この平和な日本の高校生活において、いきなり『死んだほうがいい』とまで言い放つ理由、それもこれまで一切絡んだことのない相手にそんな異常な言葉を吐きかける理由というのが、どうしても私には気になってしまった。
だから、この日を機に、私は篠山くんを観察することにしたのだ。
観察からわかったことは、そう多くはなかった。あんなことを言われた後で、直接話しかけようという気力も出てこなかったし、ただたまに篠山くんの様子を見てみるくらいしかしていないのだから、それも当然のことだ。
ただ単にこれまでに感じてきた、篠山くんの印象の再確認といった塩梅になった。
篠山くんはいつも一人で高校生活を過ごしている。いわゆるぼっちというヤツだが、地味だったり根暗だったりという印象は特にない。かといって、一匹狼的な不良という訳でもない。
あんなことを言われて改めて観察し始めたから、よりそんな印象が強まっているのかもしれないけれど、どうも篠山くんは他の生徒とは違う、異質な雰囲気を放っているような感じだ。
周囲に溶け込んでいない。浮いているのだ。特に誰かと話すでもなく、悪目立ちするような行為に及ぶでもないのに、なぜか普通の高校生には見えない。見ていると言い知れない得体の知れなさ、重圧のようなものを感じる。だから、あまり視界に入れたくない。なんとなく嫌なオーラを纏っている気がする。
私は篠山くんにそんな印象を受けてきたことを、改めて再確認した。
そんな中途半端な観察で私はなんだか満足してしまっていた。
篠山くんの発言は、奇行と言えば奇行の一種だろうが、別にあれ単発ならちょっとしたショックを受けただけで実害があるとまでは言えない。そう思っていたのだが……。
篠山くんはあれから二、三日おきに私に言うようになった。
「朝山さんは死んだほうがいいよ」「朝山さん、死んでよ」「朝山さん。いい加減に死ねばいいんじゃない?」「僕の言うことをわかってよ。朝山さんは死んだほうがいいんだって」
篠山くんの『死んだらいいんじゃない』初遭遇時、偶然教室に他に誰もいない放課後というシチュエーションだった。だから、私は篠山くんは流石に他人の視線を気にするという意識はあるんじゃないかと思っていたのだが、それは気のせいだったらしい。篠山くんは特に他のクラスメートがいるいないを気にすることはなかった。いつも同じようなテンションで私に対して暴言を放ってきた。
流石に篠山くんの暴言第二弾の時は焦った。
その時、私は男女数人の仲良しグループで楽しくお喋りをしながら昼食を取っていた時だったからだ。
昼休み、私達のグループ以外にも、学食を利用しないお弁当や購買を利用するタイプの生徒が、まだかなり教室に残っている状況下で、篠山くんは爆弾を投下した。
「朝山さん、楽しそうにお弁当を食べているけれど、キミは死んだほうがいいんだよ」
騒がしい喧騒の中、ムダに通る声で彼は言った。
空気が淀んだ。
私のグループのほとんどは、『……え?』という空気に支配されていた。ほとんど関わりのない相手からの意味不明な暴言。何かの間違いじゃないのか、何が起こったのかよくわからない、というそんな雰囲気。
そんな中、私のいるグループの中でも特に喧嘩っぱやいハヤトがすぐに反応した。
「……は? 篠山お前、今なんつった?」
私は大いに焦った。篠山くんがそこまで周囲の目を気にしていないとは。頭がおかしいんじゃないかと強く感じた。
「だから、朝山さんに死んだほうがいいって言ったんだよ。聞こえなかった?」
言葉ヅラだけを見ると、かなり皮肉で挑発的な発言にも聞こえるが、しかし篠山くんの言葉のトーンは終始淡々として落ち着いていた。まるで当たり前の常識を語っているかのような、特に逸脱した発言をしているつもりはないというような平静さだった。
「お前さ、流石にそれはないんじゃねぇの? 言っていいこと悪いこと、この年でまだわかんねぇとか……」
ハヤトはヘラヘラ軽く笑いながら立ち上がった。このテンションはかなりヤバい。ハヤトはキレている時、怒りが極まりすぎて逆に笑うのだ。
私は強めにハヤトに言った。
「ハヤト、いいから!! なんか篠山、コイツ頭おかしいの! 別に何もされてないし!!」
「はぁ?! なんでミヤコ、コイツのことかばうみたいなこと言うんだよ」
「そんなヤツ、殴る価値もないって。シカトでいーよ」
それは実際、当時の私の本心だった。
「……そーかよ。なんだよなんだよ、マジでムカつくなぁ」
ハヤトは私の言葉で席に腰を下ろしてくれた。それでも一触即発の状況は変わらなかったのだけれど、そんな風に私とハヤトがやりとりをしている内に、篠山くんはさっさと自分の席に戻ってしまっていた。
篠山くん、やっぱり意味不明。単純なデンパの域を、もう逸脱している。
それから親友のハナビが心配そうに私に言ってくる。
「ねぇミヤコ、篠山のこと本当にいいの? アイツ、本当に意味不明だし最低だよ。死ねってリアルで言うとか本当にワケわかんないし」
「うーん。まあそうだね……」
「アンタがぽやぽやしてるから篠山もつけ上がるんじゃない? 放っておかないほうがいいと思うんだけど」
「そうかもね」
私は何となくこの時点では、グループを篠山くんという変な人物に関わらせてしまったことを申し訳なく思っていて、これが大事になることなく、鎮火してくれることを密かに祈っていた。
しかし、篠山くんはそんな私の祈りを知ることなく、数日おきにテンプレな暴言を吐き続けた。
それから、当然、篠山くんはイジメの対象になった。
放課後、教室のある三階の窓から裏庭を覗くと、篠山くんが袋叩きにされているのを見たことがある。
私は特に篠山くんに感情移入しているということでもなかった。結局、クラスを巻き込んだ大事になってしまったことを虚しく思いつつも、色々なストレスのはけ口にされる篠山くんを、そうされても仕方のない人間だという風に見なしていた。
篠山くんはいじめられ、殴られながらも、私に『死んだほうがいい』と言い続けることはやめなかった。次第に場所を選ばずに彼は殴られることになった。腫らした顔で、尚も平静に言い続ける彼に、私は若干の恐怖を抱いた。そして、何が彼にそこまでしてそうさせるのか、謎は深まるばかりだった。
変な行動のスイッチが入っちゃったデンパくん。そんな風に篠山くんに判定を下すことしか出来ない私は、当事者でありながらも外野のように篠山くんの暴言と篠山くんに対するイジメを眺めているだけだった。それはもう日常風景の一部となり、どうでもいいことになった。
篠山くんは年末まで高校に来続けたが、冬休みが明けると、突然高校に来なくなった。
篠山くんへのイジメを黙認し続けた担任は、まるで心配していなさそうな顔で、退学届けや転校の知らせもないままに、篠山くんが高校を休み続けていることを告げ、「誰か何か知っている人はいませんか?」と尋ねた。しかし、担任が篠山くんのことを口に出したのはその一回だけであり、私達も次第に篠山くんのことは忘れていった。
私の篠山くんに対する若干の恐怖も次第に薄れ、私が高校を卒業する頃には、『そんなこともあったな』程度の思い出だった。不快な記憶なのでグループ内で特に話題に昇ることもない。
高校時代の篠山くんの一件は、それでおしまい。
そして、数年の月日が経ち、新社会人になっていた私をどうしようもない運命が襲った。
世界中で、すべては燃え盛り、すべては破壊され、すべては殺し尽くされ、すべては終焉した。
それが僅か数日の中で起こり、後には混乱と絶望だけが残された。
……そして、その中心にいたのが私だった。
もうとうに機能していない各国政府に代わり、今、得体の知れない情報を発信し続けるのはインターネットだ。
人々の間ではどうにかしてスマホのバッテリーを確保するかが死活問題のように扱われているようだ。……それでも死ぬ時には死ぬのだが。
人類に訪れた災厄は『寄生型外来昆虫種』と呼ばれている。とにかく巨大で、その体長は高層ビルにも及ぶ。そして繁殖力が凄い。一体が数千数万の卵を生み、生まれた幼虫(それでも人間くらいの大きさ)は周囲の有機物無機物を関係なく取り込み、数時間でビルくらいの大きさまで急成長する。一番大きい個体の体長はもう測り切れないくらいに高い。成層圏に届かんばかりのその個体はマザーと呼ばれる始まりの一体だ。
そのマザーを産んだ母体が。
……私、だ。
そのグロテスクな虫が、私の腹を掻っ捌いて産まれた後、私にはその寄生型外来昆虫種とやらの思念が伝わってくるようになった。
宇宙から飛来した彼らは、人間の母体の胎内に潜り込み、胎児の中に侵入する。そして、産まれた子供の体内で一部の内臓と同化する形で成長し、外で生存するに充分な大きさになる頃合い(寄生した人間の子供が成人を過ぎた頃)に、外へと飛び出て来るのだ。
私は人類を滅ぼす外敵を、知らずその腹の中で育てていたのだった。
その虫の子を産んだ時、会社から帰宅している途中だった。ターミナル駅付近の大通りで虫を産み落とした私の様子は、当然多くの他人に目撃もされていたし、スマホで撮影もされていたらしい。
確認してはいないが動画としてネットにアップロードもされているだろう。そのことから、今、暴虐の限りを尽くしている虫を産んだ人間の母体がいることは、もう今や誰もが知っている都市伝説だ。
母体は『魔女』と呼ばれた。
もう誰もカウントすることは出来ないだろうが、一説では人類の半分近く、30億人を殺したとされる虫を倒すことは人間には不可能だ。
だから、せめてもの捌け口として、人類は魔女狩りを行った。
これまで、沢山の女性が殺され、火炙りにされてきた。
そして今、私も鎖に繋がれている。
これから柱に磔にされ、火で焼かれる運命らしい。
私の腹は大きく裂けており、全身には真っ黒な紋様が浮かんでいる。一目で異様だとわかる外見で、これまでも逃げ延びることが出来てきたわけではない。
何せ、立つことすらできない。腹が裂けていて、足はかろうじて身体に付いているだけで、ほとんど引き千切れそうな状態なのだ。
必死に這いずる私は、何度も何度も石を投げられ、刃物で突き刺され、殴打され、足蹴にされてきた。
それでも私は死ななかった。
虫を産んでから強く自覚したのだが、私には自身でもコントロールできないくらいの、巨大な生命エネルギーが渦巻いている。どんなに殺されても死なない。
殺される度に記憶があやふやになりながらも、生きることが続いてしまう。
その内、生きている理由が見えなくなる。早く終わってくれと願いつつも、それでも延々と意識が繋がり続ける。
地獄だった。
それでも私は誰かを恨むことは出来なかった。
頭の中にでずっと「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」と謝る言葉がリフレインしていた。私が人類を滅ぼす原因を作ってしまった。もう訳がわからなかった。
意識が混濁する中で、延々と続く生き地獄も、どうやら終わりになるらしい。
虫の母体だったということで与えられた強靭な生命力も、そろそろ尽きるようだ。
自分の身体から段々と力が抜けていくのがわかる。
そんな中、私はとうとう磔にされ、燃え盛る火に炙られた。
とうに足は焼け落ち、内臓が焦げていく中、それでも途切れないまだ途切れない意識の中、私の視界が何かを捉えた。
それは存外私のすぐ傍で宙に浮いていた。
それは篠山くんだった。
周囲の人々の憎悪の叫びに、驚きの声は混じらない。どうやら篠山くんは私以外の人間には見えていないらしい。
死の間際の私の妄想かと思ったが、高校時代のワケのわからないこのクラスメートのことなど、今の今まで私は忘れていた。それにあの頃よりも確かに大人びた篠山くんの姿は、妄想にしてはイヤにはっきりとした輪郭を持っていた。
「何しに来たの?」
そう言ったつもりだったが、私の喉はもうボロボロで、それはただの掠れた吐息だった。
「……良い気味だ」
篠山くんは聞こえないはずの私の言葉に反応するようにそう言ったが、しかし発言の内容は、相変わらず私を無視したかのようなものだった。
「あの頃から篠山くんは、私がこうなることがわかってたの?」
「まあね」
相変わらず言葉を放つことが出来なかったが、感覚で掴めてきた。篠山くんは、虫が一方的に思念を私に送りつけてくるように、私の思念そのものを拾っている。
篠山くんは、……人間ではない。
思えば高校時代から、彼は普通の人間を逸脱していた。しかし、本当に人間じゃなかったとは。
「あの時、篠山くんは本当に私に死ぬべきだ、って言ってたんだね」
「当然さ。だって、最終的に人類にこれだけ壊滅的な被害を与える害悪が、あれだけ普通の顔をして身の回りにいたんだからね。僕は人類に割と友好的な感情を抱いているつもりだしね」
「私は高校の時に死んだほうが良かったのかな……」
結果だけを見れば、それが当然に思える。私一人が死ぬだけで、全人類は救われたのかもしれない。その可能性だけでも、私が死ぬには十分な理由だろう。
「それはどうだろうね」
意外にも篠山くんはそう言った。彼が笑っているのを、私は初めて見た。まあ、それは失笑のような、思わず漏れてしまった類の笑みだったのだけれど。
「僕はキミに死ぬべきだとは言ったし、キミが将来的に人類に対する致命的な脅威になるだろうことが確かに予測出来ていた。しかし、キミを直接殺すことはしなかった。人類に対して、過度に直接的な行為を避けるべきだという判断が働いただとか、あくまで僕がするのはアドバイスくらいまでに留めるべきで、最終的な判断は人類に任せるべきだとか、もっともらしく理性的なイイワケは思い浮かぶけどね。でも結局、僕は僕で、キミたちが寄生型外来昆虫種と呼ぶ彼らに対して目をつけられるのが、実は怖かったのかもしれない。どちらにしたって、行動に移さなければ結果は覆らない。僕もキミも、行動に移さなかった。そして、結果が今、こうしてある。これはもうどうしようもないことだったのさ」
「……そう、そうなんだ……」
私はもう考えることが出来なかった。しかし、確かな事実として言えることが、一つだけある。
あの高校時代の教室で、仲の良い友人もいて、グループにも所属していたけれど、私の本性を、私の本質を見抜いていたのは、この篠山くん一人だったということだ。
自分そのものを、ただ一人には確実に知ってもらえていたとわかって、救われた気分になった。
謎の心境だけれど。
謎の境地だけれど。
今の私の気持ちは、あの頃の篠山くんばりに謎で、意味不明だけど。
それでも、それでも私は。
あれだけの災厄を、虐殺を、終焉をもたらした虫の母親でありながら。
少しだけ安らかな気分で。
「あ、そうそう。なぜキミが脅威かと知っていたかだけれどね。そもそもキミの母親に寄生型外来昆虫種の卵を仕込んだのは僕の同胞でさ――」
篠山くんはそんな私の意味不明の救いなんてぶち壊し、楽しそうに語っている。
私は結局篠山くんは何がしたいんだと呆れつつも。
内臓を焼かれ、胸を炙られ、腕を燃やされ、首が崩れて、頭が、脳が炭化して。
そうして死んでいった。
そして、死にゆく世界だけが残った。
滅びゆく人類と焼け落ちる地球と、寄生型外来昆虫種と篠山くんだけの、世界が残った。
その世界に、罪深い私は、もういない。
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