そっと足元に陽が差し込む

 暖かな日差しの中、卒業式は淡々と進み、あっという間に最後のホームルームを迎えた。教室は後輩たちにより飾り付けが施され、黒板には桜や校舎などの絵が描かれていた。そして、周りには涙を流す女子たち、無駄にテンションの高い男子たちが群がっていた。そんな中、誰よりも涙を流して教室に入って来たのは我らが顧問であり、担任でもある三宅みやけ先生だった。

「みんな……卒業……おめでとう……」

 いや、泣きすぎだろ。泣きすぎて親たち引いてるから。

 今まで泣いていた女子たちですら笑顔で突っ込んでいた。

「ごめんね。先生、ちょっと、泣きすぎだね」

 三宅先生は後ろを向いてふーっと大きな深呼吸をした。そして振り向くと飛び切りの笑顔を見せた。

「さぁ、気を取り直して、最後のホームルームを始めます! まずは卒業証書をみんなに渡していきます。名前を呼ばれたら前に出て最後に一言お願いします」

 え、そんな話聞いてない。みんなとたいして話したことないのに何を話せって言うんだ。しかも、親の前で!

 しかし、そうこうしているうちに俺の名前が呼ばれてしまった。

久坂部くさかべ燎太りょうた

 名前が呼ばれ、前に出てきたものの何を言えばいいのか分からないままだ。

「3年間ありがとうございました」

 「え? それだけ?」というみんなの心の声はひしひしと伝わったが、結局その一言だけ言って俺は席に戻った。

 みんなに卒業証書を渡し終えると、最後に三宅先生からありがたいお言葉をいただくはずだったが、また途中から泣き始めて後半は何を言っているのか分からなかった。とりあえず、三宅先生の話は終わったらしく、集合写真を何枚かとってホームルームは終わった。

 周りはまだ名残惜しいのか友達と写真を撮ったり、卒業アルバムの寄せ書きを書いていたが、俺は一緒に撮ってくれる人も寄せ書きを書くような友達もいないのでさっさと教室を出た。俺が向かうのは教室とは真反対に位置する部室だ。


***


 部室に着くとそこには春の温かな風をまとって外を眺めている少女がただ一人立っていた。

「久坂部くん、一つ聞いてもいいかしら」

 俺が話しかけようとしたとき、先に話しかけられてしまい間の抜けた声を出してしまった。しかし、それを陣内じんないは返事と取ったようだ。

「どうして帰宅部に入ったの?」

「え?」

 突然こんなことを聞かれて俺は聞き返してしまった。でも、陣内は黙ったままだ。とりあえず、何か答えなければいけないだろう。

「いや、入れって言われたし」

「別に、他の部活を選んでもよかったはずよ」

 確かに、陣内の言う通り、帰宅部が俺が書いたがために発足したとはいえ、三宅先生から言われたときに正規の部活を選びなおすこともできた。でも、俺がそれを選ばなかった理由は……。

「同じだったから。部活をしたくないって言って集まった人たちだったから。まだ、一緒にいられるかなって思ったんだよ」

「そう……」

 それきり陣内は黙ってしまった。なぜ、陣内はこんなことを聞いたのだろうか。では、陣内はなぜ帰宅部に入ったのだろうか。そう思ったころには自然と口が開いていた。

「陣内は何で入ったんだよ」

「私は……、ここなら変われると思ったから」

「で、変われたのか?」

「どうかしら」

 陣内は外を眺めながら考え始めた。しばらく考えると陣内は控えめに口を開いた。

「……でも、初めて学校で居場所を見つけた気がするわ。帰宅部のおかげで」

 ふわっと優しい風が陣内のきれいな黒髪を揺らした。

「だから、冗談のつもりで書いたのだろうけれど、帰宅部を作ってくれてありがとう」

 陣内は振り向きざまに言った。それは今までで一番暖かな声だった。そのせいなのか、この温かな風のせいなのか急に俺の体温は熱を帯びた気がした。

「……作ったのは、三宅先生だろ」

 俺は返事をしたものの目を合わせることができなかった。

「正確にはそうね」

 不意に、そう言った陣内に目をやると、陣内はくすっと笑っていた。その笑顔はどこか懐かしかった。

「……あの時も同じように笑ってたよな」

「え?」

 陣内は何の話をしているのか分からず、首を少し傾けた。

「小学1年生のころ、一緒に帰ったあの時」


***


 11年前。小学1年生。俺は昔から友達なんてものが存在せず、いつも1人だった。この日もいつものように1人で家に向かっていた。しかし、この日はいつもと少し違っていた。ふと前を見ると陣内が1人で歩いていた。でも、少し目を離した隙に前を歩いていたはずの陣内がいなくなっていた。

 いつもならそんなことを気にすることもなかったはずだ。でも、この時だけはなんだか気になってしまった。前を歩いていた陣内がこのまま消えてしまいそうな気がしたから――。

 俺は急いで陣内を追いかけた。すると、とてもとても細い道に陣内の姿があった。そのまま俺は陣内の後をついて行った。

 どのくらい歩いただろうか。陣内がぴたりと足を止めた。陣内が足を止めた先にはたくさんの色とりどりの花が咲き誇っていた。俺は後ろから黙って見ているつもりだったが、あまりの景色につい声が漏れてしまっていた。

「ここに来ると、嫌な事ぜーんぶ消えてなくなるの」

 突然話しかけられて俺は慌てながらも返事をした。

「き、きれいだもんね」

 俺はそのまま陣内の元へ歩み寄ろうとした。その瞬間、先ほどとは正反対の凍てつくような声が響いた。

「でも……、人の後をついてくるなんて、あなた、私のストーカー?」

「違うよ! 急にいなくなったからどこ行ったのか気になっただけで、だから、その……」

 疑いを晴らそうと必死に否定するものの上手く言葉が見つからなかった。

「うそよ。ストーカーだなんて思っていないわ」

 陣内はくすっと笑ってそう言った。

 それからどのくらい時間がたったのだろうか。ただただ2人で静かに景色を眺めた。


 その翌日、家に向かって帰っていると後ろから陣内に声をかけられた。

「これ、昨日行ったところで摘んだ花で作ったの」

 そう言って俺に渡してきたのはスイートピーを押し花にしたしおりだった。

「ありがとう」

「それだけだから。さよなうなら」

 “さようなら”その言葉が嫌に頭の中で響いた。でも、そのまま去っていく陣内を呼び止める勇気が俺にはなかった。この日を最後に陣内はこの町を出て行ってしまった。


***


「これ、あの時にくれたやつ」

 俺はかばんからスイートピーのしおりを出した。

「まだ持っていたのね」

「友達がいない俺は読書する以外休み時間にすることないし、しおりは必需品なんだよ」

「……そう」

 一瞬の沈黙。それを打ち破ったのはこの3年間聞き慣れた声だった。

「もう! まだそんなこと言ってんの!」

 桧倉ひくらは強い眼差しを向けて俺の前にやって来た。その後ろには加西かさい新島にいじまもいた。

「燎太にはもう、萌百菜ももなたちがいるんだから!」

 桧倉はそう俺に勢い良く言い放った。数秒桧倉と目が合ってお互いすぐに目をそらした。

「だ、だから、友達がいないとか、そんなこと、ない、からね」

 だんだん語尾につれて声は小さくなるもののその声はしっかりと届いていた。

「お、おう」

 真正面に受けたまっすぐな言葉を俺は照れながらも自然と素直に受け入れていた。

「そうだよ。燎太は1人なんかじゃないよ」

 加西は俺の手を優しくぎゅっと握った。危うく加西に“好きだ”と言ってしまいそうになったが、ギリギリのところで正気に戻った。

「最初は変な奴だと思ったけど3年間も一緒にいれば慣れちゃったからな。それに、なんだかんだ言っていい奴だし」

 新島も照れながら爽やかな笑顔を俺に向けた。

「……仕方ないわね。私もあなたの友達になってあげるわ」

 陣内は凛とした立ち姿でそう言ったが顔には微かな笑みがあった。

 ああ。そうか。俺がずっと毛嫌いしていたものはとても大きく重みがあり、とても暖かいものだった。本当、俺にはもったいないくらいに。

 だから――。

「そろそろ三宅先生来るんじゃないのか」

 俺のこの一言に陣内は瞬時に反応した。

「そうね。そろそろ時間かしら」

「ちょっと、早く花取ってこなきゃ!」

 陣内の隣でワンテンポ遅れて桧倉が慌てだした。でも、陣内は冷静に指示を出す。

「私は作っておいたケーキを調理室から持ってくるわ。だから、桧倉さんと加西くんと新島くんの3人で部屋の準備をお願いできるかしら。部長さんは花を取ってきてくれる?」

「え! 沙彩花さやか、ケーキ作ってくれたの! 楽しみ!」

「ホント、楽しみだね」

 桧倉と加西は陣内のケーキにテンションが上がっていた。

「陣内、ケーキなんか作って来たのか」

「ええ。それよりも早く取りにいかないと三宅先生来てしまうわよ」

「そうだな」

 俺と陣内はそれぞれ花とケーキを取るために部室を出た。途中まで一緒に行き、俺たちは階段を下りたところで分かれて歩き出した。

「久坂部くん」

 急に呼び止められたので振り返ると、陣内はまだ別れたところで立っていた。

「私は、久坂部くんに感謝しているわ」

 俺は感謝されるようなことは何もしていない。多分、また帰宅部のことを言っているのだろう。

「だから、あれは三宅先生が――」

 俺が否定し終えないうちに陣内に遮られてしまった。

「いいえ。久坂部くんだから作ることができたのよ。この『帰宅部』を」

「それは過大評価だな。俺は別に大したことはしていない」

「あら。その発言は部長としてどうなのかしら」

 陣内は呆れ交じりに笑っていた。

「それもそうだな」

 俺たちはまた目的の場所へと歩き出した。

 本当に、全く呆れたものだ。大したことをしていないどころか、部長の仕事をしていないまである。

 俺はこの3年間何もしていない。それでも、陣内はこの『帰宅部』を居場所だというのなら、それは自分の手で得たものだ。だから、きっと、陣内は変われたのだ。

 なら俺も――。

 柄にもなくそんなことを思ってしまった。今日はなんだかおかしい。俺も卒業式で心が浮ついているのかもしれない。

「花、取ってくるか」

 ただ一言ぼそりとつぶやいて前を向いた。


 誰も歩いていない廊下には俺の歩く足音が響き、窓からは春の温かな日差しが差し込んでいた。

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青春なんてものはこの世に存在しない。 sorairo @sorairo987

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