2.午睡と溶解と人生の真理


 トシにはそれができない。

体が動かない。

朝(トシにとっての「朝」というのは日の高さや時刻とは関係なく、トシが起きた時のことだ)起きたときに、今日は何か違う事をしようと考えた事は覚えている。

しかしそれから深夜に正式に眠りに就くまでの間に何をしていたかは覚えていない。


 寝起きに腹を満たした後、何かをしようと考えながら、ひとまずテレビをつけてみるかと手が勝手に動く。

そこでやっていたプレミアリーグのサッカーをぼんやりと二試合も見れば、三時間ほどが過ぎている。

あるいは、U.S. Chart Top 20やカラオケチャートをぼんやりと見ていれば数時間ほどが過ぎる。

これではいけないと思い直し、ひとまず着替えるために立ち上がって自室に戻ると、着替えるよりも前にいつの間にかPCをつけている。

興味もないアニメのレビューや海外のゴシップを見ていると、二時間が過ぎる。

すでに何度もクリアしたPCゲームを起動したり、無料のアプリゲームやブラウザゲームを始めてみると、数日が過ぎる。

これではいけないと思い、自分の行動を統率しようと、一日の計画を立てようと思いつく。

一日の計画を立てるためには、将来的にどうなりたいかをまず考える必要があると思い、じっくりと考えるためにソファに深く腰掛けて姿勢を正す。

自分が失ったものと残っているものを数え、どのような自分になりたいかに思いをめぐらす。

もう一度、精力的に、しかも合理的にデザインされた日々を過ごせる具体的なヴィジョンが湧いてくる。

すぐに書きとめ、明日の計画を立てるところまで到達しようと思う。

あまりにも美しく、魅力的なヴィジョンで、しかも自分にはそれを実現する力があると感じられる。

おそらく、それがその通りに実現されれば、トシは確かに社会的な成功者になれるだろう。

なぜならそれは失敗する見込みがまるでないほどに、跳びぬけて美しく優れたヴィジョンだからだ。

しかし、さらに精査し、磨き上げ、味わっている間に、トシはいつの間にか甘美な睡眠に落ちている。


 だから結果的に、ヴィジョンのどこまでが理性で、どこからが夢なのかはわからない。

ヴィジョンが天才的なのは、トシの才能によるものなのか、それともそれが文字通りの夢で、言葉や現実世界では表現できないものだからなのかもわからない。

ただ、眠りから覚めた時には小一時間が過ぎていて、あの魅力的なイメージはひどくあいまいであやふやなものになっている。

こうなることがわかっていながら書き留めておかなかった自分を責める。

もう一度あのヴィジョンを取り返す事が、とても困難だということもわかっている。

だからといって、他のヴィジョンにもとづく不完全な計画に向けてひとまず手を動かしてみるという事すらも、トシにはできない。



 トシは人生からはるか遠のいたところにいたが、さらに驚くべきことに、人生の真理を発見してしまっていた。

トシが到達した人生の真理とは、以下のようなものである。

人間がただ「生きている」ことに何かを加えて「人生」にする、そのための原動力は、つきつめると二つに絞り込むことができる。

「エゴイズム」と「見栄」である。

「エゴイズム」とは、自分の名前や生き方がはっきりと刻印された具体的、あるいは文化的な何かを、後の世に残して影響を与えたいという欲望である。

「見栄」とは、他人に高く評価され、能力を認められ、うらやましがられたいという欲望である。

トシはいかにしてこの真理に到達したのか。

手淫、オナニー、自慰、マスターベーション、センズリ、手こき、マスかき、シコシコ、によって、である。



 現代では、インターネットに接続したディスプレイを通じて、人間の現実感覚からすれば無限に等しいほどの性的なビデオを見ることができる。

それらのビデオ群を前にして、トシの中にはある欲求が湧いてくるのだった。

それらの無数のビデオ群を、コンピュータの情報処理演算的速度で網羅的に補足し、自分の本当のお気に入りの一本を見つけたいという、実現不可能な欲求である。

それは、自分にとってもっとも素晴らしい女性と、こころゆくまで交流してみたいという欲求と同じ種類のもので、同じ程度に実現不可能である。

しかし、その欲求に導かれて、膨大な量のビデオを人間なりの速度で情報処理演算的に見ていくと、やがてそこに現れて見えてくるのは、

半無限回数の反復によって個別性も唯一性も薄れ去って消えた、抽象的、概念的女性の一般モデル像とでも呼ぶべき像、トシが見出した「女性そのもの」とでも呼ぶべき像である。


 このような女性像を見つめながら手淫にふけると、それは絶対的に個人的な行為になる。

真の抽象的一般概念とは、具体的現実とは絶対的に隔たっていて、まったく関係ないからである。

性的行為とは、本来、別の個体と営む行為であるというその特質からして、どうしても絶対的に個人的にはなりえないものだ。

ところが、トシはこのようにして、絶対的に個人的な性行為というものに到達した。

現実の女性とは関係なく、純粋に個人的に性にふけって射精するとき、トシは真理を見出すのだ。



 トシの見出した真理。それは以下の一文で表現することができる。

二つの条件、「一、誰とも無関係に射精し」、「二、もはや二度と射精したくもない」、これらを満たしたとき、人生は決して始まらない。

二つの条件を満たしたとき、トシは誰とも絶対的に無関係で、ただそれだけのことだと悟るのである。

条件一を満たし、他人を介在させずに性にふけったとき、もはやどこにもあとくされも無いから、後始末もいらずにこの世から逃げおおせる。

条件二を満たし、二度と再び射精したくもないなら、こちらから色気を出して誰かに近づく心配もない。

そんなとき、誰からも、何からも、どこからも逃げおおすことに成功し、「生きていること」を「人生」に変えるどんなものとも無縁でいられるのである。


 人生は、射精の欲求にもとづいている。

射精の欲求とは、他人に触れ、他人を孕ませたいという欲求であり、個体として存在した跡をこの世に残したいという欲求である。

そのためには、他人に評価されなくてはならない。

評価とはすなわち、他人をだまくらかしてカラダに触れるための目くらましだからである。

人間は性欲にもとづき、これら二つの衝動に導かれて動いているのだと、純粋に個人的な手淫の直後のトシは知るのである。

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