【第二部】二〇〇九年 二十二歳 トシ

1.停滞の風景と一本の管


 今日も何も変わらなかった。

デスクの前の椅子に座り、窓の外をながめながら、トシは思った。

いや、窓の外では季節はたしかに変わっていたから、変わらなかったのはトシのほうだけだ。

窓の景色が変わらないのは、トシが動かないからだ。

数えていないから、もはや何日目なのかわからなかったが、停滞の部屋の中に閉じこもりながら感じるのは、眠気ばかりだった。

空気は春で、繊細な悲しみを誘っていたが、トシは遠くに見える桜をながめながら、何に悲しみを感じられるのかがわからなかったので、悲しむこともできなかった。


 ケータイが鳴り、ふと我に返った。

メールの着信を知らせる文字は、イケダが久しぶりに連絡を寄越している事を知らせていた。

それだけを見て取ったトシは、後でそのうち内容を確認しようと思って、特に理由もなく放置することにした。

時刻は午後四時より手前だから、今日という日に何かをする時間は残っている。

それでは、いったい何をしようかと考えようとしたが、散漫な思考が浮遊するばかりで、手のつけどころもないので、トシはベッドに横になることにした。

釈迦にならって、横臥の姿勢で頭のめぐりをよくしようと思ったのだ。

そんな思いつきは、初めてではなかった。

そして、いつものように、何を考えようかを考えようとしているうちに、トシはいつの間にか眠っていた。



 トシの生活スタイルを記述するのは簡単だ。

生活の構成要素は、食べることと眠ること。

ほかの時間は存在しないも同然である。

というのは、他のことについて、トシは何も覚えていなかったからだ。

「ふだん何をしているの?」と問われても(実際、それはとてもよく訊かれる質問だった)、隠すわけでも言いたくないわけでもなく、トシには本当にわからないので答えようもなかった。

仕方がないので、「本読んだりとか、映画見たりとか、まぁとにかく生きてます」と、うつむいてぼそぼそとつぶやく。

そんなとき、口には出さないものの、トシの頭に浮かぶ言葉があった。

それは、そんな自分の生活を(自分に向けて)説明するための、トシのお気に入りの言葉だった。

それは「うんこ製造機」という言葉だった。

2ちゃんねる界隈の言葉は、トシにとってあまり馴染まないものが多かったが、この言葉はすぐにしっくりきた。

トシはまさに、食べ物を口から取り入れて、尻からうんこを排出する、一連の機能を備えた一本の管だった。

デスク、食卓、ベッド、トイレ、この四点を任意の順番でまわるのが、トシの生活スタイルだった。



 世の中の人々、つまり、トシの想定するところの世の中の人々は、トシのような人を嫌う。

農家の人たちがつくり、多くの人たちが運んで売って、トシの親が働いたおカネで買って料理してくれた大切な食べ物を、トシはうんこに変えてトイレに流すだけだ。

下水だって、管理している人たちがいるから成り立っているのだ。

誰もが、自分の責任を果たしている中で、好き放題に生きるトシは、あまりにも身勝手だ。

世間の人々に言わせてみれば、「私たちはあなた(つまりトシ)のような人のために働いているのではない」ということになるだろう。

そのような意見に対して、トシのほうではこう思う。

「お前らは働くことによる恩恵を十分に労力に見合うほどに享受しているはずだ。充実感、自己肯定感、他人からの尊重。働かずに済む代わりにそれらを手放せと言われても、お前らはそれを手放しはしないだろう。お前らが働いていられるのも、オレがここで生産物をゴミに変えているからなのだし、オレのような見下すべき存在がいることで、お前らの中流の自意識が確保されるのだから、いちゃもんつけるよりはむしろ感謝してほしいところだ」。


 さて、このような意見の対立の中で、トシの占める社会的地位を考えるとき、トシの生活は貴族的なのだろうか、奴隷的なのだろうか。

世の中の人々の労働を、ただ一方的に消費し続けるだけのトシは、その意味で貴族的である。

しかし、あらゆる精神的刺激や満足感を剥奪されて、世の中の人々に満足をもたらす労働の機会を提供するために、ただひたすらにうんこ製造機としての機能だけを働かせているのなら、その意味では奴隷的である。

トシは、自室からほとんど一歩も出ないような生活をしながら、さながら社会の人々のあらゆる働きが集約される結節点に位置しているかのような実感を得ることがあるのだった。



 かつてはトシももっと精力的だった。

市民的生活と人生観の中で、志と夢に向かって生きていた。

実際のところ、トシは今でも学生なのだ。

しかし、トシにとって、キャンパスははるか遠のいていた。

同じように、人生もはるか遠のいていた。

人間が生きているのに、人生が遠のくとは驚くべきことではないか。

しかし、人間にとって、人生とは単に「生きている」だけでは充分ではないのだ。

停滞以外の何か、たとえば時間、意味、目的、創造など、何らかの意味や概念が、単に「生きている」ことに加えられて、初めて人生なのである。

かつてトシは、多くを人生に求めていた。何もかもを欲しがった少年が、いつしか、単に生きているだけの一本の管に変わったのだ。

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