第10話極楽の人
急いで森を抜けて魔女の小屋に着いた時には、二時四十分を回っていました。老人はもうこれ以上は無理だと判断して
「モグラさん、たった数日間でしたけど、一緒にお嫁さん探しが出来て楽しかったです。お嫁さんって良いものですね。私はもう帰ってしまうので、もうお会い出来ないのが残念ですが、さっき言ってた友達の輪に私も入れて下さいね。」
モグラは老人の手を軽く噛んで
「何当たり前な事言ってるんですか。最高のお友達ですよ。いつの日か戻ってらしたら、その時は必ず会いましょう。大切な友達なんですから。」
モグラはそこまで言うと、もうこれ以上は何も言えないと言った風に口をぎゅっと閉じていました。人間なら涙をこらえていたというところなのかもしれません。老人は今度はモグラのお嫁さんになる子に語りかけます。
「人間になろうとモグラでいようと、あなたたちはきっと上手くやっていけると思います。喧嘩する日もあるでしょうけど、寄り添える事を忘れないでいて下さいね。」
「本当にありがとうございます。私、感謝の気持ちを言葉にしてしまったら、簡単なものにしかできないのがもどかしいんです。だから……。」
老人は彼女の頭を優しく撫でました。
「さようならです。お二人とも。これからも楽しき日々を。」
老人は草原を走っていました。時間がありません。最初、この世界にやって来た時、眠っていた、あの辺りで同じように横になって目をつむっていれば良い。時間内なら、そうして帰っていけるはず。
しかし焦っているからなのか自分が眠っていた場所がどこなのか、検討がつかないのです。ただ一つ分かっている事は、いつも帰れる場所の辺りには虹色の光が注いでいるという事でした。
「確か、確かこの辺のはず。」
老人は草原の南西辺りへやって来ました。虹色の光は? ああ、数百メートル先に注いでいるような気がします。もう結構走ったというのに、体にムチを打って向かって行きました。無理をすべき時なのです。
老人は汗をかいて、必死過ぎたので時計を見る事さえ忘れていました。ですが無情にもその時には、腕時計の針はもう三時五分すら回っていたのでした。
やや閑静な住宅街にある小さな古びた一戸建ての前。そこには親族やら、近所の人などが集まっていました。棺は運び出されるところで、その光景が何よりも多くの事を語っています。男は遠巻きにその様子を眺めていました。そして小さく一言
「先生、だから三日間だけって言ったじゃないですか。」
冬の終わりの風が冷たく襟足を撫でていきます。
男はもう充分だなと踵を返し、街の人波へと消えて行く際、ポツリと一言だけ残していくのでした。
「先生、あなたはこうして今、極楽へと旅立った訳です。しかし現実から逃げ出して、時折、空想の世界の中で理想的な自分として生きる事を楽しんでいた。そんなあなたは、もうとっくに極楽の人だったのかもしれないですね。」
男のそんな皮肉めいた言葉は風に流されて行き、結局誰の元へも届きはしないのでした。
極楽人 @lionwlofman
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