第15話
そうして――最後の『夢』が訪れる。
終わりの予感を漂わせながら、それでも表面上はいつもと同じように、どこか平静なまま。
「――とうとう、最後の日になってしまいましたね」
彼女はそう言って、どこか儚げに笑う。
「そう、だな。……どうだ、調子の方は」
「調子、ですか。……そうですね」
彼女は少し考えを巡らせるような様子を見せて――それから、わざとらしく少しおどけたような調子で。
「……やっぱり、緊張はしています。結局、どう転んでも明日がラストチャンスなわけですし」
「そんな調子だと、上手く行くものも行かなくったりするかもしれないぞ」
それが胸中の様々な気持ちを誤魔化すためのものだとわかっているから、僕も敢えてそれには触れずにそう茶化す。
彼女は「不吉なことを言わないでくださいよ」と、不満そうな顔を作る。
「……まぁ、それでも、ここまで来たらなるようになれ、というやつですよ」
そう言って彼女は笑い――それから、急に真剣な表情になり、僕に向かって頭を下げた。
「――今日まで、ありがとうございました、トオルさん」
そこで、「苦しゅうない」とか、そういう気の利いたことを言えればよかったのだけれど、しかしそこは中身が残念な僕だけあり、見事に取り乱してしまう。
「……えっと、その。……やめてくれ。結局、僕は『貸し借り』以外に何をできたわけでもないんだし」
「そうでも、ないですよ」
顔を上げた彼女は、真剣な面持ちのままそう言った。
「……最初は、正直、トオルさんが相手に選ばれたのもただの偶然で、そこに特別な意味はない、なんて思っていましたけれど――今になってみると、トオルさんじゃないといけなかったんじゃないかな、なんて思うんです」
「……それは、視覚がなくったって困りそうもない相手だから?」
「いいえ」
彼女は優しく微笑みながら、僕の言葉を否定する。
「――きっと、トオルさんのように私と向き合ってくれる人なんて、ほとんどいないと思いますから」
言われて――その言葉の意味を理解して、そしてすぐ、何を馬鹿な、とそれを打ち消す。
「それは――買い被りだ。本当に僕は、何もしていない。……せいぜい、君と話すくらいのことで」
「それでも、ですよ」
彼女は優しく、しかし僕の言葉を否定する。
「……変な話ですけど……私はもともと、トオルさんとあんな風に話すことはないんだろうな、って思っていました。この『夢』でのことだって、お互いの予定を擦り合わせるための事務手続きみたいなもので……それだって、いつ「煩わしい」って言われてもおかしくないな、って」
それは――確かに、そうなる可能性だってあったかもしれない。
彼女と出会う前の僕は本当にただの怠惰なだけの人間で。もともと視覚の交換だって、どうせ何もしないのだから、くらいの考えで受けたもので。
だから――もしかしたら、最初に大変な目にあった時点で、こんな関係もやめてしまおう、なんて気になる可能性だってあったのかもしれない。
「けれど実際には、こうして何度も、どうでもいいような言葉を交わして、『ゲーム』も始めて――時には、お互いに、相談みたいなことをしたり」
「……でも、それだって、僕の方はただただ思いついたことを言ったばっかりで」
「そんなことは、わかってますよ」
愉快そうに彼女は言う。
「それは私だって、トオルさんの言葉を全部鵜呑みにしていたわけじゃありません。……それでも結果として、それが上手くいくきっかけになるようなことが多かったのも事実ですから」
「――それは、僕だって」
つい、口を開く。
「……君と出会って、視覚のやり取りをして……そのうち、明日はどうしよう、って考えるようになった。そんな目標のある日々を繰り返していると、今まで欠けていた部分が戻って来たみたいで――けれど、この日々が終わったらどうなるんだろう、って不安に思うときも、なかったわけじゃなくて」
僕の言葉を、彼女は静かに聞いていた。それに後押しされるように、僕は言葉を続ける。
「……だから、『レール』の話をしたとき、君に貰った言葉で、なんだかよくわからないままでも少しだけ、光が見えた気がした。ずっと行き止まりで立ち止まっていた僕が、やっと道を見つけることができた気がした。……そう言う意味では僕も、君と出会えてよかった、のかもしれない。――だから」
だから、の後の言葉は続かなかった。ここで、この流れで言ってしまうのは、どうにも相応しくない気がした。
そうして言葉に詰まった僕を前に、彼女はふっと笑って。
「……なんだか、お互いに凄く恥ずかしいことを言い合っているような気がしますね、私たち」
と、少し照れたような表情を見せた。
「さて、トオルさん」
そうして、仕切りなおすように、いつもよりはっきりとした声で。
「いよいよ、最後の日ですけど――今日の解答は、どうします?」
「——あぁ、決まってるよ」
「そうですか。……泣いても笑ってもこれが最後ですけど、本当にいいんですか?」
揶揄うようにそう言う彼女だけれど、それで答えを変えるつもりはなかった。
「あぁ」
そう言って――そして僕は、考えていた答えを口に出す。
「――アオイ」
僕の答えを、彼女は無言で受け止めて――そして不意に、表情を緩めて。
「——残念、ハズレです」
その言葉に、束の間弛緩していた空気がふっと緩む。
「……ダメか。それなりには考えたつもりだったんだけどな」
「確かに、最初と比べればだいぶ近いところまでは来ていますけど――まぁ、それでも、不正解には変わりませんから」
それから、ふと彼女は少し口を止めて、それから、微笑むその中に、僅かに僕の様子を窺うようにして。
「——折角ですし、正解、教えましょうか?」
けれど、僕は肩をすくめて。
「……いや、これは『ゲーム』なんだし、当てられなかった時点で僕の負けだよ。甘んじて敗北を受け入れるさ」
「そうですか。……まぁ、それもそうですね」
そう言って引き下がる彼女に――しかし束の間寂し気な表情が見えたのは、果たして目の錯覚であろうか。
「それでは……えっと、どうしましょうか」
そうして、彼女は言葉に悩む様子を見せる。
「えっと」
そう言われると、僕も言葉に詰まる。
いつも、こうして余った時間は、結構どうでもいい話に費やしていた気がする。それに倣うのはそれほど難しいことではないかもしれないけれど――しかし、言葉を交わすのはきっと、これが最後で。だから何か特別なことを、と思っても、僕と彼女の間に、その『何か』を浮かばせるような長い付き合いがあるわけでもなくて。
だから、きっと、僕も彼女も、これ以上はどうにもならないことには気づいていたのだろう。そんな、僅かな寂寥感を伴って。
「……ともかく、トオルさん、今までありがとうございました。……明日が、どうなるかはわかりませんけれど……きっと、どうなったとしても、後悔はしないと思います」
「そう、か。……まぁ、せめてうまくいくように祈ってるよ」
「……はい、ありがとうございます」
そう言葉を返して。
「……さようなら、トオルさん」
そうして、去る間際、彼女はそう言葉を残していった。
その時の表情には、今度こそ寂しさのようなものが滲み出ていて。
そうして、僕はその言葉に応えることをしなかった。
かくして。
僕と彼女の、『夢』での日々は、終わりを告げた。
アラームの音で目を覚ました。
目を開いても、そこに何かが映るようなことはない。最後の日にも、僕の視覚はちゃんと彼女に渡っているらしい、そのことにひとまず安堵する。
もうすっかり慣れてしまった所作で、朝食のパンを取り出して机の辺りに座る。
そうしながら、頭の中で巡るのは、やはり彼女と過ごした時間のこと。
三週間の予定で、実際にはほとんど二週間。そんな短い時間、しかもお互いに話すのは『夢』で会うほんの僅かの間だったけれど。
それでも、彼女と過ごした時間のおかげで、僕は――そう、救われた、のかもしれない。
だから、彼女にあそこで言っておくべき言葉が、本当はもっとあったのかもしれなくて。けれどそれをしなかったのは、自信がなかったからなのか、或いは意地になっていたのか――とはいえ、それも些細なことだった。
なんとなく手を伸ばしてカーテンに触れて、それが僅かに温かいことを確かめる。既にほんのささやかな食事は終わり、けれど僕の手は、折り紙にもラジオにも伸びることはなく。
そうしているうちに、呼び鈴の音が鳴り始めていた。
それを合図に――僕は、机に沿って、それから壁を頼りに、玄関へとゆっくり向かっていく。
再び、呼び鈴が鳴る。
僕と彼女の『夢』での時は、終わりを告げた。
ここからは――分が悪くて、ついでに往生際も悪い、『賭け』の時間だ。
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